報徳社とは,全国各地で民衆の生活態度や地域組織のあり方に影響を与えたと評価されている
報徳仕法
を実践する組織である.本報告では,報徳社の活動実態と存続や解散をわけた地域的要因を明らかにする.
報徳仕法
は,19世紀初頭に確立され,当時,社会の多数を占めていた農村において導入された.各地に設立された報徳社は,1920年代には,全国1,000社におよび,その後減少してはきたものの,1976年の時点でも,211社が存在しており,その大半は第一次産業従事者の占める割合が高い集落であった.これらの多くは,2010年までに第三次産業従事者の占める割合が上昇する傾向にあるが,そのなかでも世帯数が変わらない集落において,報徳社は存続する傾向が強い.ただし,世帯数が増加もしくは減少した集落でも,報徳社が存続している場合もある.そこで今回は,報徳社の存続と解散を分けた地域的要因を明らかにするため,解散した報徳社の活動内容および解散までの経緯と,存続している報徳社の活動実態について整理・分析する.
解散した報徳社の事例としては,静岡県袋井市小野田集落の推譲報徳社と同県掛川市大和田集落の大和田報徳社を取り上げる.
設立当初の小野田報徳社は,農業そのものを支援する活動,自治に関する活動,集落および個人の資産構築に向けた活動に重点を置いて活動していた.その後,小野田集落では,市街地拡大の影響を受けて世帯数が増加してきた.小野田報徳社では,新住民の入社を認めなかったため,集落内において報徳社社員の世帯が占める割合は相対的に低下して,集落の自治を支える役割が失われた.また,小野田報徳社は集落の農業が衰退傾向にあるなかでも,農業を支えるための活動を実施していたが,次第にその活動の意義も失われた.さらに,社員の高齢化が進んでいたこともあって,物価が上昇しても預け入れ金を増額するようなことをしなかったため,資産構築に関する役割は失われた.このように,小野田報徳社は集落内の住民構成や産業の状況が変化するなかで,かつて報徳社が有していた役割や意義が次第に失われ,解散に至った.
設立当初の大和田報徳社は,当時生業とされていた林業用地の取得および管理,自治に関する活動のほか,近隣に金融機関が存在しなかったことから社員および集落の資産管理に向けた活動に重点を置いていた.しかしながら,林業が衰退したため,報徳社が林業用地を取得することや管理することの意義は失われた.さらに,大和田集落では,行政の下部組織である自治会の活動が盛んとなり,自治に関する活動は,自治会が担うこととなった.加えて,交通網の整備や近隣の集落に金融機関が立地したことで,報徳社以外でも資産を管理することが容易となり,資産構築に関する役割も失われた.このように,大和田集落では構成員の変化は小さいものの,報徳社の活動に関わる様々な状況が変化したことで,その存在意義が次第に薄れて解散に至った.
存続している報徳社の事例としては,静岡県袋井市祢宜弥集落の推譲報徳社と同県掛川市嶺向集落の嶺向報徳社を取り上げる.
推譲報徳社が位置する祢宜弥集落では,土地区画整理事業の実施により,世帯数が急増した.そのなかで,報徳社の活動を自治会の開催日に実施し,新住民の報徳社の活動への参加と入社を勧奨した.また,同事業の実施によって集落内の農地は失われた.このため,設立時から行われていた報徳社による農業の経済的支援に関する活動も失われた.一方で,農地を手放した住民は土地の売買や貸借によって収入を得た.推譲報徳社の社員は,自己の資産構築を目的として,そうした収入を報徳社に対して預け入れており,報徳社は今でも社員の資産構築に関する役割を有している.つまり,推譲報徳社は,祢宜弥集落の急激な変化に対応できたことが存続の大きな要因になっている.
嶺向集落では,世帯数の変化が小さい.しかしながら,かつて同集落の生業とされていた農業が衰退傾向にあり,これを経済的に支援してきた嶺向報徳社の活動は失われた.ただし,今なお自給的農家は存在しており,報徳社の常会でも,農業技術の教授に関する活動が行われている.また,高齢であることなどを理由として嶺向報徳社から退社する社員が相次いでおり,それまで有していた自治に関する役割を果たし切れなくなった.一方で,現在は報徳社社員ではない世帯も,かつて報徳社と関わりがあった世帯である.高齢化が進む嶺向集落においては,嶺向報徳社の活動を人々のつながりを絶やさないためのものとして位置付けているため,報徳社社員以外の住民の参加を認めており,報徳社は社員のみならず集落内における人々のつながりを維持する役割を果たしている.したがって,嶺向報徳社は,集落内部の変化に応じて,新たな役割を見出したことが,存続の要因となっている.
抄録全体を表示