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全文: "問屋制家内工業"
202件中 1-20の結果を表示しています
  • 土田 邦彦
    新地理
    1969年 16 巻 4 号 1-18
    発行日: 1969/03/25
    公開日: 2010/02/26
    ジャーナル フリー
    以上十日町機業の地域形成過程について概観したが, 要約すれば次のようになる。
    (1) 十日町機業は, 問屋を中核とし, その周辺に製織部門の工場が密集し, それに附随して補助部門の工場, さらに家庭内職の零細な各工程が存在し, 十日町機業の最集積的生産地域を形成するとともに, 周辺地域から中魚沼全地域にわたる分散的な出機地域があり, 特色ある圏構造的な生産圏を形成している。
    (2) 十日町機業は, 近世における縮布生産地域から, 明治以降, 織物需要構造の変化に伴って, 絹織物生産地域へと展開した。
    (3) 十日町機業は生産形態の上から, 他の日本の歴史的機業地と同様, (1) 副業的手工業 (2) 問屋制家内工業, (3) マニュファクチャー, (4) 工場制工業を経て現在の地域形成を行なったものである。
    (4) 十日町機業は生産形態の変化に応じて, 各特色ある地域構成を経て地域形成がなされた。
    (1) 中魚沼全地域にわたって分散分布した副業的手工業地域。
    (2) 近世中期より十日町の問屋を中核とし, これに隷属しながら, 中魚沼全地域に分布した問屋制家内工業地域。
    (3) 明治初期より十日町を中心に集積したマニュファクチャーと中魚沼全地域にわたる出機をもって地域構成を行なったマニュファクチャー的生産地域。
    (4) 大正以降十日町を中心に集積した工場制工業と出機地域を併行させた工場制工業地域。
    (5) 十日町機業は十日町を核とする求心的な集積と, 遠心的な分散によって秩序ある地域集団が形成された。
  • 土田 邦彦
    新地理
    1971年 19 巻 2 号 15-38
    発行日: 1971/09/25
    公開日: 2010/02/26
    ジャーナル フリー
    The writer shows in this paper the stages of development foundry industry of Sanjo: (1) The foundry dependent on handicraft of the farmer's side job. (2) Emergence of the foundry craftsman as a specialist. (3) The first stage of the foundry under the control of the wholesale merchants. (4) The second stage of the foundry under the control of the wholesale merchant. (5) The modernized and concentrated foundry.
    In the developing stage of the Shogunate Era the foundry craftsmen obtained their materials of products from the wholesale merchants and the deal of their products were under the control of the wholesale merchants. Afterwards the wholesale merchants gave craftsmen the fund to obtain materials. The production and dealing system changed gradually, but remarkable change came after the 2nd World War. The control of the wholesale merchants quickly disappeared since then, and modernized factories were built. Concentration of the factories was the new trend.
    In spite of modernization, the foundry industry of Sanjo are all the small scale one in both capital and factory even today. The kinds of products which are produced in the different factories are very various and each amount of products is not much. In addition the technical process still depends mainly upon handicraft, most of them are combined each other through various kinds of technical processes. It is one of the reasons why concentration are promoted.
  • 藤田 五郎
    社会経済史学
    1951年 17 巻 3 号 297-304
    発行日: 1951/06/20
    公開日: 2017/09/23
    ジャーナル オープンアクセス
  • 川崎 敏
    地理学評論
    1960年 33 巻 6 号 312-327
    発行日: 1960/06/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    1) 尾西機業地域は3度の産業革命を経験して形成された.それは寛政から天保期,明治初年,明治末から大正初期で,本文は前2者を中心に取扱つた. 2) この産業革命によつて地布時代からの自給的農村手工業地域のなかに問屋制家内工業,マニュフアクチァー,近代工業が漸次成立していつた. 3) 出機制は織屋が農家を下におき,内機は雇傭者を使用し支配的地位に立ち資本と労働を分化させ,社会的分業のもとに地域を形成していつた. 4) 自機,出機,内機は混合形態をとりつつ地域の拡散と集積を行い,このまま第3の産業革命(明治末-大正初期)に入つた. 5) 綿布は不断着として実用的であるので,幕藩の政策と相まつて寛政以後は綿作地が拡がり,桑園が後退した.北限は宮田,東野,布沢,小牧を結ぶ線であり,南限は海部の米作地,西限は疏菜地に喰込んでいる. 6) 機業の発達に伴つて地域的分化が現れ岩倉を中心とする綿作地,起を中心とする機業地,一宮を中心とする綿作機業の混合地域が成立した.局地的経済流通は遠隔地経済流通と変化し,他藩商人と在郷商人との物資の交流が生じ,農民的経済流通機構が領主的経済機構と対立した. 7) 明治初期における外国からの綿糸,綿,染料の輸入は在来の産業構造を変質し,近代工業の基盤が徐々であるが築かれて来た. 8) 尾西機業地域の形成条件を考察した.
