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クエリ検索: "人間学"
9,131件中 1-20の結果を表示しています
  • ヴァルター ドレーアー
    教育哲学研究
    1973年 1973 巻 28 号 1-13
    発行日: 1973/11/15
    公開日: 2009/09/04
    ジャーナル フリー
    今日、「
    人間学
    」という概念は好んで使われる流行概念になっている。さまざまな個別科学がこの概念を使用するのは、この概念によってどのような形で理解された
    人間学
    であれ、個別諸科学の経験的な研究成果の
    人間学
    的な解釈を求めているのだ、ということを言い現わすためである。こうして、文化人類学 (Kulturanthropologie) と並んで、生物学的=、医学的=、社会学的=、心理学的=、および神学的
    人間学
    が確立されてきたのである。
    教育科学の内部においても同じように、このような『内部的な固有の
    人間学
    』 (Binnenanthropologie) が作り出されたのである。つまり教育的
    人間学
    である。以下において、教育的
    人間学が哲学的人間学
    に対してどのような関係にあるかを概略的に指摘することにしたい。その際に、私たちは多少詳しく哲学的
    人間学
    に論及し、そこから教育的
    人間学
    のいくつかの問題に対する展望を得ることにしたい。
  • 高橋 勝
    近代教育フォーラム
    2008年 17 巻 107-116
    発行日: 2008/09/12
    公開日: 2017/08/10
    ジャーナル フリー
    戦後教育学が生み出したコンセプトの一つに「発達と教育」があるが、教育
    人間学
    において、それに匹敵できるコンセプトは必ずしも明確ではなかったように見える。今回、矢野智司氏は、『贈与と交換の教育学』(東京大学出版会)の公刊に先だって、「『贈与と交換の教育
    人間学
    』という問題圏」と題する発表を行い、「純粋贈与としての教育」を、より一層具体化する作業を行った。そこでは、共同体の論理を乗り越える人間形成の論理が提示されたが、その重要な土台をなすキーコンセプトが「贈与と交換」であり、「死者への負い目」であり、「戦後教育学」である。今回の矢野提案を、教育
    人間学
    の立場からの自覚的な方法提示という視点から読み直すことで、矢野教育
    人間学
    の際だった特徴を浮かび上がらせると同時に、いくつかの問題点をも併せて検討していきたい。
  • 河合 裕二
    日本放射線技術学会雑誌
    1994年 50 巻 4 号 563-565
    発行日: 1994/04/01
    公開日: 2017/06/29
    ジャーナル フリー
  • 亀山 佳明
    日本体育学会大会号
    1999年 50 巻 S1002
    発行日: 1999/09/15
    公開日: 2017/08/25
    会議録・要旨集 フリー
  • 児童虐待事件に関する新聞記事のフレーム分析
    木野村 樹里
    総合
    人間学

    2023年 17 巻 96-112
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/09/06
    ジャーナル オープンアクセス
    本稿では、児童虐待に関する新聞記事のフレーム分析を通して、これまで自明視されてきた親から子への「愛」、親の子に対する「責任」という観念がいまだに人々の間で信頼を置かれているのかについて検討した。 分析対象として収集した記事は、主に記事の見出しと記事中の経過的に重要なことが書かれている段落で加害者がどのような人物として描かれているのかを元に、 (1)親不適格フレーム、(2)煩悶フレーム、(3)精神疾患フレーム、(4)その他の非難フレームの4つのフレームに分類した。分析の結果、いずれかのフレームに該当する記事に占める「親不適格フレーム」の割合は2000年から2012年にかけて減少しており、2022年ではさらにその割合は減少していた。一方、加害者を描くいずれのフレームも持たない記事では、児童相談所に対する批判が多くを占めていた。非難される対象が親から児童相談所へと変化したことは、親の子に対する「愛」への信頼の失墜であるといえる。 親の子に対する「愛」や「責任」といったものは、近年になってようやく「自明ではないもの」として扱われるようになってきた。このような状況下においては、人々はより大きな枠組みである児童相談所などのシステムに頼らざるを得ないのである。
  • 現代社会の権威主義的欲求といかに向き合うか
    菅原 想
    総合
    人間学

    2023年 17 巻 80-95
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/09/06
    ジャーナル オープンアクセス
