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クエリ検索: "三角縁神獣鏡"
136件中 1-20の結果を表示しています
  • 水野 敏典
    精密工学会誌
    2022年 88 巻 8 号 622-626
    発行日: 2022/08/05
    公開日: 2022/08/05
    ジャーナル フリー
  • 河内 一浩
    日本考古学
    2006年 13 巻 21 号 103-114
    発行日: 2006/05/20
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    庭鳥塚古墳は大阪府の南部,南河内地域を縦断する石川の左岸に立地する。羽曳野丘陵の東にある中位段丘の東縁に築かれ,古市古墳群の南約1.8kmに位置する単独墳である。閑静な住宅街に隣接する雑木林に保存されて,その存在は一部の研究者が知るのみであったが,平成17年6月の整地工事によって粘土槨が露出する状況となった。
    羽曳野市教育委員会では,緊急調査を実施するとともに実態が不明な古墳に対して保存と活用を目的とした範囲確認調査を実施したのである。その結果,遺存する粘土槨はまったく盗掘を受けておらず,副葬品など埋葬当初の状況であることが判明した。さらに,墳形や規模,外部施設などについても成果を得ることができた。
    墳丘は全長約50mの前方後方墳で,3.7mの高さをもつ後方部や前方部は盛土によって構成されている。埋葬施設は組合式木棺を安置した粘土槨が後方部の中央で1基確認された。
    副葬品から古墳時代前期中葉から後葉に築造されたと考えられる庭鳥塚古墳は,河内の大王の墓域である古市古墳群よりも先行する古墳である。副葬品に舶載の
    三角縁神獣鏡
    を保有し,かつ2本の筒形銅器をもつ。銅鏃54本,鉄鏃126本さらに籠手の出土は被葬者の性格を物語る。
    来年度から実施される墳丘の調査により前方後方墳の実態がより一層明らかにされ,古墳研究や南河内地域史などに大きく寄与することができるであろう。
  • 村上 隆
    化学と教育
    2016年 64 巻 5 号 242-243
    発行日: 2016/05/20
    公開日: 2016/12/27
    解説誌・一般情報誌 フリー

    三角縁神獣鏡
    は,古代日本の最大の謎の一つである。邪馬台国の女王卑弥呼が,中国魏の皇帝から下賜された鏡100枚にあたるとする説もあるが,すでに500枚を超える出土がある。いつ,どこで,誰がどうやって作ったかもわからない謎の鏡なのである。
    三角縁神獣鏡
    に対するこれまでの研究は,裏面の文様の研究が主であり,鏡本来の機能を考察するには至っていなかった。古代鏡に対する材料科学的研究の一環として,三次元デジタイザで形状を計測し,さらに成分調整をした金属粉体を用いた3Dプリンタによって
    三角縁神獣鏡
    を精確に復原した。そして,その鏡面が太陽光によって「魔鏡現象」を起こすことを実証することができた。

  • 西川 寿勝
    日本考古学
    1999年 6 巻 8 号 87-99
    発行日: 1999/10/09
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    弥生時代の墳墓や古墳から発見される舶載鏡は大陸のどこからもたらされたのか。私は中国出土鏡について,地域ごとに鏡式と組成(発見頻度)を分析した。その結果,わが国出土の鏡群は中国のどの地域から発見される鏡群とも合致しなかった。しかし,楽浪郡地域(北朝鮮平壌付近)発見の鏡にかぎり,鏡式と組成ともにほぼ合致した。
    鏡は楽浪郡など辺境の地でも製作されたのだろうか。後漢~魏の都だった洛陽を分布の中心にもつ四鳳鏡を例に,分布の中心地域で発見される四鳳鏡と分布の辺縁部で発見される四鳳鏡を比較した。すると,分布の中心で発見される鏡は典型的な紋様や構成要素をもっ典型種鏡であることに対し,分布の辺縁部には紋様や構成要素に欠落や変更のある亜種鏡が多数存在した。四鳳鏡に限らず他の鏡式にもそれぞれの亜種鏡が抽出できる。このことは中国各地に鏡工人が存在し,鏡をつくっていた可能性を示す。楽浪郡地域発見の鏡にも中国に典型種鏡をもつ亜種鏡が多く存在した。この地でも活発な鏡生産があったことを解き,楽浪鏡を設定した。楽浪鏡はわが国に多数舶載され,一部は紋様や銘文が同一の鏡もみられた。
    次に,正倉院の鏡を中心に唐式鏡を概観した。そして,金銀の平脱・象嵌や螺鈿などによる宝飾鏡,貼金・鍍金の宝飾鏡,精緻な紋様の大型鏡,踏み返しにより量産される中・小型鏡など,鏡は格付けできることを示した。最上位に格付けできる宝飾鏡は戦国・前漢時代の王墓をはじめ,各時期のものがある。鏡の格付けは鏡の普及段階から成立していたことがわかる。
