明治維新により,新しい文化・生活様式として印刷(活版印刷)と包装(紙器)が導入されると,それに適した洋紙が輸入され,それを真似ることで国内の製紙産業が生まれた。そのテイクオフに30年を要したが,その後,GDPが年率3%で伸びる中で,洋紙生産量は年率10―6%で伸び続け,輸入紙に代わって需要を占拠していった。技術的には,テイクオフまでの30年間にその後の産業の発展の準備がなされていた。
その一つが東京高等工業出身者を中心とする技術者群で,若い時に海外を知る機会を与えられ,その後の工場建設・操業で創意と工夫を発揮した。
抄紙機についても,輸入機のコピーから出発し,輸入新鋭機の技術を模倣しながら,国内需要の半ばを供給できるまでになった。それに合わせて,抄紙用具も国産化されだした。
日本の製紙産業史の最大の特徴は,早い時期にぼろ・わらから木材パルプに転換(アメリカより約10年遅れ),抄紙機を持った一貫工場を目指したことである。富士山麓や木曽の針葉樹から,北海道,樺太へ展開し,王子製紙苫小牧工場に代表されるような競争力のある工場を建設していった。
この明治期の発展を支えた要因として江戸時代の識字率や工学的なレベルの高さがあげられている。ただ,江戸時代には,産業革命期のヨーロッパで見られた人と物の自由な移動(情報の自由な流通)が制限されていた。明治期になり,この制約が解かれことで,爆発的と言えるような技術発展が可能になったと考える。その中で,紙は,情報と物の自由な移動を可能にする手段として社会に大きく貢献してきた。
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