    昨今の日本社会は不寛容な社会であると言われるが、そのような社会状況の背後には孤独や不安を抱える人間の権威主義的欲求がある。それは、確固たる支えへと埋没することによって不安を解消しようとする欲求である。その欲求は、自己反省の欠如や「わが家」をめぐる抑圧と排除の暴力として表出する。本稿では、現代社会の権威主義的欲求といかに向き合うかという問題について、E.フロムの自己愛の議論について検討する。不安を起点とする上述の連鎖は、自己愛によって絶つことができる。自己の存在に対する確かな肯定が不安を緩和する。自己愛が支えとなることで自己反省が可能になり、自己反省を通して「わが家」の絶対性は掘り崩され、抑圧と排除の暴力は軽減される。 愛の論理は、他者非難の不可能性に気づかせ自己責任の意味を再提示する。さらに、安心な社会の実現に向けて道徳の徹底とは異なる方向性として迷惑を受容しあう社会の可能性を提示する。平和な社会の実現を目指すのであれば、愛(思いやり)という基本的態度についての検討を欠くことはできない。平和な社会の基礎となる自己愛は他者から愛されることによって育まれる。他者から愛されることが自己愛を可能にし、自己愛が他者を愛することを可能にする。
  • 総合人間学の構築に向けて (4)
    古沢 広祐
    総合
    人間学

    2023年 17 巻 61-77
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/09/06
    ジャーナル オープンアクセス
    ⼈間とは何か、とらえ難い存在の全体像にアプローチするための一考察を試みてきた(試論)。大きくは宇宙的な視野で、時間・空間軸での私たち⼈間の存在を、簡略に把握するために3層構造として描いた(古沢 2018)。簡単に整理し直すと、①宇宙・生物的存在(いわゆる客観的世界)、②⼈間集団としての構成体(独自の秩序形成、社会・経済・政治・文化)としての存在、③私としての存在(独自の主観的世界に生きつつ共同主観的世界を共有しあう唯一無二な存在)、とまとめることができる。この三層構造によって俯瞰できる⼈間存在の在り様をわかりやすく図解し、⼈間とは何かを問うための手がかりにしたい。また三層についての相互関係とくに結節点を考えることが重要である。 今回はとくに、⼈新世という時代の把握のしかたとともに現生⼈類(ホモ・サピエンス)の進化プロセスの促進要因について論じる。文化進化に先駆けてのドメスティケーション(家畜・栽培化)の意義とともに、そこに内在する相補的関係性のダイナミズムについて考察する。
  • Scientific Attitudes Toward the Sacred
    小倉 建二
    総合
    人間学

    2023年 17 巻 17-31
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/09/06
    ジャーナル オープンアクセス
    進化論的無神論の経済的合理性は否定できず、エレガントな自然科学的世界像に人格神の居場所はないかのようである。他方、慰霊を適応的行為と見なすことには強い抵抗が予想され、原理主義や神秘主義やオカルトの集客力を侮るわけにもいかない。自然科学がいかに発達しようとも人類の大半は今後も霊的な救済を信じ続けるだろう。現代市民は合理性と聖性の間で右往左往している。二重真理説や不可知論もこの不幸な分裂状態を反映する。ゆえにもしも自然科学の精神と宗教的伝統を相対化する市民社会的態度とを最大限に尊重しつつも、「救済なき宇宙」という認識を乗り越えようとするのであれば、どうなるか。本稿では「経験科学の尊重」と「宗派からの自由」と「霊的原理への期待」の三つの実際的欲求を満たす統一的世界像を提示する。その理論的意義は、ポストモダニズムに反対し「聖なるもの」の通文化的普遍性を探り、超自然的存在を持ち込まずに自然科学の説明体系の内部に「聖なるもの」の究極性を回復する点にある。また、学問全般の「自然科学化」傾向への抵抗をモラル・サイエンスの歴史の流れの中で捉え、その方法論上の有効性を明らかにし、本稿の挑戦をその一環として位置づける。ここでの神の存在証明の挑戦は「科学(者)=自然科学(者)」という常識の問い直しであり、科学的価値と市民的価値の再統一である。
  • レオナルド・ネルゾンの「利害関心論証」
    太田 明
    総合
    人間学

    2022年 16 巻 45-57
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/04/07
    ジャーナル オープンアクセス
    ゲッチンゲン大学の哲学者レオナルド・ネルゾン(Leonard Nelson, 1882-1927)は、カント由来の批判哲学を自認しながらも、「利害関心」概念を軸に倫理学の体系を構築した。その中心には「人格の尊厳の平等」に基づく「利害関心の衡量原理」があり、それに基づいて政治・社会理論も動物の権利論も展開される。動物の権利論は1970年代以降に注目されるようになるが、倫理学的に基礎をもつネルゾンの説は極めて早期のものと考えられる。本論文では、ネルゾンにおける動物の権利論の仕組みを明らかにし、批判的な検討を加えたうえで、彼の動物の権利論の独自な点と問題点を検討する。
  • ―「総合人間学」構築のために (試論・その 3)
    古沢 広祐
    総合
    人間学

    2022年 16 巻 149-160
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/04/07