  • 佐々木 淳
    社会経済史学
    1999年 65 巻 1 号 97-99
    発行日: 1999/05/25
    公開日: 2017/06/23
    ジャーナル オープンアクセス
  • 高村 直助
    史学雑誌
    1998年 107 巻 12 号 2117-2124
    発行日: 1998/12/20
    公開日: 2017/11/30
    ジャーナル フリー
  • 大島 栄子
    社会経済史学
    1986年 51 巻 4 号 551-553
    発行日: 1986/01/15
    公開日: 2017/07/08
    ジャーナル オープンアクセス
  • 鈴村 楙
    日本建築学会論文報告集
    1956年 54 巻 833-836
    発行日: 1956/10/05
    公開日: 2017/08/30
    ジャーナル フリー
  • 岩間 英夫
    日本地理学会発表要旨集
    2016年 2016s 巻 1025
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
    発表者は、日本における産業地域社会の形成と内部構造をまとめ、2009年に研究成果を公刊した。本研究では、マンチェスターを対象に、世界の産業革命発祥地における産業地域社会の形成と内部構造を解明する(本時)。その後、マンチェスターと日本における産業地域社会の比較研究から、近代産業の発展に伴う産業地域社会の形成メカニズムとその内部構造を明らかにする(次回)。 なお1極型とは、事業所の事務所を中心に生産、商業・サ-ビス、居住の3機能が1事業所1工場で構成された、産業地域社会の構造を意味する。  

    2.マンチェスターの産業地域社会形成と内部構造

    Ⅰ 産業革命による近代工業形成期(1760-1782年)
    17世紀末にインド、18世紀に北アメリカから綿花が輸入されたことにより、マンチェスターの主要産業は毛織物から綿工業に転換した。マンチェスターでは、地元のハーグリーブスによるジェニー紡績機の発明(1765年)などによって産業革命が生じた。その結果、旧市街地における商業資本の問屋制家内工業が衰退した一方で、水運沿いでは産業資本家による小規模な工場制機械工業が発展した。これによりマンチェスターは、綿工業による一極型から、多極型の単一工業地域へと変容した。綿工業地域社会の内部構造は、産業資本家の各事務所を中心に、工場の生産機能、商業・サービス機能は旧市街地に依存、産業資本家(中産階級)の居住機能は旧市街地周辺、また労働者の居住機能は旧市街地の工場周辺(スラム街)に、それぞれ展開した。1543年におけるマンチェスターの推定人口は約2,300人であったが、1773年には43,000人となった。
    Ⅱ 近代工業確立期(1783-1849年)
    マンチェスターでは、綿工業の国内外市場拡大に合わせて、商業・金融資本が台頭した。綿工業は一核心多極型から二核心多極型の複合工業地域、1816年以降は綿工業による多核心多極型の総合工業地域を確立した。マンチェスターは「コットン=ポリス」、「世界最初の工場町」と呼ばれた。同市は、商業・金融資本の市街地を中心に、周辺部に工業地域、郊外にかけて住宅地域が同心円状に展開した。工業地域社会の内部構造は、各事務所を中心に、工場の生産機能、商業・サービス機能は市街地に依存、市街地と工場周辺に労働者の居住機能、産業資本家の居住機能は煙害を避けて郊外の鉄道沿線に移転・拡大した。1821年における人口は、129,035人に増加した。 
    Ⅲ 近代工業成熟期(1850年~1913年) 
    世界への市場拡大を背景にマンチェスターは国際的商業センターの性格を強くした。また、第二次産業革命が始動し、マンチェスターは多業種からなる多核心多極型の総合工業地域となった。市街地は再開発され、銀行、保険、商館、鉄道駅舎や市庁舎などが建てられて、中枢業務地区(CBD)を形成した。その結果、人口分布のドーナツ化とスプロール化が顕著となった。工業地域社会の内部構造は、各事務所を中心に、工場の生産機能、商業・サービス機能は市街地に依存、煙害を避けて労働者の居住機能は郊外に、産業資本家の居住機能は鉄道沿線のさらに外縁部に移転・拡大して展開した。また、1894年にマンチェスター運河の完成により、国際港と英国初の工業団地(トラフォードパーク)が出現した。1901年、マンチェスターの人口は607,000人に急増した。 
    Ⅳ 工業衰退期(1914~1979年)
    マンチェスターでは、トラフォードパークにアメリカ系企業が進出したことによって、自動車や航空機産業などの第2次産業革命(重化学工業)が促進され、総合工業による多核心多極型を維持した。しかし、第二次世界大戦後には1,000以上の工場が閉鎖され、工業が後退した。工業地域社会の内部構造をみると、空き工場が増え、ゴーストタウン化した。人口は1931年の751,292人をピークに、1981年には437,660人まで減少した。 <BR>
    再生期 (1980年~ )
