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クエリ検索: "原田芳雄"
9件中 1-9の結果を表示しています
  • 須田 久美
    昭和文学研究
    2017年 74 巻 203-205
    発行日: 2017年
    公開日: 2022/07/01
    ジャーナル フリー
  • 本江 元吉
    日本農芸化学会誌
    1958年 32 巻 8 号 A101-A105
    発行日: 1958年
    公開日: 2008/11/21
    ジャーナル フリー
  • 山上 英男
    文学と教育
    2011年 2011 巻 214 号 54-63
    発行日: 2011/08/01
    公開日: 2017/03/20
    ジャーナル フリー
  • 藤城 孝輔
    映像学
    2022年 108 巻 101-121
    発行日: 2022/08/25
    公開日: 2022/09/25
    ジャーナル フリー

    村上春樹作品への日本映画の影響はこれまで十分に論じられてこなかった。実際、両者の関係は決して明白とはいえない。先行研究が指摘するとおり、小説内での明示的な言及は『1Q84』(2009-10年)に黒澤明の『蜘蛛巣城』(1957年)と『隠し砦の三悪人』(1958年)が登場する程度である。エッセイや数少ない映画評で邦画が話題に上ることはあるものの、映画をテーマとするほぼ唯一の書籍といえる『映画をめぐる冒険』(川本三郎との共著、1985年)の中で日本映画が論じられることはない。

    本論文は村上が1980年から1981年にかけて雑誌『太陽』に連載していた映画評を手がかりに村上の小説『騎士団長殺し』(2017年)と鈴木清順のポスト日活時代の映画との間テクスト性を検討する。特に村上が「実像と幻影、真実と虚構、過去と現代を一体化させたその映像は息を呑むばかりに素晴らしい」と評したテレビ映画『木乃伊の恋』(1973年)が村上による「二世の縁」(1808年)の換骨奪胎に影響を与えたと本論文では推察する。村上が批評家として向き合った清順の映画が後年、思わぬかたちで村上のテクストに表出するまでの過程を『木乃伊の恋』およびその延長線上にある大正浪漫三部作(特に1991年の『夢二』)との比較を通して明らかにしたい。

  • 長谷部安春の作品群を例に
    鳩飼 未緒
    映像学
    2018年 100 巻 92-111
    発行日: 2018/07/25
    公開日: 2019/03/05
    ジャーナル フリー

    【要旨】

     日活が成人映画のロマンポルノの製作・配給に転じた1971 年は、その戦後史における大きな転換点をなす。しかしながら、ロマンポルノ以前と以後の日活の間には連続性も見出すことができる。ロマンポルノの配給・興行形態は全盛期とほぼ同じであり、それを支える撮影所での製作の体制も引き継がれたものであった。日本映画全体の基盤としての撮影所システムが瓦解していくなか、1988年まで存続したロマンポルノは撮影所システムの延命策として機能したのである。本稿は、ニュー・アクションの担い手であり、1971年以降にはロマンポルノでも活躍した監督長谷部安春に着目する。具体的には、長谷部のロマンポルノ監督作9 本を取り上げ、長谷部のイメージを利用し観客にアピールしようとした日活側の戦略の変遷と、ロマンポルノという未知の映画の形態に挑戦し、適応していった長谷部の試行錯誤の過程とその限界について論じる。9本の映画は、売り手の日活、作り手の長谷部と、買い手として映画を受容する観客の思惑が絡み合った結果として生まれた。その経緯と、それぞれの映画のテクストに見出されるニュー・アクションとの連続性との関係を検討していき、最終的には、長谷部の9本のロマンポルノと長谷部の存在が、ロマンポルノによって撮影所システムを長らえさせていた日活にとって何を意味したのかが明らかになるはずである。

