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クエリ検索: "八重瀬町"
117件中 1-20の結果を表示しています
  • 金澤 英作
    Anthropological Science (Japanese Series)
    2012年 120 巻 2 号 153-155
    発行日: 2012年
    公開日: 2012/12/21
    ジャーナル フリー
    このたび大山氏の生誕100年を記念して,沖縄県島尻郡
    八重瀬町
    の町立具志頭歴史民俗資料館において,沖縄県立博物館・美術館と同資料館の合同企画展「発見への情熱」が開幕した。開会式に合わせて,日本人類学会から大山盛保氏に学会功労賞を授与することになったので,会長として式に参加した。大山盛保氏の業績とともに,学会功労賞の意義,その後の港川フィッシャー遺跡などについて紹介する。
  • 上杉 和央
    人文地理
    2018年 70 巻 4 号 457-476
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/12/31
    ジャーナル フリー

    景観に刻まれた過去の記憶をめぐる問題は,歴史と地理の2つの視点を必要とする論点であり,沖縄戦の舞台となった沖縄は,そうした議論の事例地の1つとして相応しいものである。ただし,これまでの研究のほとんどが激戦地のなかでも糸満市域を事例としたものであった。本稿はこうした状況をふまえ,糸満市と同じく激戦地として知られる

    八重瀬町
    を事例として選択し,1972年以前に建立された沖縄戦戦没者慰霊碑の建立経緯や変化をたどり,慰霊空間の形成された過程を論じることで,沖縄戦の死と追悼の景観のより多様な状況を提示することを目的とする。
    八重瀬町
    域には富盛地区と具志頭地区に慰霊空間が形成されているが,そうした慰霊空間の地理的偏差の生じた背景には,慰霊碑の建立や慰霊空間の整備に関わった地区住民,琉球政府や沖縄遺族連合会,また県外の遺族といった多様な主体の動きが重要であったことを明らかにした。また慰霊空間として明確に選択される場所には歴史的・地理的な要因があったことを指摘した。

  • 藤田 祐樹
    第四紀研究
    2017年 56 巻 3 号 121-129
    発行日: 2017/06/01
    公開日: 2017/08/03
    ジャーナル フリー

    沖縄の旧石器時代遺跡からは,国内はもとより,東アジア地域で希少な人骨が発見されている.琉球列島に広く分布する石灰岩が骨の保存に適しているためと考えられており,また,近年の調査では,石灰岩鍾乳洞を旧石器人が生活の場や埋葬の場として利用していたことも明らかになりつつある.さらに,そうした調査で明らかになった旧石器人の暮らしぶりは,海産貝を素材として多様な道具や装飾品を作り上げ,淡水産のモクズガニやカワニナなどの水産資源を利用するなど,島環境に適応したと捉えられるものだった.こうした調査研究成果をうけて,近年,沖縄島南部の旧石器時代遺跡では,遺跡の保全・活用の体制が進展している.本稿では,そうした現状を報告し,ジオパーク的視点からの活用の今後の展望について検討する.