    1990年代にイタリア人街で始まった市民による都市再生運動により、マンチェスターは再生した。再生の根底には、産業革命時と相通じる主体的開発の精神があった。従来の商業と交易に加えて、金融機関や新聞社・テレビ局などのメディア企業、学術機関、研究所などが集中し、街は勢いを取り戻した。空洞化した都心部には移民が集住し、多民族都市の性格を濃くした。人口は、2011年現在で約49万人である。 <BR>  

    3.まとめ
    参考文献 
    岩間英夫2009.『日本の産業地域社会形成』古今書院.
    Alan Kidd 1993. Manchester A History. Carnegie Publishing.
  • 高柳 長直
    日本地理学会発表要旨集
    2003年 2003f 巻
    発行日: 2003年
    公開日: 2004/04/01
    会議録・要旨集 フリー
    _I_ はじめに 日本の地場産業は,生産規模の縮小が,より一層深刻化し,産地崩壊といった危機的状況にあるところも少なくない。しかしながら,地場産業は現在においても,産出額や労働力の面で地域経済のかなりの部分を占めるとともに,地域社会におけるアイデンティティ形成の象徴として,地域おこしの中核的役割を担っているところも多い。東京一極集中の地域構造が再び強まりつつある中で,地場産業が復興することによって地域経済を再生させていくという期待は高い。しかしながら,海外競争が激化するとともに,日本経済が低迷し,地場産業産地の多くは新たな産地のあり方を模索することが求められてきている。 本報告では,景気低迷期における地場産業の産地が抱える問題点を産地構造の視点から考察することを目的とする。研究対象としては,秋田県角館町およびその周辺地域の樺細工産業を事例とした。なお,本稿の分析は,樺細工製作を行う23事業者,5社の問屋,および協同組合に対しての聞き取り調査をもとに行う。_II_ 樺細工産業の生産流通構造 樺細工製作者は事業者間で階層分化はみられるほどではなく,いずれも零細な規模である。樺細工製作者は,受注連関から,問屋に専属,あるいは事実上1社からの注文で生産している者と,複数の問屋から注文を受けて仕事をしている者とに分けられる。経験年数が浅い場合には専属で受注関係を維持する傾向がみられるが,伝統工芸士など技術力の高い人は複数の問屋と取引し,系列構造は以前ほど固定的ではなくなってきている。 しかしながら,問屋と職人による問屋制家内工業の的な形態は,明治期以来,基本的に引き継がれている。加工賃単価は,低い状態に据え置かれたままで,上代価格の3分の1弱が相場であり,問屋の側に価格決定権がある。原料桜皮の支給形態は減少したものの,職人側に販路と生産品目を選択する余地はほとんどはなく,一部の高級品を除くと,職人の名前がブランドとして市場で認識されることも限られている。 このような問屋制的な家内工業が現在なお存続しているのは,第1に,樺細工産業は,原料を仕入れてから,製造,販売して代金を回収するまで,長期間を要することがあげられる。第2に,樺細工産業が,木地製作や文様づけを除くと社会的分業は進んでおらず,職人による一貫生産が基本となっていることがあげられる。第3に,消費財を販売するとなると必然的に顧客は多数に上ることになり,顧客が少数ならば注文はかなり不定期となることがあげられる。_III_ 樺細工産業の抱える問題_丸1_新製品開発の限界性 産地において新商品の開発は行われているが,茶筒や茶箕に並ぶアイテムに成長してはいない。問屋制的な家内工業の生産体制の下で,各職人は賃加工を担当しているにすぎず,職人の間に蓄積された技術や知識が,新製品に生かされることなく,生産現場と商品開発が分断されている。_丸2_原料桜皮の盗採問題 樹木の所有者に無断で採取する盗採事件が1990年代の終わり頃から頻発している。こうした問題も,生産構造との関連を認めることができる。職人の名前が市場で表に出ることはほとんどないため,生産された商品に対して最終的に生産者が責任を持つという意識に乏しい職人も少なからずみられる。各々の職人は製品市場からは遮断されているため,長期的な視野に立って原料調達を行うという観点が醸成されにくい構造となっている。_丸3_類似品輸入問題 1999_から_2000年ごろから,中国から角館樺細工の茶筒などの類似品が輸入され,市場に出回るようになってきた。産地に責任はないが,新たに登場してきたカタログギフトなどの消費形態や流通経路に対して産地側に主導権がないことや,桜皮財細工の知名度が低いことも,問題の発生を食い止めることができなかったいえよう。
  • 山口 守人
    地理学評論
    1967年 40 巻 9 号 488-497
    発行日: 1967/09/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    本稿は.先学の諸論文を引用しながら,工業地域(筆者は地域集団を工業地域の一つの原形とみなしている)に関する構造論的研究を工業地理学の1研究視点として位置づけ,あわせて具体的研究にいたるまでの筆者の研究立場,さらに研究目標などを要約したものである.
