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クエリ検索: "好井裕明"
578件中 1-20の結果を表示しています
  • 那須 壽
    社会学評論
    1993年 44 巻 1 号 67-69
    発行日: 1993/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 田中 耕一
    社会学評論
    1999年 50 巻 2 号 272-274
    発行日: 1999/09/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 串田 秀也, 好井 裕明
    ソシオロジ
    2000年 45 巻 2 号 161-169
    発行日: 2000/10/31
    公開日: 2016/11/02
    ジャーナル フリー
  • 三浦 耕吉郎
    社会学評論
    1992年 43 巻 2 号 193-194
    発行日: 1992/09/30
    公開日: 2009/09/16
    ジャーナル フリー
  • ―私が新書を書き続ける理由(わけ)―
    好井 裕明
    フォーラム現代社会学
    2022年 21 巻 73-80
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/06/08
    ジャーナル フリー

    社会学部や社会学科、社会学専攻に入学する新入生や高校生に対して、社会学をどのようにしたら魅力的に伝え得ることができるだろうか。彼らの多くは、学校生活、部活、家庭生活など“半径数メートル”の世界で生きてきている。私は、抽象的でどこにあるのか実感できない社会ではなく、彼らが実感できる社会として日常生活世界のありようを語り、そこで他者理解や他者理解の困難さを考える学が社会学だと伝えている。さらに私は、他者を考える重要なフィールドが日常生活世界であり、日常を考えるうえで重要な契機として「自明性」「日常性」「現在性」「他者性」を考え、それぞれをテーマとして社会学の新書を執筆してきた。なぜ教科書ではなく新書なのだろうか。いくつか理由はあるが、もっとも重要な理由は、「教科書」的構成や「教科書」的文体から解放され、自由に社会学の魅力を語ることができるからだ。インターネットを通しての社会学的知の発信。思わず手に取って読んでしまうような魅力あふれる社会学冊子の刊行。高校での授業に役立つ社会学テキストや副読本の開発。悩める社会学者を主人公としたコミック、等々。社会学を高校生に広める工夫は考えられるだろう。ただ前提として社会学者が本気で考えるべき問いがある。

    “半径数メートル”の世界から彼ら自身が旅立つのに必要な知やセンスをどのようにわかりやすく、魅力あふれる言葉で伝えることができるのだろうか。この問いだ。

  • 好井 裕明
    社会学評論
    2004年 55 巻 3 号 314-330
    発行日: 2004/12/31
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    差別を語るということ.これは差別することでもないし, 差別について語ることでもない.本稿では差別することの特徴としてカテゴリー化の暴力と被差別対象の “空洞化” を述べ, 差別について語る社会学の基本として〈受苦者〉の生に限りなく接近することの意義や問題性を論じる.そのうえで差別を語るということを, 自らの差別的経験を自分の言葉で語ることとして捉え, ある啓発講座での実際の語りからその営みを例証する.普段私たちは自らの差別的経験を語ることはない.その意味でこの営みは非日常的である.しかしこれは, 語る本人やその声に耳を傾ける他者が, 差別について抽象的一般的に考えるのでなく, 常に自らが生きる日常生活から遊離することなく等身大の世界で具体的に考えることができる営みなのである.そしてこの非日常的な営みを新たなトピックとすることで差別の社会学の可能性が広がってくる.〈受苦者〉の生, 〈被差別当事者〉の生を原点とすることは差別の社会学の基本である.そのことを認めたうえで〈かつて差別したわたし/差別する可能性があるわたし〉の生を原点とし, 〈わたし〉の普段の営みを見抜き, 自らの生へ限りなく接近することから差別を捉えなおすという営みが, さらに差別の社会学を豊穣なるものにすることを主張したい.
  • 平川 茂, 好井 裕明
    ソシオロジ
    1992年 36 巻 3 号 102-110
    発行日: 1992/02/29
    公開日: 2017/02/15
    ジャーナル フリー
  • ― KJ法からの飛躍的発想法 ―
    田村 直樹
    マーケティングジャーナル
    2017年 37 巻 2 号 25-32
    発行日: 2017/09/29
    公開日: 2020/02/25
    ジャーナル フリー