  • 中尾 史郎
    日本応用動物昆虫学会誌
    2014年 58 巻 1 号 55-59
    発行日: 2014/02/25
    公開日: 2014/05/01
    ジャーナル フリー
    To confirm inheritance of wing form and reproductive diapause of female Thrips nigropilosus, and prevalence of brachypterous and diapausing females in winter populations on the Ryukyu Islands, field sampling and rearing trials at 18°C were conducted. Kainan-shi (34.2°N) females from Honshu Island developing under short-day photoperiods (≤11.5 hours light) entered reproductive diapause, whereas Miyakojima-shi (24.1°N) and Yaese-cho (26.1°N) females from the Ryukyu Islands never entered diapause even under shorter day lengths. All Kainan-shi females molted into brachypters under short-day conditions (≤11 hours light) and became macropters under long-day conditions (≥12 hours light). The percentage of brachypters in Yaese-cho and Miyakojima-shi females developing under short-day conditions (≤11 hours light) was less than 50%, and no females developed into brachypters under photoperiods with at least 11.5 hours of light. Under short-day conditions (10 hours light), 93% of females molted into brachypters and 35% of females entered diapause in F1 hybrids between Yaese-cho females and Kainan-shi males. Macropters and brachypters were found in the field in overwintering adult females on Okinawa Island.
  • 諏訪 元, 藤田 祐樹, 山崎 真治, 大城 逸朗, 馬場 悠男, 新里 尚美, 金城 達, 海部 陽介, 松浦 秀治
    Anthropological Science (Japanese Series)
    2011年 119 巻 2 号 125-136
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/12/22
    [早期公開] 公開日: 2011/11/22
    ジャーナル フリー
    港川フィッシャー遺跡からは個体骨4体分を含む「港川人骨」が知られている。人骨と共に採集された木炭片から18250 ± 650 BPと16600 ± 300 BPの未較正14C年代測定値が得られているが,出土情報の詳細が出版されていなかったことから,人骨と年代値との関係は定かでなかった。そこで,今回,現存する調査記録と出土情報を確認・分析し,特に,大山盛保と渡辺直経らによる1970年の「港川人骨」の発掘・採集について可能な限り明らかにした。東京大学に保管されてきた港川フィッシャー遺跡出土の動物骨と人骨に関連して,従来から,番号付きの資料カードが作成されており,出土グリッド,採取年月日,人骨片の部位などが記されている。これらの詳細情報と大山盛保による手記と図,および渡辺直経の記述は互いに整合性が高く,以下のことを確認することができた。1)港川2号・3号・4号人骨は,主として,渡辺が沖縄訪問中の1970年8月21日~23日の間にグリッドA2/A3~C4の範囲から採取・発掘されたものである。2)港川1号人骨は,主として1970年9月~11月に,グリッドC5/C6~D6にかけて大山が発見・採取したものである。3)14C年代測定の対象となった木炭片は2号・3号・4号人骨とイノシシ骨多数を産出した粘土層から採取したものと推論できる。また,今回の再評価調査の過程で,港川フィッシャー遺跡と山下町第一洞穴遺跡の人骨について,若干数の未発表資料を確認した。そこで,両遺跡関連の人骨資料について改めて標本リストを作成した。
  • 寒河江 健一, ハンブレ マーク, 小田原 啓, 千代延 俊, 佐藤 時幸, 樺元 淳一, 高柳 栄子, 井龍 康文
    地質学雑誌
    2012年 118 巻 2 号 117-136
    発行日: 2012/02/15
    公開日: 2012/08/03
    ジャーナル フリー
    沖縄本島南部には,主に第四紀更新世のサンゴ礁複合体堆積物からなる琉球層群が広く分布する.本地域の琉球層群は,糸満層,那覇層,港川層よりなる.糸満層は本地域内に散点的に分布し,主に溶解・侵食を受け赤色化した現地性の皮殻状無節サンゴモに富む石灰岩からなり,層厚は2 mを超える.那覇層は糸満層と不整合ないし同時異相の関係にあり,その分布高度は約170 m,層厚は50 mに達する.本層は4つのユニットの累重体であり,ユニット1~3は浅海相であるサンゴ石灰岩から沖合相である石灰藻球・Cycloclypeus-Operculina・砕屑性石灰岩へと上方深海化する整合一連のシーケンスよりなり,ユニット4は沖合相のみから構成される.石灰質ナンノ化石生層序は,那覇層の堆積は1.392~1.706 Maに始まり,0.853 Ma以降まで継続したことを示す.港川層は港川と喜屋武岬西方に分布し,層厚は約20 mに及ぶが,分布標高は50mを超えない.本層の地質年代は不明である.
  • 貴島 圭介, 喜久村 智子, 大野 豪
    日本応用動物昆虫学会誌
    2011年 55 巻 1 号 19-22
    発行日: 2011/02/25
    公開日: 2011/05/07
    ジャーナル フリー
    When flower thrips Frankliniella intonsa (Trybom) increased in February and April 2009 in a bell pepper greenhouse on Okinawa Island, southwestern Japan, we found a marked injury to the fruit skin that has not been reported to date. The characteristics of the fruit damage are described and illustrated. A large number of larvae of F. intonsa were observed in the damaged portions. The same damage was induced when larvae or adults were inoculated into the surface of bell pepper fruit under laboratory conditions. These results indicate that F. intonsa caused the injury. We must remain alert to possible expansion of this injury.
