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80,180件中 1-20の結果を表示しています
  • 日本心理学会大会発表論文集
    2011年 75 巻 E_3EV044
    発行日: 2011年
    公開日: 2019/02/02
    会議録・要旨集 フリー
    発表者変更 (誤) 川村
    学園
    女子大学 ○簑下 成子 川村
    学園
    女子大学 松原 由枝 筑波社会精神医学研究所 佐藤 親次 (正) 川村
    学園
    女子大学 簑下 成子 川村
    学園
    女子大学 ○松原 由枝 筑波社会精神医学研究所 佐藤 親次
  • 自由学園における農場・植林事業概説 (1)
    吉川 慎平
    生活大学研究
    2022年 7 巻 1 号 22-34
    発行日: 2022/05/07
    公開日: 2022/05/07
    ジャーナル フリー
    本稿を含む2編の論考「自由
    学園
    における農場・植林事業概説(1)~(2)」では、2021年時点で80年が経過した自由
    学園
    による農場、植林活動を一貫した「事業」として捉え、その歩みと現状を、資料・証言等に基づき通史的に概説することを目的とする。(1)の本稿では、自由
    学園
    の「那須農場」に注目する。 1941年開場の自由
    学園
    那須農場は、2021年の自由
    学園
    創立100周年時点で満80年を迎えた。その草創期は第二次世界大戦下に重なり、当時の運営主体であった男子部も高等科が開設されて間もない黎明期であった。そうした時代背景の中で確立された理念・精神の基、本事業は自由
    学園
    創立者・羽仁吉一から直接の薫陶を受けた卒業生と戦後間もなくして開設された自由
    学園
    農学塾の卒業生が中核となり、60年近い長期に渡り自律的に運営された点が特徴である。更に農業生産や人間教育の場としてのみならず、農村部における自由
    学園
    の拠点的性格を併せ持ち、様々な社会活動、研究活動が構想され、展開した。本稿では、1.戦前・戦中期、2.戦後期、3.開場60周年以降の3つの時代に分けて全体像を概説する。また那須農場は自由
    学園
    最初の植林地と位置付けられ、その範囲は『自由
    学園
    植林活動80年通史―自由
    学園
    における農場・植林事業概説(2)―』に記した。なお本稿は、『自由
    学園
    100年史』第III部第5章「那須農場・自由
    学園
    農学塾 第三のキャンパス」の「増補版(100年史関連論考)」と位置付けられる。
  • 羽仁もと子・吉一と山本鼎の協働を中心に
    村上 民
    生活大学研究
    2015年 1 巻 1 号 26-44
    発行日: 2015年
    公開日: 2016/08/15
    ジャーナル フリー
    自由
    学園
    創立者である羽仁もと子、吉一は、創立初年の1921年から、当時自由画提唱者として、 また農民美術運動の推進者と注目されていた洋画家、山本鼎を美術科主任として招聘した。山本鼎 は、病に倒れる直前の1942年秋頃までの20年間、つまり彼の後半生を通じて自由
    学園
    の美術教育 に携わり、また羽仁夫妻の教育事業に深く関与した。本稿は、自由
    学園
    草創期から10年間の
    学園
    美 術の展開、そして自由
    学園
    工芸研究所設立にいたる過程を、羽仁もと子・吉一と山本鼎の協働の側 面から論じる。羽仁夫妻は、自由を基調とした教育をめざし、教育と社会改造を深く結び付けよう とする志向を持っていたが、山本の自由
    学園
    での教育実践は、それまでの山本の自由画運動や農民 美術運動を統合させた形で
    学園
    美術を方向づけ、自由
    学園
    教育が持っていた社会への拡張性を具体 的に推し進めた。山本鼎はまた、自由
    学園卒業生による自由学園
    工芸研究所の設立(1932年)にも 関わった。工芸研究所の設立は、生徒たちの、山本鼎からの自立過程でもあった。
  • 「美術」と「工芸」の重層的展開をめぐって
    村上 民
    生活大学研究
    2016年 2 巻 1 号 9-25
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/04/21
    ジャーナル フリー
    1921(大正10)年、自由
