本稿は,「体験としてのスポーツ」の実例としてランニングをとりあげ, 6人のランナーに対するインタビュー調査と, マラソンに関する実証的研究である原田の『マラソンの現象学』とをつきあわせることで, その体験に対する分析を深め,「体験としてのスポーツ」の実証的研究を試みた。特に, 体験における「実存的レベルの身体」と「社会的身体」に注目して考察を行った。
その結果, 第1に, フルマラソン体験において重要なのは, 社会的痩身によって「実存的レベルの身体」に還元されたランナーが他者と交流する点ではなく,「実存的レベルの身体」において自己を発見することであり, その結果ランナーは確かな準拠点に基づいた解釈図式によって, アイデンティティと現実世界を再構成することができる。
第2に, 走ること自体に対するイデオロギーはフルマラソンのその場だけで生成されるのではなく, 日常的なランニングとの関わりの中から再解釈されるため, 日常的なランニングにも目をむけなければならない。
そしてこの2点から, アイデンティティと現実世界の再構成の過程は, 社会的意味の網が張りめぐらされた日常生活の中で反省的にマラソン体験を捉えることから行われるため, 社会的意味の影響を受けざるを得ないこと。そこではすでに社会的意味がしみこんでいる「社会的身体」との葛藤の末, 新たに獲得した解釈図式を利用して, 既存の社会を読み替えることにより, 社会の圧力をかわす戦術が施されることが分析できる。
以上の結果から,「体験としてのスポーツ」を捉える過程では, 体験における「実存レベルの身体」と「社会的身体」のメカニズムが見いだされる可能性が示唆された。
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