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クエリ検索: "三條美紀"
3件中 1-3の結果を表示しています
  • ―がん医療に焦点を当てて―
    津村 麻紀, 古川 はるこ, 森田 満子, 真鍋 貴子, 伊藤 達彦, 忽滑谷 和孝
    総合病院精神医学
    2011年 23 巻 2 号 172-179
    発行日: 2011/04/15
    公開日: 2015/04/02
    ジャーナル フリー
    臨床心理士のコンサルテーション・リエゾン(C-L)活動に関する意識について医師と看護師249名のアンケート調査の自由記述回答(3種類)を対象に質的分析を行った。その結果,1.カウンセリングイメージは8カテゴリーに分類された。2.C-L活動に対してわかりやすさや身近さを望み,患者や家族への心理的援助だけでなく医療者に対する予防的かつ教育的なアプローチも望んでいた。3.依頼希望としてはがん患者が最も多く,①「情緒的問題」,②「患者−医療者関係」,③「がんの治療経過に伴う苦痛」への介入を望んでいた。慢性疾患患者とがん患者を比較すると,いずれも心理的問題だけではなく身体治療上の問題もあげられていた。がん患者の特徴としては,告知にまつわる情緒的問題や,複雑な患者−医療者間の相互関係があった。よってがん医療では,関係性の文脈を踏まえた後方支援的な心理的援助も行っていく必要があると考えられた。
  • 倉田 容子
    日本文学
    2012年 61 巻 12 号 34-44
    発行日: 2012/12/10
    公開日: 2018/01/25
    ジャーナル フリー

    本稿では、『悪魔の手毬唄』の物語構造を一九五〇年代後半の農村表象という文脈から照射し、パロディとして引用された『楢山節考』との批評的距離を検討した。『悪魔の手毬唄』には同時代の農村の「リアリティ」が織り込まれるとともに、「リアリティ」と手毬唄に代表されるフォークロアとの結節点において、戦前・戦後のそれぞれ異質な排除をめぐる暗闘が刻印されている。農村の封建的秩序を主なモティーフとしてきた金田一シリーズの転換を見定めつつ、〈戦後啓蒙〉の語りからも反動的なナショナリズムからも身をそらす『悪魔の手毬唄』の農村表象の位相を明らかにした。

  • コンフォーミズムの中で
    宮田 章
    放送研究と調査
    2024年 74 巻 1 号 62-94
    発行日: 2024/01/01
    公開日: 2024/01/20
    研究報告書・技術報告書 フリー
    日本のテレビドキュメンタリーの基礎を築いたとされる『日本の素顔』(NHK、1957~64)の制作技法の変遷を描く第6回目。今月号と来月号(第7回)の2回に分けて、『素顔』最後の2年間となった62~63年度の展開を分析し考察する。 本シリーズ第5回で述べたように、61年度以降の後期『素顔』は、「60年安保」後の泰平ムードの中で、社会問題の提示能力を衰退させていった。62~63年度の『素顔』を広く覆っているのは、61年度よりさらに徹底したコンフォーミズム(現状追認主義)である。総じて言えば、この時期の『素顔』は、コンフォーミズムの中で、社会事象の平板な解説番組という性格を強めている。ただし、現状追認といってもその仕方はテクストによって様々である。また数は少ないものの、この時期でも現状追認には与さず問題を社会につきつけたテクストを見つけることもできる。特筆したいのは、現状追認か否かという枠組み自体を忘れさせるような技法革新が起こっていることである。「○○問題」という議論の枠組みを吹き飛ばすような情動的強度に秀でた映像・音声が出現している。
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