本稿の目的はどのような条件下で名誉に基づく暴力が起きるのかを、特に性的逸脱行為(以下、逸脱行為)と、その露見という過程に注目して検討することである。2000年代エジプトを対象とし、主な資料として宗教電話相談(相談2,050件)の質問と回答(ファトワー)を用いる。事例の検討を通じ、逸脱行為と名誉に基づく暴力とは直ちにはつながらないことを明らかにしたい。逸脱行為は私的領域で、主に女性たちの間で知られているだけの間は名誉とは結びつかない。しかし男性の知るところとなると、それは醜聞となり、名誉問題化する。逸脱行為自体ではなく、その共同体への露見こそが暴力の誘因となる。
同じ未婚女性の妊娠でも、その影響は事例によってかなり異なる。逸脱行為があっても、露見を防ぐことで名誉を守った事例はいくつも観察された。露見を誘発する条件、露見に対し脆弱性を持つ人の特徴などを検討してみると、名誉を守るためには複数の手段があり、恥や屈辱に対する脆弱性と、加害者の社会関係資本の多寡には連関が見られることがわかる。
名誉に基づく暴力は、男性が自分の名誉が損なわれることで受ける恥辱・屈辱を雪ぐことを目的とするため、共同体のまなざしを必要とする。同時に名誉に基づく暴力は、女性を「貞淑な女性」と「ふしだらな女性」へと分断する、社会のジェンダー秩序の根底を支える構造の一部でもある。それは性規範を侵犯した、「ふしだらな女性」への懲罰的暴力である。そして遡及的な被害者非難により、醜聞を出した家の女性たちは皆、「ふしだらな女性」に転落させられる。一見矛盾するようだが、家長たる男性にとっては、この女性を二分し一方的に振り分け定義する根源的な暴力、この抗いがたい暴力に抗うためにこそ、名誉に基づく暴力はある。主観的には加害者は、名誉に基づく暴力によって、残された他の女性家族成員を、「ふしだらな女性」へとカテゴライズする根源的な暴力から救おうとしているのである。
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