問題の所在
華人社会の研究は,文化人類学,社会学,歴史学,経済学をはじめさまざまな学問分野からアプローチがなされて来た。その中にあって,地理学の研究の特色の一つは,他の地域の事例と比較考察しながら,研究対象地域の華人社会の地域性を明らかにするとともに,他の地域にも共通する一般性を見出すことである。また,それら地域性および一般性の要因について考察することも重要な課題である。
近年,世界各地の華人社会を対象にした研究は,しだいに増加している。そのような中にあって,ラテンアメリカは,研究の空白域の一つである。ラテンアメリカの大国であるブラジルに関しても,日系移民に関する研究成果の蓄積は多いものの,華人社会についての先行研究,文献・統計などの資料は少なく,華人社会の現況に関する情報も非常に限定されている。
そこで本研究では,グローバルな視点からみたブラジルの華人社会の地域性と一般性を明らかにするために,ブラジル最大都市であり,華人人口の大半が集中するサンパウロの華人社会の変容と現状について考察した。なお,現地調査は2006年7月下旬から8月上旬にかけて,次に述べる2つの調査対象地区を中心に,華人団体,華文教育関係者,華人商店関係者,日系人などからの聞き取り調査・資料収集を行うとともに,土地利用・景観調査を実施した。2つの調査対象地区とは,日系人と華人商店が集中する
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地区の東洋街,および中国新移民(改革開放政策以後,海外へ移住した中国人)が急増している3月25日通り地区である。
東洋街への華人の進出
第二次世界大戦後,日本の敗戦で帰国をあきらめ,ブラジルに残留することを決めた日系人の中には,入植地の農村部から子弟の教育に有利な都市部へ,特に大都市であるサンパウロへ移動する者が増えた。なかでも,サンパウロの中心部,
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地区には,1953年,日本映画の上映館が設立され,日系人向けの食堂,商店が軒を連ねるようになり,日系人の住居も
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地区に集中するようになった。その後,日本統治時代に日本式教育を受け,日本語が堪能な台湾人も,
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地区に集中し,日系人と混住するようになった。
中華人民共和国の成立後,中国の資本家や国民党関係者などが,多額の資金を携えてブラジルへ移住し,その後も,香港や台湾などからの移住者が続いた。1971年,台湾の国連からの追放は,台湾の将来に不安を抱いた台湾人のブラジル移住を加速させた。高等教育を受けた日系人の子弟は,大学で高度な技能や知識を身に着け,医者・弁護士・エンジニアなどの専門的職業に従事する者が多く,日系人が経営する商店では,後継者難に陥るところが多くなった。現在では,日本関係の食品・商品などを中心に扱う商店やショッピングセンター,ホテル,レストランも,台湾人が経営しているものが少なくない。台湾人が経営する店舗では,看板に日本語を用い,日本的な店構えを維持するなど,
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地区に対して一般のブラジル人が抱いてきた「日系人街」としてのイメージを保持しようとする傾向が認められる。
一方,台湾人以外の中国新移民の進出も増えており,2006年1月には,
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地区で初めて,中国の正月を祝う春節祭が開催された。日系人の中には,この地区のチャイナタウン化を危惧する声も聞かれる。アジア系の中では新しい移民である韓国人のレストランも,
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地区で増えており,かつての「日系人街」は文字通り公式呼称である「東洋街」の性格を濃くしつつある。
3月25日通り地区における中国新移民の増加
サンパウロにおける中国の改革開放以降,ブラジルへ移住して来る中国新移民が増加している。彼らが集中する地区は,以前はアラブ人街であった3月25日通り地区である。地元では,治安がよくない地区として知られている。この地区には,中国製の安価な衣料品・電気製品・玩具・靴・カバン・時計・サングラス・金物などを扱う商店が多く集まっている。彼らはシッピングセンター内において「スタンドショップ」と呼ばれる狭い店舗で,主として店舗はほとんど見られない。
〔文献〕
山下清海 2000.『チャイナタウン―世界に広がる華人ネットワーク―』丸善.
山下清海編『華人社会がわかる本―中国から世界へ広がるネットワークの歴史,社会,文化』明石書店.
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