    マーケティングに必要な解決策のアイデアはKJ法のみでは生まれない。アブダクションという飛躍的な推論プロセス(ひらめき)が不可欠である。そこで,本稿はTFAと呼ぶアブダクションを導く発想ツールを提示し,その有効性を議論する。

  • 蘭 由岐子
    社会学評論
    2015年 65 巻 4 号 613-614
    発行日: 2015年
    公開日: 2016/03/31
    ジャーナル フリー
  • 伊藤 智樹
    社会学評論
    2011年 62 巻 3 号 411-412
    発行日: 2011/12/31
    公開日: 2013/11/22
    ジャーナル フリー
  • 三浦 耕吉郎, 好井 裕明
    ソシオロジ
    1993年 37 巻 3 号 196-204
    発行日: 1993/02/28
    公開日: 2017/02/15
    ジャーナル フリー
  • 佐野 正彦
    社会学評論
    2000年 51 巻 1 号 159-160
    発行日: 2000/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 山田 富秋
    社会学評論
    2003年 53 巻 4 号 579-593
    発行日: 2003/03/31
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    私は社会調査におけるインタビュー場面に絞って, 調査者と調査対象者をめぐる困難の意味を明らかにしたい.その過程で, 一見解決しがたいように見える困難が, 社会学における実証主義 (positivism) の立場から生じてくることを明らかにしたうえで, その困難は字義通りの困難ではなく, 対話的構築主義的な調査を進める上で, なくてはならない資源であることを示そう.
    そのためには, すぐに実証主義的な調査批判と調査者の権力性の解剖に向かうのではなく, その前提となる立場を明示したい.それにはまず, 調査者と調査対象を切り離すことはできないこと.その反対に, 調査者と調査対象とのコミュニケーションが社会調査という現象を対話的に構築することを主張する.つぎに調査者と対象者の対話のなかで構築される権力作用を明示するために, ナラティヴ・アプローチを援用し, モデル・ストーリーが調査というコミュニケーション過程においてどのような働きをするのか, 具体的なインタビュー場面を分析することによって明らかにしよう.それはあることを禁止したり, 抑圧したりするというよりはむしろ, 当該の物語を語る欲望を作り出す働きをする権力である.そこから, このモデル・ストーリーが裏切られる場面や;そこに回収できないユニークなストーリーの発生に注目することの重要性が浮かび上がる.
  • 伊藤 美樹子
    保健医療社会学論集
    2011年 22 巻 1 号 122-123
    発行日: 2011/08/20
    公開日: 2016/11/16
    ジャーナル フリー
  • 確認会•糾弾会のコミュニケーション分析から
    好井 裕明
    法社会学
    1992年 1992 巻 44 号 87-93,340
    発行日: 1992/04/30
    公開日: 2009/01/15
    ジャーナル フリー
    There are various phenomena of discrimination in Japan, such as Buraku Sabetsu, Syogai-sha Sabetsu, sexism. It is very important for the analysis of such phenomenon to make clear how we elaborately avoid these topics in everyday conversation. And ethnomethodology is of very use to focus on and demonstrate such methods as to avoid reflecting on these topics in everyday life. In this article, we try to do a conversation analysis of the Kakunin Kyudan Kai, which is the basic strategy of Buraku-Kaiho-Undou. There develop rational discourse on the discrimination and various practices to break avoiding methods and to reflect on this topic "here-and-now" in the Kakunin Kyudan Kai. We demonstrate these practices and explain that they are very important for us to deconstruct our practical sociological reasonings and categorizations in everyday life.
  • ―新生児訪問模擬通訳の会話分析から―
    飯田 奈美子
    通訳翻訳研究
    2017年 17 巻 1-22
    発行日: 2017年
    公開日: 2021/11/29
    ジャーナル フリー
    The purpose of this study was to investigate how interpreters and those who need interpretation services try to orient and achieve interpreting conditions during human support scenes. For this purpose, interpreters’ deviating acts were analyzed through conversational and interactional analysis methods based on social science ethno methodology. The findings showed that interpreters communicate the support from health nurses smoothly based on the order of institutional talk(efficiently conversing and trying to achieve institutional assignment), and their deviating acts occur when they try to implement interactions suitable to the conditions to achieve human support. However, it was also revealed that interpreters show resistance by not interpreting scenes when their impartiality is threatened by explanations given by the health nurses for whom they are interpreting.
  • *深谷 直弘
    日本地理学会発表要旨集
    2021年 2021a 巻 S304
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/09/27
    会議録・要旨集 フリー