  • ―過去が可視化されるとき―
    *上杉 和央
    人文地理学会大会 研究発表要旨
    2015年 2015 巻 410
    発行日: 2015年
    公開日: 2020/06/13
    会議録・要旨集 オープンアクセス
  • 上地 奈美, 大石 毅, 安田 慶次, 山岸 健三, 谷口 昌弘, 湯川 淳一
    九州病害虫研究会報
    2007年 53 巻 107-110
    発行日: 2007/11/10
    公開日: 2009/05/22
    ジャーナル フリー
    Contarinia maculipennis Felt (Diptera: Cecidomyiidae) is an invasive pest from Southeast Asia, and it has a wide host range across 7 plant families. In Okinawa, this species infests flower buds of Dendrobium phalaenopsis, Dendrobium spp. (Orchidaceae), and Momordica charantia (Cucurbitaceae). During the rearing experiments of C. maculipennis larvae, we obtained 2 endoparasitoid species belonging to the genus Synopeas (Hymenoptera: Platygastridae). This platygastrid species that parasitized C. maculipennis larvae in Dendrobium flower buds differed from another species that parasitized C. maculipennis in Momordica flower buds. Although many platygastrids have been known to be parasitoids of various cecidomyiid species, this is the first record of platygastrids attacking C. maculipennis. There are 2 possibilities regarding the derivation of these parasitoids. One possibility is that they have been accidentally introduced to Okinawa together with Dendrobium and gall midge larvae. Another possibility is that these parasitoids are native species and have expanded their host range from unknown native insects to C. maculipennis.
  • 寺崎 竜雄, 土屋 俊幸
    林業経済研究
    2019年 65 巻 1 号 81-91
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/07/31
    ジャーナル フリー
    観光旅行者の行動の多様化にともない観光行動による地域資源の劣化・喪失や地域住民の生活環境の悪化が生じている。その対処策として地域社会が主導して観光旅行者の行動を調整・制御しようとするローカルルールが着目されている。本研究では,ローカルルールの内実を整理・類型化する枠組みの提示を目的として,沖縄県内の各所で制定・運営されているローカルルールを網羅的に抽出し比較分析を行った。関係各所への聞き取り調査などを通して46の事例を特定して内容を個別に検証した結果,各ローカルルールは,1) 守るべき対象,2) 適用(調整・制御)対象となる観光行動,3) 制定・運用の仕組みの3つの主要な構成要素に沿った分類軸によって整理・類型化できることがわかった。さらに,この枠組みに基づいて各ルールを類型化した上で,ローカルルールの現状と課題を考察した。
  • 兼子 尚知, 伊藤 孝
    地質調査研究報告
    2006年 57 巻 5-6 号 159-168
    発行日: 2006/11/30
    公開日: 2014/06/21
    ジャーナル フリー
    本稿では,兼子(1994)及び兼子・伊藤(1995,1996)の“赤色石灰岩(reddish limestone)”を新たに「糸満層(Itoman Formation)」と命名・記載し,その堆積年代がストロンチウム同位体組成から約 1.3 Ma と推定されることを報告する.糸満層は,沖縄島南部地域において,サンゴ礁複合体堆積物とそれに関係する地層で構成される琉球層群の基底部をなす地層として位置づけられる.すなわち,糸満層が形成された時期は,琉球列島における更新世のサンゴ礁発達の初期にあたり,その年代値の推定は琉球列島の構造発達史や周辺サンゴ礁の形成史を考察するうえで重要である.
  • ―沖縄県の「第5次観光振興計画」を例に―
    金城 盛彦
    日本国際観光学会論文集
    2017年 24 巻 25-32
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/06/12
    ジャーナル オープンアクセス
    Tourist consumption is the target index of this paper. This is because tourism consumption is the engine of the economic impacts of tourism not only in Okinawa but also in other destinations. In this paper, the method of decomposing the product of factors will be used to decompose tourist consumption in Okinawa. This is because consumption is the product of “number of visitors” and “per-tourist consumption.” Compared to the method of decomposing the sum of factors, the method of decomposing the product of factors is much more complicated. Therefore, there are few cases of applying this method. In this paper, the method will be applied to monitor the 5th Basic Plan for Tourism of Okinawa to ensure the effectiveness of that plan. According to the results of application of this method, it would seem to be difficult to achieve the goals of the plan even though only just past one-half of the planning period has passed.
  • *平野 優人, 羽田 麻美, 青木 久
    日本地理学会発表要旨集
    2024年 2024s 巻 P021
    発行日: 2024年
    公開日: 2024/04/19
    会議録・要旨集 フリー

