近代において「相撲」は、中世の宮中行事に由来し、歴史的事実による正統性をもつ相撲節会、及び江戸後期の勧進相撲の流れをくむとされる大相撲の二つの意味から構成されていた。両者の評価は同一ではなく、大相撲は「営利的」「娯楽」とみなされ、相撲節会とは明確に一線を画されていた。大相撲が「神代」からのいっかんした相撲系譜のなかに明確に位置付けられ、「
国技
」として人口に膾炙さるようになったのは昭和初期のことである。それは1935(昭和10)年に刊行された『辞苑』「
国技
」「相撲」項のそれぞれの語釈によって確認できる。ここで一つの疑問が生じる。
国技館でおこなわれていたから国技
なのかということである。そこで本研究は、大相撲が「
国技
」として広く認識されるに至った経緯について、「
国技
館」という空間との関係性から明らかにしようとするものである。具体的には、
国技館開館から昭和初期の国技概念成立期に国技
館で開催された相撲以外のイベントに注目し、それらの分析をおこなうことによって、
国技
館という空間にみる文化表象を論じるものである。
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