  • *成瀬 厚
    日本地理学会発表要旨集
    2011年 2011s 巻 629
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    I はじめに 下北沢は演劇の街でありながら,近年では音楽ライヴを提供する店舗の集積により,音楽の街としての様相を呈してきている。毎年7月にはそのライヴ施設の集積を活かした「下北沢音楽祭」が開催されている。一方,下北沢の街はここ数年,「都市計画道路補助54号線」と駅前広場を含む「区画街路10号線」の建設計画をめぐって様々な動きが展開している。 本報告では,下北沢でライヴ活動を行っているミュージシャンたちを取り上げ,かれらの下北沢との関わりについて考察する。特に,この建設計画をめぐる動きが顕著であった2005年を中心にミュージシャンたちのこの街との関わり方を明らかにしたい。 II 音楽的社会関係 2005年の5月に雑誌『SWITCH』は「下北沢は終わらない」という特集を組んだ。芸能界からは,この街で生まれ育った小池栄子,演劇界からは
    原田芳雄
    が登場し,作家の片岡義男はこの街を舞台とする短編小説を寄稿した。音楽界からは曽我部恵一やクラムボンの原田郁子,小島麻由美,UAなどのメジャー・アーティストが名を連ねているが,本報告で取り上げるのは,かつてメジャー・レコード会社との契約もしていたが,現在は下北沢の施設を含むライヴ活動を中心にしているミュージシャンたちである。 また,本報告では具体的な社会運動としての下北沢再開発反対派の団体について詳細に報告することはしない。反対派の団体で代表的なのは「Save the下北沢」だが,ミュージシャンたちはそれらと緩やかに関係を持ったり,その主張に大枠で同意したりしているが,必ずしも自らが主体的に運動に参加するわけではない。むしろ,自分たちにできるのは音楽活動だけだと割り切っているともいえる。 ただし,こうしたミュージシャンたちは明らかにこの街,下北沢に愛着を持っていて執着している。かれらはそれぞれ好んで定期的に出演しているライヴ施設を下北沢にもち,自ら企画するイヴェントも定期的に開催している。また本報告では報告者を含むオーディエンスの行動もたどっている。表1には,対象とするミュージシャンが2005年に行ったライヴ本数と下北沢での内訳を示した。かれらは,こうした特定の街でのライヴ活動を通して,ミュージシャン同士,ライヴ施設の経営者や従業員,そしてオーディエンスたちと関係を結ぶ。かれらのなかには下北沢周辺での居住暦を持つものもあり,仕事場として,居住地としてこの街と関わっている。朝日美穂が2005年11月にライヴ演奏で参加したイヴェント「シモキタ解体」は下北沢のタウン誌『ミスアティコ』が主催したもので,「Save the下北沢」の代表や,社会学者の吉見俊哉もトークセッションに参加したものである。 III 街の音楽的風景 朝日は単独で,HARCOは南風というグループへのゲストという形で,シリーズCD「sound of shimokitazawa」に参加している。特に,朝日の「ドットオレンジ模様の恋心」という楽曲は下北沢的要素をふんだんに盛り込んだもの。朝日は他にも下北沢のカレー店のドリンクメニューをタイトルにした楽曲もある。HARCOは2004年発売のCDに収録された楽曲「お引越し」のプロモーションヴィデオを下北沢中心に撮影している他,2002年発売のCD『space estate 732』の冒頭で,下北沢で賃貸住宅を探す青年に扮している。ハシケンは2006年から下北沢のライヴ施設「440」で隔月イヴェントを開催し,その集大成として制作したCD『Hug』(2007年)にはそのテーマソング「下北沢」が収録されている。そこではのんびりとしたテンポの曲に,自らの日常的行動のように,下北沢南口界隈をブラブラと歩く様子が描写されている。 IV おわりに 報告者はこれまで,文化的作品における場所の表象分析を通して,場所と人間主体のアイデンティティの関係について論じてきた。本報告では,作品自体の考察も含むが,そのパフォーマンスの場としての場所との関わり合いについても考察した。また,社会運動研究が明らかにしてきたような,場所に対する明確な帰属意識を有する共同性ではなく,下北沢という商品的街に相応しい緩やかな共同性によって,開発反対運動に同調する思想が共有されている。 文 献 中根弘貴 2010. 下北沢に創られる共同性の民族誌:ロックバンドと市民運動グループの繋がり.南山大学大学院2009年度修士論文(未入手)
  • ――井上ひさし『父と暮せば』を観ること――
    嶋田 直哉
    日本近代文学
    2016年 94 巻 167-180
    発行日: 2016/05/15
    公開日: 2017/05/15
    ジャーナル フリー

    井上ひさし『父と暮せば』(一九九四・九)は死者である父竹造が幽霊となってあらわれ娘美津江にヒロシマの記憶の受け渡しをする物語である。美津江は竹造から「原爆資料」を加えた新たな〈歴史〉を覚え直すことが求められる。また第四場の「ちゃんぽんげ」(ジャンケン)の場面は実際の舞台から考えてみると父娘の個の記憶と集団的な記憶=〈歴史〉が同時に提示されている。また井上ひさしは数多くの被爆者の手記をもとに『父と暮せば』を創作したことがわかっているが、その言葉を観客である「われわれ」は運動体の言葉として受けとめる必要がある。その時『父と暮せば』は世代を超えて継承するべき作品として存在することになるだろう。

  • 雑誌『BRUTUS』の「ニューヨーク炭鉱の悲劇」
    日高 佳紀
    昭和文学研究
    2014年 68 巻 14-27
    発行日: 2014年
    公開日: 2022/11/19
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  • 成瀬 厚
    地理科学
    2012年 67 巻 1 号 1-23
    発行日: 2012/01/28
    公開日: 2017/04/07
    ジャーナル フリー
    In this paper, I focused on a town, Shimokitazawa. By examining the activities of musicians there, I considered the relationship between the urban user and the place. A pop musician's occupation is singing her/his songs repeatedly. As the facilities where they play their music are scattered around the city, they move around as mobile laborers in a similar manner like nomads. Therefore, the audiences who appreciate the performance of the musicians are called mobile consumers. To understand some of these actual situations, I investigated the facilities that hold such music performances in Shimokitazawa and the behaviors of three musicians who give these performances around the town and an audience. I considered the relationship between the musicians and Shimokitazawa by focusing on the former's practices in their music performances, especially in 2005 and the musical landscape depicted in their songs. The upsurge of the redevelopment problem was observed in Shimokitazawa around 2005. As a result, it can be said that music played the significant role in the development of people's connections with the musicians, and of positive associations of the musicians with the town.
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