    1.はじめに

     石灰岩で構成されるカルスト地形の一つに,石灰岩堤がある.石灰岩堤とは,比高が10m内外の堤防状の高まりをもつ地形で,熱帯・亜熱帯地域に発達すると考えられている.琉球石灰岩から成る沖縄島南部では,断層崖沿いに石灰岩堤が発達している.石灰岩堤は,断層崖表面でケースハーデニング(表面硬化作用)が生じ,断層崖が溶食から取り残された高まりであると報告されているが,崖表面の力学的強度の把握に基づいた研究は全くない.

     そこで本研究では,断層崖に沿って発達する沖縄島南部の石灰岩堤を対象として,シュミットロックハンマーを用いて断層崖表面の力学的強度を計測することにより,ケースハーデニングが生じているかどうかの実証を行い,石灰岩堤の形成について考察することを目的とする.

    2.調査地域の概要と調査方法

     沖縄県南部には,琉球石灰岩からなる石灰岩堤が活断層に沿って様々な方向に分布する.本研究では,糸満市大度地区と

    八重瀬町
    玻名城地区にみられる2つの石灰岩堤を調査対象とした.選定理由は,これらの石灰岩堤には,断層崖を人工的に切りとった切取面が存在し,断層崖に比べて新鮮と思われる石灰岩が露出するためである.そこで,各石灰岩堤において断層崖表面の露頭と切取面の露頭を調査地点として設定し,石灰岩表面の観察,シュミットロックハンマーによる岩石強度の計測を実施し,比較検討を行った.

    3.調査結果と考察

     まず,石灰岩堤において断層崖と切取面の結果を述べる.岩石強度は,断層崖表面よりも切取面の方が小さかった.現地観察より,断層崖表面では,光沢をもつ薄層が広範囲に覆っている様子が観察された.この薄層は,一度溶解した石灰分が再結晶化した物質であると推察される.このことから,断層崖表面では溶け出したカルシウムが再結晶化し,ケースハーデニングが起こっていると解釈できる.

     次に,大度の石灰岩堤に関与する断層は大度海岸まで連続しており,そこには海食洞が発達する.波食作用の影響の小さい海食洞奥の内部壁面を,断層崖として地表に露出する前の断層面とみなし,シュミットハンマー計測を実施した.その結果,海食洞壁面の強度は,断層崖よりも小さく,切取面とほぼ同じ値を取ることがわかった.このことから,ケースハーデニングは,断層面が断層崖として地表に露出した後に開始されると解釈できる.

     最後に,石灰岩堤の形成プロセスを考察する.まず断層運動に伴う垂直変位により,断層面が地表へと露出して断層崖が形成される.断層崖が形成されると,崖表面は降雨による溶解と日射による強い乾燥作用を受け,カルシウムの再結晶化が起こり,ケースハーデニングが生じる.その結果,断層崖の溶食(や侵食)に対する抵抗性が大きくなり,崖頂部を高まりとした石灰岩堤が形成される.