    東京電力福島第一原子力発電事故(以下、原発事故)から10年が経過した。地域社会の復興・再生が進む中で、ここ6年で目立つのは、東日本大震災(以下、震災)の記憶・記録の伝承活動である。公立の伝承施設も次々と開設されている。これは、2015年5月に国の「復興構想7原則」において、震災経験の伝承に重きが置かれたことや、2018年12月、復興庁が「「復興・創生期間」後における東日本大震災からの復興の基本方針」において、「復興の姿の発信、東日本大震災の記憶と教訓の後世への継承」を掲げたことも影響している1)。それに加えて、2017年の震災に関する意識調査では震災への関心が薄れ、風化しつつあると答えた福島県民が7割に上ることが示しているように、震災・原発事故の記憶自体が忘れ去られるのではないかという危惧がある2)。こうしたことから、原発事故を含めた震災経験の伝承は地域の復興や再生していく上で重要な課題の1つとなっている。

     本報告は、戦後76年にわたり原爆(戦争)経験の継承実践を行ってきた知見の検討を行い、それが原発事故を含む震災経験の伝承において、どのように活かすことができるのかについて検討する。

     終戦から76年が過ぎ、原爆(戦争)を経験していない世代が、この経験の何をどのようにして継承していくのかが、課題となってきた。報告者を含め研究者も、こうした継承の課題に向き合い「何を」「どのように」継承していくのかについて考えてきた。

     何を継承するのかについては、社会学的記憶論に依拠すれば、時代ごとに重視される諸々の経験は異なる。例えば、核戦争の脅威が現実味を持っていた冷戦期と冷戦崩壊後に戦争責任が大きく取り上げられていた時期とでは、強調される原爆経験の語りは異なっているように思える。さらにいえば、原発事故以後に継承すべき原爆経験も同様のことが言えるのかもしれない。しかしそれでも、長崎・広島では約70年以上、原爆体験の継承実践が行われてきた点を踏まえると、時代や社会が変わっても変わらない部分がある。それは底流にあるものと言えるのかもしれない。

     こうした側面を

    好井裕明
    (2015)は「被爆者の『生』と『リアル』の継承」と呼んだ。継承において「被爆をした人が、具体的な苦悩や不条理を体験するなかで、まさにひとりの人間として「生きている」という事実を、被爆者の語りから私たち(継承する側)が感じ取れる」かどうかが重要であると述べている3)。継承することとは、原爆被爆したときの経験だけではなく、被爆者が原爆と向き合い生きてきた戦後史、生活史そのものを理解することであるという指摘である。それ以外にも「被爆者の思いを引き継ぐ」という表現もよく聞かれる(これは井上義和が「遺志の継承」4)と表現したこととも重なる)。

     では、それを「どのように」継承していくのか。これについては小倉康嗣(2021)の「能動的受動性」・「記憶の協働生成」という側面5)や、井上(2021)による継承の回路の短絡化などが指摘されている4)。そこでは、継承とは経験者と非経験者とのコミュニケーションであり、その場をどのように設定しいくのかが、問われている。

