聖憲(1307~1392)は頼瑜(1226~1304)の加持身説を継承し、新義真言教学を大成させた。また、頼瑜以降の未整理で膨大な論義の算題をまとめ、『大疏百条第三重』(以下『大疏第三重』)『釈論百条第三重』を撰述するなど、新義真言宗にとって極めて重要な人物の一人である。その一方で、久米田寺の盛誉(1273~1351)に師事し、精力的に華厳教学を学んでおり、『五教章聴抄』(以下『聴抄』)を撰述している。従って、聖憲は新義真言宗の学僧であると同時に、華厳の学僧という顔も持ち合わせている。
華厳独自の成仏論に、三生成仏論がある(1)。華厳教学では、性起思想に基づく旧来成仏、行位論に基づく信満成仏など、様々な側面から成仏論が語られるが、そのなかで成仏までの所要時間をめぐる議論の中で登場するのが三生成仏論である。三生成仏は華厳宗第二祖の智儼によって提唱され、それを第三祖法蔵(643~712)が定式化すると、以降華厳教学における中核的問題の一つとして受け継がれていく。真言宗においても、空海(774~835)が華厳宗に対して言及する際に三生成仏を度々取り上げるなど、華厳教学を表す代表的なタームとして認識されている。
三生成仏とは、見聞生・解行生・証入生の三生を経て成仏に到るという成仏論であり、『仏教語大辞典』においても「過去世における(別教一乗の)見聞〔生〕、現在世における解行〔生〕、未来世における証入〔生〕(真理をさとること)によって、三﹅生﹅涯﹅で仏となること(2)」と、三つの生涯を経る成仏であると説明されている。
しかしながら、法蔵以降の中国華厳、ひいては日本華厳においても、三生成仏に対する解釈の在り方は一様ではない。「三生」を現実の時間の中でどう捉えるのかを考えるとき、様々な解釈が生じてくる。つまり、この三生を、現実の時間でいうところの三つの生涯とみるのか否か、という問題である。これについて先行研究をみると、大きく三説あるようで、それは、①三生隔生説、②二生成仏説、③一生成仏説の三つである(3)。
このなか、聖憲が、『聴抄』において一生成仏説を取ることは注目に値する。なぜなら、三生成仏に対し、多くの華厳の学僧が三生隔生説か二生成仏説を取るなかで、聖憲の一生成仏説は「極端な見解(4)」に見えるからである。そして、真言教学から見れば、この一生成仏説は、即身成仏をも想起させる(5)。さらに、もう一つ注目すべきことがある。それは華厳の成仏について、『聴抄』では一生成仏を主張しながら、『大疏第三重』では一乗経劫を説くことである。要するに、『聴抄』と『大疏第三重』では、華厳の成仏に対する聖憲の見解が異なっている。
そこで本稿では、聖憲が華厳の成仏に対してどのような立場をもって解釈しているのか、あるいは真言の成仏論との関係をどのように捉えているのか、その他の学僧の解釈と比較しながら少しく考察してみたい。
なお本稿では、聖憲の著作の中から、三生成仏に関する言及のある『大疏第三重』『聴抄』『王心鈔』を扱うが、『大疏第三重』『王心鈔』は真言学僧として、『聴抄』は華厳学僧として書かれたものとする(6)。
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