    付記 本研究は科研費(19K01160)の助成を受けて実施された成果である.

  • 名和 規夫, 青木 進, 中尾 仁
    農業土木学会誌
    2006年 74 巻 12 号 1107-1110,a2
    発行日: 2006/12/01
    公開日: 2011/08/11
    ジャーナル フリー
    沖縄本島南部地区一帯は台地を形成しており, これら台地を造る琉球石灰岩は, 空隙に富み透水性が極めて大きく, 台地上に降った降雨の大部分は, 浸透して地下水として海に流出するため, 河川が皆無である。さらに台地上の畑地は,「島尻マージ」 と呼ばれる保水力の乏しい土壌と相まって, 地域の農家は, 恒常的な干ばつに苦しめられ, 不安定な営農を強いられてきた。このため, 糸満市および
    八重瀬町
    (旧具志頭村) の1,352haの畑地を対象に, 国営沖縄本島南部かんがい事業が, 平成4年度から17年度に実施された。地下ダムによる水源開発の過程を概観し, 国営事業の実施内容, 地下ダムからの用水供給による営農変化, 管理上の課題等について整理した。
  • 嵩原 建二, 髙良 淳司, 安和 守浩, 天野 洋祐
    日本鳥学会誌
    2009年 58 巻 2 号 208-211
    発行日: 2009/10/24
    公開日: 2009/11/01
    ジャーナル フリー
  • 岡本 牧子
    日本科学教育学会研究会研究報告
    2020年 34 巻 10 号 81-86
    発行日: 2020/06/20
    公開日: 2020/06/17
    研究報告書・技術報告書 フリー

    日本の手漉き和紙技術は,ユネスコの無形文化遺産に登録されるなど世界に発信できる日本独自の文化である.特に南西諸島及び台湾に生息するアオガンピ(青雁皮)を原料とする琉球紙の製造技術は,沖縄県独自のテーマとして特色のある教材となるが,原料の調達が困難なため持続可能な教材として未だに確立していない.本研究では,学校現場での原料調達を可能にするべく,中学校技術科の生物育成分野の学習教材として取り扱えるよう,アオガンピの栽培方法やコスト,学習指導計画等を提案し,沖縄県独自の和紙製造技術を教材化することを目的としている.本論文では,アオガンピの栽培方法について専門用語をなるべく使用せず,学校現場でも準備可能な道具や方法についてまとめたので報告する.