    最上位の鏡が王の鏡として格付けできるなら,魏王から邪馬台国女王に下賜された鏡にも最上位の鏡が含まれていた可能性がある。しかし,卑弥呼の銅鏡と推定される
    三角縁神獣鏡
    は宝飾がなくつくりも粗い。
    私は卑弥呼に下賜された銅鏡はすべての鏡が等質に作られたとは考えず,卑弥呼の手元に残すべき最上位に格付けできる宝飾鏡がいくつか存在したと推定する。この宝飾鏡は都洛陽で製作されたものである。しかし,宝飾鏡を見本にして配布用の
    三角縁神獣鏡
    が量産されたとすれば,その製作地は洛陽に限る必要はない。一部の
    三角縁神獣鏡
    は紋様や技法に楽浪鏡と極めて深い関係がある。私は
    三角縁神獣鏡
    が楽浪郡で創出されたと推測する。そして,
    三角縁神獣鏡
    は卑弥呼からさらに下位のものに分配されたと考える。
  • 藤原 光平
    洛北史学
    2011年 13 巻 86-89
    発行日: 2011/06/04
    公開日: 2024/04/01
    ジャーナル フリー
  • 西谷 正
    地学雑誌
    1998年 107 巻 5 号 773-775
    発行日: 1998/10/25
    公開日: 2009/11/12
    ジャーナル フリー
  • 樋口 隆康
    レーザー研究
    2005年 33 巻 Supplement 号 P13-P14
    発行日: 2005/01/20
    公開日: 2014/03/26
    ジャーナル フリー
  • オリエント起源の大和尺の発見
    木村 俊晃
    日本土木史研究発表会論文集
    1983年 3 巻 119-125
    発行日: 1983/06/24
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    昨昭和57年度の「その1対称論」では、崇神・応神・仁徳陵古墳など大和朝廷の主要古墳を含む「大和計画」、箪者が新らたに提案した仁徳天皇の難波高津宮を含む「仁徳計画」の存在を地形図による遺跡等の位置関係 (地点間の方向と長さ) の分析によって明らかにし、これらの各計画が大阪湾沿岸一帯の山地地形 (とくに400~500mの等高線の形状) の対称性を把握した上で驚くべき高精度で設定されていることを示し、古代日本における高度測地技術の存在を推定した。
    その際、正しく東西に向いた総延長約43.3kmの大和計画中心線からは29, 60cmのいわゆる唐尺、南北に対して26.5°傾斜し総延長約34.0kmの仁徳計画中心線からは新規に31.37cm尺を検出し、とくに後者は崇神陵から石舞台古墳まで大和朝廷の主要古墳の基準尺となっているらしいことを提示した。
    今回は、「その2尺度論」として、大和朝廷ゆかりの前方後円墳の長さ・後円部直径および前方部幅などについてさらに詳しく分析し、31.37cm尺が大和朝廷の尺度系の基本となっていることをさらに明確にするとともに、その年代的・地域的変遷を解明し、さらにエジプト・ペルシャ・ギリシャ・ローマ・中国など古代世界の尺度系との深い関係を論じて、「大和尺」ともいうべき31.37cm尺の世界史的意義を明らかにした。
  • 沢田 正昭
    凍結および乾燥研究会会誌
    1989年 35 巻 4-7
    発行日: 1989/09/30
    公開日: 2017/08/01
    ジャーナル フリー
    The wooden objects had been buried underground almost completely soaked in water. Therefore, the wood was oversaturated with water, and the cellulose, the main component of wood, was nearly decomposed. If these wooden objects were let dry in a natural condition, they would quickly shrink and lose their original shapes. The freeze-drying method is principally applied to these wooden objects. First, the water in wooden objects is sufficiently replaced by tert-butyl alcohl. It is safer to treat the wooden objects with tertiary butanol of a low concentration first, and then, to impregnate them with pure tertiary butanol.