    ジャーナル オープンアクセス
    本稿は、総合
    人間学
    の構築のための私的な論考のシリーズ第3回目であり、2022 年大会シンポジウムのテーマ「ポストヒューマン時代が問う人間存在の揺らぎ」に関連した内容である。前半では、ポストヒューマンをめぐって、歴史的な経緯や関連の動き、思想や世界観に関する主要な論点をまとめて論評している。後半では、人間の能力面での拡張様式に関して、多様な姿と在り方を論じるとともに、問題点を論評している。 主要な論点としては、人間存在の多面性をより深く理解すること、個人の能力拡張の側面だけでなく、人間とAIや機械の有機的集合体が形成する影響力への批判的認識と制御が重要であることを指摘している。
  • 岡部 美香
    近代教育フォーラム
    2014年 23 巻 57-66
    発行日: 2014/10/11
    公開日: 2017/08/10
    ジャーナル フリー
    本稿では、関根氏のフォーラム報告論文における問題提起を受け、フォーラム当日に出た二つの質問を手掛かりとしながら、あらためて森昭の思想に即しつつ、教育
    人間学
    にとって政治とは何かについて考察する。戦後直後、教育(啓蒙)すべき内容として現出した政治に対し、森は慎重に距離を取り、むしろ教育者の姿勢として現出する政治のあり様を問うた。さらに後期の森、またその後の教育
    人間学
    の研究者は、教育者および教育学研究者の身ぶりとして現出する政治についても省察的かつ自覚的であろうとしている。このように政治を広義に解釈するなら、教育
    人間学
    はそもそも本来、教育(学)の内外で生起している政治的な出来事に応答しつつ論じられるはずのものだといえる。関根氏の問題提起は、教育
    人間学
    のそうした政治性を思い起こさせ、そのあり方を問う契機を私たちに提供するものである。
  • ―「いのちへの世話」をめぐる教育人間学的一素描―
    鳶野 克己
    教育学研究
    2018年 85 巻 1 号 33-41
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/10/17
    ジャーナル フリー
  • 金子 昭
    宗教研究
    2009年 83 巻 2 号 409-430
    発行日: 2009/09/30
    公開日: 2017/07/14
    ジャーナル フリー
    人間は、他なる者との人格的な交わりとしての「対話」において存在し、そこに人間性に基づく
    人間学
    humanology,Humanologieが成立する。対話は、対話的原理dia-logosより成り立つ。この原理は、相互に分かち合う真理であり、関係概念から出発する人間存在のロゴスである。「我-汝」の対話的関係性は両者の人格的な共鳴を持つ「対」概念であるが、ここには逆説と創造の契機が存在する。さらにまた、対話的倫理は宗教的
    人間学
    としての展開可能性を有している。この
    人間学
    においては、宗教は対話という回路を発見して倫理に目覚め、倫理はその本質的意義たる対話を通じて宗教に至る。倫理的・宗教的
    人間学
    (ヒューマノロジー)は、この対話的原理により従来の
    人間学
    (アンソロポロジー)を踏み越えた逆説的・創造的人間理解をもたらすものである。
  • 星野 英紀
    佛教文化学会紀要
    2009年 2009 巻 18 号 21-46
    発行日: 2009年
    公開日: 2017/09/08
    ジャーナル フリー
  • -VE.フランクル『夜と霧』を通して一
    眞次 浩司
    人間と医療
    2013年 3 巻 31-39
    発行日: 2013年
    公開日: 2022/03/07
    ジャーナル フリー
    We ponder the future (in die Zukunft sehen). Why do we ponder the future? It is because the future is an area that is undecided, open, and uncertain. Therefore, we ponder the future. Still, the future is uncertain for us. Despite the fact that the future is uncertain, we ponder the future. This study, then, addresses whether there is any meaning for us in pondering the uncertain future. Specifically, the question is this: "what meaning is there for us to ponder the future?" In order to investigate this question, the paper examines passages from Man s Search for Meaning (Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager) by V. E. Frankl from the perspective of philosophical anthropology, shedding light on what it means for us to ponder the future. The study shows that when we ponder the future, we form a situation that emerges from our daily life. Moreover, it is characterised by subtle and unremarkable expectation which is emotional (Gefühl) and related to our mood (Stimmung). It refers to an open situation in which a meaning is realised and autonomous decision making by each individual is required through experiential encounters among human beings and between human beings and the world. Under certain circumstances, we no longer depend upon the system of norms which corresponds to the view of human beings that has already been confirmed. Each time we ponder the future, cach time we continue to ponder the future, we renew our expectation, hope, and prayer. The meaning of pondering the future is found in this state where we do not let go of it while we give up on it.
  • 関根 宏朗
    近代教育フォーラム
    2014年 23 巻 39-55
    発行日: 2014/10/11
    公開日: 2017/08/10
    ジャーナル フリー
    本稿は、現代における広義の教育
    人間学
    の政治化可能性について実験的に考察するものである。まず上記課題の提示をおこない(第1節)、そのうえで、わが国における教育
    人間学
    の「金字塔」(矢野智司)とも評される森昭の仕事のうちに原初的に含まれていた当該要素を読解する(第2節)。そしてそこで浮かび上がった枠組みを、臨床家フロムと哲学者マルクーゼとの論争地平に照応するとともに(第3節)、この地平上における二人の揺れまたは動きをその背景とともに確認する(第4節)。そうして得られたところから、個体的および政治的な出来事へとコミットすることの意味をふまえつつ、教育
    人間学
    のありうべき政治化可能性を展望する(おわりに)。
  • 寺石 悦章
    四日市大学総合政策学部論集
    2007年 6 巻 1_2 号 1-19
    発行日: 2007/03/01
    公開日: 2019/12/01
    ジャーナル フリー
  • 西村 拓生
    近代教育フォーラム
    2014年 23 巻 77-87
    発行日: 2014/10/11
    公開日: 2017/08/10
    ジャーナル フリー
    「京都学派」教育
    人間学
    の思想を「政治」へと「折り返す」という関根会員の提題は、教育の思想が現実と如何にかかわり得るのか、という問いにつながる重要な問題提起であると考える。しかし、その可能性を追求するためには、まず京都学派教育
    人間学
    の重層性を充分に考慮する必要がある。そこで小論では、矢野智司、田中毎実、皇紀夫という三氏の思想を系譜論的視点から検討し、それぞれの思想的体質や議論の焦点を敢えて対比的に捉えることを通じて、京都学派教育
    人間学
    の暫定的なマッピングを試みる。それぞれのキーワードは、生命性と超越、臨床性から公共性へ、言葉の内と外、である。これらの思想的布置を描いた上で、最後に、京都学派に固有の生命論、生成論を特徴づける本覚思想的契機を踏まえて「政治」を展望する可能性と困難について論及する。
  • 氏家 重信
    教育哲学研究
    2001年 2001 巻 83 号 121-122
    発行日: 2001/05/10
    公開日: 2009/09/04
    ジャーナル フリー
    本書の性格をもっとも端的に示すように思われるので,まずは内容目次を記してみる。
  • 阿部 悟郎
    日本体育学会大会号
    2004年 55 巻 004K10001
    発行日: 2004/09/01
    公開日: 2017/08/25
    会議録・要旨集 フリー
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