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  • ―フランス代表を通して考える二十年―
    陣野 俊史
    スポーツ社会学研究
    2018年 26 巻 1 号 15-28
    発行日: 2018/03/30
    公開日: 2019/03/30
    ジャーナル フリー
     現代のフットボールは、試合スケジュールや選手の活動のあらゆる領域にまでスポンサーの統治の力が浸透している文化現象である。しかし他方でそれは、その時代の社会的諸問題を浮き彫りにするものでもある。本論は過去二十年のフランス代表チームを跡付けながらその社会的・歴史的背景を考察するとともにワールドカップというイヴェントがいかに解釈できるのかを論じる。1998年大会、社会的に移民規制が高まる中でのフランスの優勝は「統合」の機運を生み出した。様々なキャリアと人種の選手の集合体こそがフランス代表だった。そこではワールドカップは刹那的ではあるが統合の夢を生み出しうるものだった。だが2000 年代以降のフランス代表が露呈したのは分断の線であった。適度に貧しいという均質化した環境から代表選手を目指すプロセスの共通性は、ジダンの時代にはあったが、ドラソーの頃には消え失せていた。郊外の中でもとりわけ治安に問題のある地域「シテ」に出自を持つ選手たちと社会的エリート階層出身の選手たちとの間にある亀裂は、社会的分裂の象徴だった。その問題が大きく顕在化したのが、2010 年南アフリカ大会である。そのときワールドカップは、そうした問題を世界に向けてあからさまな形で発信するイヴェントとなった。人種的統合/排除、階層的分断といった問題だけでなく、フランスにとってワールドカップは過去の植民地問題があらためて交渉される場としての可能性を持つものでもある。2014 年大会では旧宗主国フランスと旧植民地アルジェリアの試合が実現する可能性があった。二つの国の人種・政治・差別の問題が複雑に絡まり合い「親善試合」が期待できない状況で、2014 年のアルジェリアの健闘は貴重な機会だった。旧宗主国と旧植民地の間の複雑な歴史を露呈させ、そのうえでそうしたいっさいを配慮せずに試合を実現できるのも、ワールドカップのもつ可能性である。
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