  • 犬木 努
    史学雑誌
    1990年 99 巻 5 号 636-643
    発行日: 1990/05/20
    公開日: 2017/11/29
    ジャーナル フリー
  • 青山 正治, 北原 大和
    鋳造工学 全国講演大会講演概要集
    2001年 139 巻 118-Y
    発行日: 2001年
    公開日: 2018/06/08
    会議録・要旨集 フリー
  • 奈良県天理市柳本町所在
    河上 邦彦, 泉 武, 宮原 晋一, 卜部 行弘, 岡林 孝作, 名倉 聡
    日本考古学
    1999年 6 巻 7 号 95-104
    発行日: 1999/05/14
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    黒塚古墳は奈良盆地の東南部,奈良県天理市柳本町に所在する全長約130mの前方部を西に向けた前方後円墳である。周辺一帯には多数の前期古墳が集中して分布し,大和古墳群と呼ばれる。1997年8月~1998年5月,1998年7月~1999年2月にかけて,奈良県立橿原考古学研究所・天理市教育委員会を主体とする大和古墳群調査委員会によって学術発掘調査が実施された。埋葬施設は後円部中央に南北に設けられた内法長約8.3mにおよぶ大規模な竪穴式石室である。石室石材は川原石と大阪府柏原市に産出する芝山玄武岩・春日山安山岩板石を使用する。石組の排水溝を備えているほか,石室の構築にあたっては前方部に向かってのびる切り通し状の作業道(墓道)を設けていたことが判明した。石室内におさめられていた木棺は,クワ属の巨木を使用した長さ6.2m,最大直径1mを超える割竹形木棺である。中世に大規模な盗掘を受けているが,それ以前に石室が大きく崩壊していたことが幸いし,盗掘は基本的に石室床面付近にはおよんでいない。結果として,副葬品の大半は後世の撹乱を免れ,奇跡的に埋葬当時の状況をとどめていた。副葬品は
    三角縁神獣鏡
    33面,画文帯神獣鏡1面のほか,大量の鉄製武器・武具・農工具類など豊富である。
    三角縁神獣鏡
    33面はすべて舶載鏡で,鏡式の上では三神三獣鏡を含まず,現在までに知られる最古の組み合わせである。7種15面の同笵鏡を含み,京都府山城町椿井大塚山古墳出土鏡との間に10種の同笵鏡を分有する。棺内副葬品は画文帯神獣鏡1面と若干の刀剣類のみで,それら以外はすべて木棺と石室壁体との隙間に置かれていた。また,
    三角縁神獣鏡
    はいずれも木棺側に鏡面を向け,西棺側に17面,東棺側に15面,棺北小口に1面を,棺の北半部をコの字形に取り囲むように配列していた。前期古墳の豊富な副葬品の内容と,副葬時の配列方法が具体的に判明する貴重な資料である。同時に,作業道(墓道)・排水溝の存在や石室壁体の構築状況,副葬品の配列状況などから,古墳祭祀の具体的復元に向けての良好な資料が得られた。築造時期は古墳時代前期前半と考えられる。
  • 化学と教育
    2016年 64 巻 5 号 S15-S18
    発行日: 2016/05/20
    公開日: 2016/12/27
    解説誌・一般情報誌 フリー
  • 西谷 正
    石油技術協会誌
    2010年 75 巻 4 号 277-285
    発行日: 2010年
    公開日: 2012/03/01
    ジャーナル フリー
    The queendom of Queen Himiko of the third century problem that becomes the national topic now. After all the subject is a problem of the location of queendom of Queen Himiko of the third century, and there are Kyushu opinion / Kinki opinion and moving from Kyushu to Kinki. The reason is because decisive evidence can lack in what do not watch an end at which opinion while having the history of the study to pass over those opinions than 280 years either. Yoshinogari site in the Kyushu opinion and Makimuku site in the Kinki opinion have important significance for each argument when I look back on history of slightly detailed study. However, for the candidate place of the grave of Himiko, the existence of Hashihaka tumulus in the Kinki opinion will work more profitably. In addition, it rises in the viewpoint of the northeast Asian history, and it may be said that that I elucidate the local actual situation of Japanese Islands each place is demanded most now.
  • 杉山 晋作, 寺島 孝一
    史学雑誌
    1982年 91 巻 5 号 586-596
    発行日: 1982/05/20
    公開日: 2017/11/29
    ジャーナル フリー
  • 福宿 孝夫
    書学書道史研究
    1991年 1991 巻 1 号 16-29
    発行日: 1991/06/30
    公開日: 2010/02/22
    ジャーナル フリー
  • 宮田 浩之
    史学雑誌
    1999年 108 巻 5 号 649-654
    発行日: 1999/05/20
    公開日: 2017/11/30
    ジャーナル フリー
  • 古瀬 清秀
    史学雑誌
    1984年 93 巻 5 号 612-617
    発行日: 1984/05/20
    公開日: 2017/11/29
    ジャーナル フリー
  • 犬木 努
    史学雑誌
    1995年 104 巻 5 号 652-657
    発行日: 1995/05/20
    公開日: 2017/11/30
    ジャーナル フリー
  • 倉林 眞砂斗
    史学雑誌
    1994年 103 巻 5 号 673-678
    発行日: 1994/05/20
    公開日: 2017/11/30
    ジャーナル フリー
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