本稿では、保育の場で生じたことを体感も含めて問い直した守永英子が, その子の気持がわかった、その子とつながれた経験を中動態で表現した省察と語りを読み解くことで, その経験の内実とそれに至るまでのプロセスを明らかにすることを目的とした. その結果, その子の気持ちがわかった, その子とつながれた経験を中動態で表現するまでに, 守永は, その子の気持ちを肯定的に理解しようと考え, その子の気持ちが肯定的に動くための対応を考えると共に, その子の気持ちを無になって感じようとしていた. 子どもの気持ちをめぐって考える側面と感じる側面は互いを喚起していた. そのプロセスを経て, その子の表情や声や動きに五感の働きや身体で連動した守永に, その子と同じ気持ちが生じたことが, その子の気持ちがわかったと守永が中動態で表現した経験の内実であり, その子とつながれた経験であった. 子ども理解に必要とされる共感については, 子どもとの間で中動態的に生じることとして捉え直す必要があるのではないかと考える.
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