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クエリ検索: "ロイ・チャップマン・アンドリュース"
3件中 1-3の結果を表示しています
  • 宇仁 義和, ブラウネル ロバート, 櫻井 敬人
    日本セトロジー研究
    2014年 24 巻 33-61
    発行日: 2014年
    公開日: 2019/12/04
    ジャーナル オープンアクセス

    ロイ
    チャップマン
    アンドリュース
    が1910年にスミソニアン協会アルバトロス号のフィリピン調査に参加した後、日本で行った鯨類調査と1912年朝鮮で行った鯨類調査の足取りを復原した。調査はニューヨークのアメリカ自然史博物館(AMNH)に保管されているアンドリュースが収集した鯨類標本や手紙、報告書、写真、調査日誌を資料とした。アンドリュースは紀伊大島では8頭の鯨を調べ3個体分の全身骨格を確保した。鮎川では62頭以上を調査し、巨大なオスのマッコウクジラの骨格を収集した。蔚山ではコククジラ23頭含む32頭の鯨を調べ、全身骨格も収集した。これらの調査活動が可能になったのは東洋捕鯨の社員や現場従業員、本社や事業場の全面的な協力によるものであった。東洋捕鯨は別にツチクジラやシャチの骨格も寄贈している。マッコウクジラ、ツチクジラ、シャチの骨格標本はアメリカ自然史博物館で1933–1962年の間に展示されていた。コククジラの標本はスミソニアン協会国立自然史博物館で1960年代始めから現在に到るまで展示されている。彼は他にも横浜、日光、神戸、門司、台湾、沖縄、土佐清水、そして瀬戸内海にも立ち寄り写真を撮った。紀伊大島と鮎川、蔚山の写真は近代捕鯨の初期の姿を写した唯一のまとまった写真であり、アンドリュースの写真や文書は、生物学的にも文化人類学的にも将来の貴重な研究資料である。

  • 宇仁 義和
    日本セトロジー研究
    2016年 26 巻 17-25
    発行日: 2016年
    公開日: 2019/12/04
    ジャーナル オープンアクセス

    日本の近代鯨類学の草創期における東洋捕鯨株式会社と

    ロイ
    チャップマン
    アンドリュース
    の影響を文書資料から調べた。東洋捕鯨の前身会社はナガスクジラとシロナガスクジラについて社内名称を生物学的種に基づいて固定し、それが標準和名として使用されるようになった。アンドリュースはひげ鯨に加え、歯鯨でも日本近海個体について初めて標本の観察から学名を比定した先駆者であった。そのような認識は当時の日本の動物学者も持ちあわせ、永澤六郎教授はアンドリュースと手紙で議論した結果を日本産鯨類の学名比定の論文に反映させていた。東洋捕鯨が社内名称として生物学的種の呼称を使用したこと、アンドリュースが標本を観察して学名を比定したこと、この実践が日本の鯨類学の近代化の端緒となった。

  • 宇仁 義和
    日本セトロジー研究
    2018年 28 巻 1-25
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/02/04
    ジャーナル オープンアクセス
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