_I_. 問題の所在 経済のグローバル化など,日本の製造業を取り巻く環境は近年大きく変化した.その過程で,日本の製造業は大量生産型の
企業
システムから脱却し,より技術集約・知識集約型の
企業
システムへと変貌を遂げてきた.この変化は,大都市圏工業集積に従属してきた地方圏の工業集積地域でも同様であり,地方圏の中小製造業でも,下請量産形態から試作開発という知識集約化・技術集約化が進行してきた.この変化を可能としたのは,中小製造業独自の技術導入・研究である.それらの実践を通じて,自社技術の高度化,新規分野の開拓,そして自社製品の開発など,地方圏の中小製造業は新たな競争力を創造してきた.一方で,中小製造業単独の技術開発基盤の整備には,資本・技術情報探索などの点で制約が伴うが,鋼材商・工具商などサプライヤーが,これらの機能を支援・補完する役を担ってきた.革新型中小
企業
は,これらの主体とネットワーク化することで,技術的発展を可能としてきた. 本報告は,長野県上伊那地域に立地する革新型中小
企業
の分析を通じて,中小製造業の技術蓄積における
企業
間ネットワークの機能を明らかにすることを目的とする.
_II_. 上伊那地域工業の史的展開 上伊那地域における工業発展の遠因は,製糸業に求められる.上伊那地域には龍水社や上伊那社など著名な製糸業者をはじめとして多数の製糸業が立地していたが,1920年代末の世界恐慌期に衰退した.衰退した製糸工場は遊休地化したが,それらの遊休工場を利用して第二次世界大戦中に,軍需産業を中心とした疎開工場が進出・立地した.上伊那地域に進出した疎開
企業
は,通信機器関係の電気機械工業と,隣接する諏訪地域の流れをくむ精密機械工業が中心であった.疎開
企業
の多くは,第二次世界大戦後に同地域からひきあげたが,残留した
企業や疎開企業
の就業者を中心として,工業化の素地が形成されていく.とくに,駒ヶ根市に立地する帝国通信,伊那市に立地するKOAや
ルビコン
は上伊那地域における電気機械工業発展の基盤となっている.
1962年,那谷全体が国の低開発地域工業開発促進法の指定を受け,産業インフラの整備と工場誘致が進行した.時期を同じくして,上伊那地域の市町村でも工場条例が制定されるなど,
企業
の誘致が活発化した.その結果,廉価な労働力と広大な敷地を求めて,モーター類など電気機器部品生産を中心とする進出
企業
と,その下請工場群が数多く出現するという農村工業化が進展した(図1).
_III_. 革新型中小企業
とネットワーク 1975年,中央自動車道の開通によって,上伊那地域には多数の
企業
が立地した.しかし,1985年のプラザ合意以降,メーカーの生産拠点の海外移転および海外
企業
との競争が激化するにつれ,労働集約的な生産形態で業務を行ってきた中小製造業は危機に立たされるようになった.そのような状況下,
企業
の中には従来の電機機器部品生産に加えて新規に技術導入をはかり,自社製品開発など新たな業種へと参入する
企業
が現れた.また,技術的な研鑽を積み,自社技術を深化させることによって製品開発業務へと参入する
企業
も出現した.このような形で,自社製品革新型
企業
の基盤が形成されてきた.これらの
企業
は,技術の蓄積に関して,地域内外の様々な主体とネットワークを形成することで,積極的な技術学習を実施している. ネットワークは,市町村や商工会議所が介在するネットワークと,
企業
が独自に結びついたネットワークが存在する.革新型中小
企業
は,これら2種類のネットワークを援用しつつ,高度化を図ってきている.
抄録全体を表示