    行論にあたり地域集団なる概念を設定しているが,地域集団とは,各種の工業経営体が加工的生産流通過程を通して空間的に統一されて機能しているような工業集積をいい,一般的には,日本在来工業地域の性格を特徴づけている形態である.
  • 伝統和装染織産業「有松・鳴海絞」にみる
    荒木 國臣
    流通
    1999年 1999 巻 12 号 147-165
    発行日: 1999年
    公開日: 2010/08/05
    ジャーナル フリー
  • 松原 宏
    経済地理学年報
    2005年 51 巻 4 号 420-
    発行日: 2005/12/30
    公開日: 2017/05/19
    ジャーナル フリー
  • 渡辺 英郎
    北海道地理
    1970年 1970 巻 45 号 1-6
    発行日: 1970/09/15
    公開日: 2012/08/27
    ジャーナル フリー
  • 丹羽 弘
    土地制度史学
    1984年 26 巻 2 号 69-70
    発行日: 1984/01/20
    公開日: 2017/11/30
    ジャーナル フリー
  • 神立 春樹
    史学雑誌
    1986年 95 巻 2 号 238-244
    発行日: 1986/02/20
    公開日: 2017/11/29
    ジャーナル フリー
  • 荻山 正浩
    社会経済史学
    2012年 77 巻 4 号 549-571
    発行日: 2012/02/25
    公開日: 2017/05/19
    ジャーナル オープンアクセス
    戦前の日本では,農業部門からの潤沢な労働供給が存在したため各部門の賃金の上昇が抑制されたと考えられてきた。だが,そこで見逃されてきたのは,日本では,工業化とともに農業生産が目覚しく発展した点てある。こうした農業生産の発展は,農業部門の賃金を引き上げ,さらに農業部門から工業部門への労働供給を制約し,工業部門の賃金を上昇させる役割を果たした。そこで本稿では,この点が最も顕在化した地域として,全国有数の綿織物の産地であった大阪府泉南地方を対象とし,農業生産の発展が農業部門から工業部門への労働供給に与えた影響を明らかにした。泉南では,1900年代中頃まで綿織物業は問屋制家内工業の下で農家の副業として発展したが,1900年代末から力織機を備えた織物工場が設立されると,問屋制家内工業が衰退し,農家は副業の綿布生産による収入を失った。しかし,この地域では,農業生産が発展した結果,農家は農業収入の増加によって副業収入の減少を補うことができた。そのため,農家は働き手を織物工場に送り出そうとせず,織物工場の経営者は高賃金を支給して人手を確保する必要に迫られた。
  • 勝部 眞人
    社会経済史学
    2009年 75 巻 1 号 57-64
    発行日: 2009/05/25
    公開日: 2017/05/24
    ジャーナル オープンアクセス
  • 藤田 五郎
    社会経済史学
    1943年 13 巻 2 号 188-198
    発行日: 1943/05/15
    公開日: 2017/09/24
    ジャーナル オープンアクセス
  • 伊賀 光屋
    日本労働社会学会年報
    1994年 5 巻 3-34
    発行日: 1994年
    公開日: 2018/12/25
    ジャーナル オープンアクセス
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