  • 中嶋 鉄利
    繊維機械学会誌
    2009年 62 巻 3 号 185-189
    発行日: 2009年
    公開日: 2021/01/25
    ジャーナル フリー
  • 鈴木 一馨
    宗教研究
    2014年 87 巻 Suppl 号 412-413
    発行日: 2014/03/30
    公開日: 2017/07/14
    ジャーナル フリー
  • ―南城市玉城・前川集落などを事例に―
    *山元 貴継, 鎌田 誠史, 浦山 隆一, 澁谷 鎮明
    日本地理学会発表要旨集
    2014年 2014s 巻 832
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    報告の背景と目的
      沖縄本島南部および宮古・八重山諸島を含む広い範囲で,「格子状集落」と呼ばれる,長方形状の街区群によって構成された集落がみられる.この「格子状集落」は,琉球王朝下で18世紀以降,既存集落の再構成や,集落移転などを伴う新規集落造成の中で,各地にみられるようになったとされる.そして,「格子状集落」の成立は,琉球王朝が実施した,土地はあくまで集落共有のものとして私有を認めず,住民には耕作権などのみを与えるとする土地旧慣「地割制度」が背景となっていることが指摘されてきた.土地を計画的に配分し,一定期間後にはその再配分を行う「地割制度」の前提のもと,四角形かつほぼ同面積の屋敷地を整然と配列させた街区群で構成された「格子状集落」が,琉球王朝下で広くみられるようなったという解釈となる.
     ただし「格子状集落」も,土地整理事業(1899年~)に伴い「地割制度」が撤廃されて土地の私有が進み,土地集積や細分化も進展して,さらには沖縄戦の被害も受けた.その沖縄戦の中で,土地整理事業以降使われてきた地籍図の多くが失われ,住民も大きく入れ替わっており,「格子状集落」の原型的な構造がどのようなものであったのかについて明らかにしにくくなっている.そこで本報告では,かろうじて土地調査事業当時のものとみられる地籍図面の写しを残す南城市玉城(旧玉城村)の前川集落などを事例とし,それらの図面をもとに,「格子状集落」に映る集落について,原型的な空間構造の復元を試みる.同時に,聞き取り調査および現地確認の成果をもとに,周囲の農耕地を含めたそれらの構成がいかなる条件のもとで形づくられた可能性があるのかを検討する.
    研究対象集落の空間構成
      前川集落は,『球陽』などによれば,1736年に現位置に移すことを認められた.かつて住民の多くは,ここから1km以上離れた通称「古島(旧集落)」に居住していたが,以降段階的な住民の移住と,後の人口増加により,前川集落は現在のような規模に発達した.現在集落は,南向き緩斜面の標高45~90mにわたって長方形状の街区が整然と並び,そこに住宅が建ち並んで,まさしく「格子状集落」となっている.
     土地調査事業に基づく地籍図面などを確認すると,宅地の増加や細分化以前の,同集落の原型的な空間構造を把握できる.そこでは,「格子状集落」とはいえ同集落内の街路は大きく曲線を描き,各街区が弓なりな形態をみせていたことがより明確となる.また,全体的には南北方向1筆×東西方向3~7筆で構成された「横一列型」街区が卓越するものの,とくに集落中央部などにおいて,南北方向が2筆となるといった不定型な街区もみられる.ほかに各宅地(屋敷地)は,地筆により約2倍の面積差があったことが明らかとなった.面積が大きく不定型な宅地は相対的に集落の中央部にあり,そこから上方・下方に向かうに従って,それぞれ正方形に近く定形で,比較的面積の小さい宅地群がみられるようになる.そして,これらの宅地群の周囲には同心円的に,集落の宅地部の幅の約2倍長さを半径とする範囲まで,農地が展開していた.その範囲の周囲を取り囲むように,第二次世界大戦の前後までは,「抱護」と呼ばれた松並木群があったとされ,その存在を示す山林地筆が環状に分布していた.
     こうした傾向を,国土基本図および航空写真の判読で明らかになる地形条件と重ね合わせてみると,集落のうち宅地は,緩斜面の中でも舌状になっている部分に発達していることが示される.そして,面積の大きい宅地は傾斜約1/10の斜面部分を中心に存在しており,比較的面積の小さい宅地群は,そこからより急斜面となる上方と,ほぼ平坦地となる下方へと展開していた.同様の構成は,
    八重瀬町
    具志頭(旧具志頭村)の安里集落などでも確認できる.また,宅地-農耕地の外側を囲む形になる山林地筆は,集落周囲の急崖や,わずかな高まりを丁寧にたどって分布していた.
     「格子状集落」拡大のプロセス
     
    以上の分析の過程においては,住民の多くがかつて居住していた「古島」の平坦地を離れて,この舌状の緩斜面に「格子状集落」を展開させた形となることが明らかとなる.そして,集落中央の面積が大きく不定型な宅地は,集落内でも最も早期に移住者の子孫が居住してきた屋敷地に該当する.そこを軸に当初は上方に,後に下方に街区を拡大させて現在の集落構成となったとする住民の認識をもとにすれば,集落の拡大はより急斜面での街区の造成を伴っていた.その過程において,東西方向の等高線に沿うような曲線街路が設定されることになり,かつ,各屋敷地内にあまり高低差をつくらないようにする,南北方向の幅を狭くした宅地群-「格子状集落」を形づくる「横一列型」街区が前提となったのではないかと想定された.
  • 吉野 亨
    宗教研究
    2016年 89 巻 Suppl 号 214-215
    発行日: 2016/03/30
    公開日: 2017/07/14
    ジャーナル フリー
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