     原発事故を含む震災経験の伝承についての現状と課題を整理した上で、最後に原爆(戦争)経験の継承論が、震災経験の伝承においてどの程度、有効性を持つのかについて検討する。特に震災経験の「何を」「どのように」伝承していくのか、「誰のための伝承なのか」を中心に議論していく。その中で震災経験は、「規範・理念的なもの」と結びついた中で、語られていくよりも、「地域的なもの」と結びついて語られやすい傾向にあるということについても触れる。

    1) 佐藤翔輔(2021)「災害の記憶を伝える——東日本大震災の災害伝承」『都市問題』112, pp.73-83.

    2) 『朝日新聞』福島版,2017年3月3日付。

    3)

    好井裕明
    (2015)「被爆問題の新たな啓発の可能性をめぐって——ポスト戦後70年、「被爆の記憶」をいかに継承しうるのか」関礼子ほか編『戦争社会学』明石書店,217-237.

    4) 井上義和(2021)「創作特攻文学の想像力——特攻体験者はどう描かれてきたか」蘭信三ほか編『なぜ戦争体験を継承するのか』みずぎ書林, pp.163-193.

    5) 小倉康嗣(2021)「継承とはなにか——広島市立基町高校「原爆の絵」の取り組みから」同上書, pp.45-105.

  • 公共の言説とせめぎあう使用者の経験
    白松 賢
    教育社会学研究
    2004年 74 巻 189-207
    発行日: 2004/05/20
    公開日: 2011/03/18
    ジャーナル フリー
    Recently, many people have come to categorize “drugs” as deviance or a socialproblem. “Drugs” have been categorized in the public “drug” discourse by therhetoric of endangerment, unreason, and with “atrocity tales.” On the otherhand, how is the “drug” discourse concerned with the interpretive activities ofdrug users, which are carried out locally?
    This paper discusses the relationship between the public “drug” discourseand the interpretive activities carried out in locally-managed interactive practicesby the members. Specifically, using category-analyzed ethnography, thispaper describes the process through which magic mushrooms have been categorizedas a non- “drug” in the members' interactive practice: “what are magicmushrooms?” Therefore this paper argues about the type of interpretiveresources that the public discourse has used in the process.
    The following conclusions are reached:(1) Through the interaction betweenthe people who consider the ingestion of magic mushrooms to be a “criminal act” or “drug” use, and those who dislike the former, users have categorized magicmushrooms as non- “drug” by using categories such as “legal” and “natural.”(2) In everyday discourse, by placing more importance on their experiences than onthe public discourse, the users use the public discourse and “atrocity tales” asinterpretive resources in order to categorize.(3) Although the categories of “natural” versus “chemical” entails the risk of being disproved, this possibility, which might have shaken the beliefs and local knowledge, has been moved asideby resolve and self-preservation work, using explanations such as these werecases when magic mushrooms were used improperly.
    Finally, the author cites the methodological possibility of category-analyzedethnography. For example, there is a lengthy discussion of the experiences of agroup of magic mushroom users showing how the “drug” discourse combineswith members' folklore into “local cultures.” Further arguments are needed byconducting various fieldwork focusing on the everyday discourse of users.
  • 田村 直樹
    日本情報経営学会誌
    2012年 32 巻 2 号 68-76
    発行日: 2012/04/05
    公開日: 2017/08/07
    ジャーナル フリー
    The purpose of this paper is to discuss about the issue of sign system in the nuclear power plant in Japan. According to our research, Takahama plant and Fukushima the first and the second plants have different sign systems each other. Especially each sign for emergency was designed by different concept. We emphasize that such sign for emergency should be concerned with the view of labors in order to save their lives. In this paper, ethnomethodological approach is recommended for such design practice to avoid risk.
  • 橋口 昌治
    社会政策
    2022年 13 巻 3 号 164-167
    発行日: 2022/03/31
    公開日: 2024/04/01
    ジャーナル フリー
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