    学園
    創立者の羽仁もと子・吉一は、美術科主任として山本鼎を招聘した。羽仁夫妻と山本との協働をもって始められた自由
    学園
    の美術教育は、芸術を特権的なものとせず、誰もが美に対する感覚を養い、自他の生活に活かすことを目指した。多くの芸術家たちの参画によって進められたこの美術教育は、絵画・工芸・鑑賞を構成要素とする芸術教育として展開した。1932年、自由
    学園
    卒業生は、
    学園
    美術を社会的に発展させ、「工芸」を産業化し社会運動にまで推進するべく、「自由
    学園
    工芸研究所」を発足させた。これを機に、自由
    学園
    の美術教育は学校内の美術教育にとどまらない、「美術教育運動」としての方向性を明確にし、「工芸」に大きく舵を切り始める。これは、羽仁もと子・吉一と山本鼎が共有していた、芸術、教育、社会改造を深く結び付けようとする志向の延長上に位置する。またこうした方向性は、近代日本の「工芸」をめぐる動きとも重なるものであった。自由
    学園
    の工芸推進路線はしかし、単線的に進んだわけではない。1930年代のこうした方向性に対して、「
    学園
    美術の危機」とみる批判が美術教師達からあがったことは重要である。彼らは
    学園
    美術が一つの方向に収斂しつつあることの問題性を指摘し、美術教育の再構築を図った。こうした緊張感を背景に、自由
    学園
    の美術教育運動は「工芸」を時代の課題として選びとり、歩みを進めていった。また、1930年代後半以降の自由
    学園
    工芸研究所の海外展開は、日本が国際的孤立を深め、日中戦争、太平洋戦争へと突入していく時期の取り組みだった。この時期の工芸研究所の海外展開と国内展開との関係、また戦時下自由
    学園
    における美術教育の取り組みや、新たに参画した若手芸術家たちの招聘事情についても検討を試みる。1930年代から40年代にかけての自由
    学園
    の「美術」と「工芸」の展開をたどることを通して、この時代における自由
    学園
    の美術教育運動の重層性に迫る。
  • 自由学園 自然誌グループの歩みを中心に
    大塚 ちか子, 下野 明子, 松田 こずえ
    生活大学研究
    2017年 3 巻 1 号 81-93
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/12/21
    ジャーナル フリー
    自由
    学園
    最高学部(大学部)前期課程1・2年生のカリキュラムには、「生活即教育」を掲げる自由
    学園
    の自治生活に即した教育プログラムとして「
    学園
    特別実習」がある。その1グループである『自然誌・環境』グループは長い歴史を持つ。1967年秋に「自然誌」の勉強が始まり、翌春に当時の自由
    学園
    最高学部第二部(女子短期大学部)2年のカリキュラムである「グループ勉強」のなかの『自然誌』グループとして発足した。自由
    学園
    は、武蔵野台地のほぼ中央に位置する東京都東久留米市に10 haの南沢キャンパスをもつ。自然誌グループは、この「武蔵野南沢」で活動し、観察調査による自然誌資料を作成し、その資料にもとづいて自由
    学園
    南沢キャンパスの自然環境保全に取り組んできた。本稿ではその半世紀の歩みの予報として、1921年の創立から1967年のグループ発足までの自由
    学園
    の自然誌教育の一端を紹介する。
  • 日本心理学会大会発表論文集
    2008年 72 巻 E_WS047
    発行日: 2008年
    公開日: 2018/09/29
    会議録・要旨集 フリー
    司会者変更 司会者追加 (誤)北星
    学園
    大学 後藤靖宏 (正)上野
    学園
    大学  星野悦子 北海道教育大学 吉野 巌
  • 自由学園における農場・植林事業概説 (2)
    吉川 慎平
    生活大学研究
    2022年 7 巻 1 号 35-44
    発行日: 2022/05/07
    公開日: 2022/05/07
    ジャーナル フリー
    本稿を含む2編の論考「自由
    学園
    における農場・植林事業概説(1)~(2)」では、2021年時点で80年が経過した自由
    学園
    における農場、植林活動を一貫した「事業」として捉え、その歩みと現状を、資料・証言等に基づき通史的に概説することを目的とする。(2)の本稿では、自由
    学園
    の「植林活動」に注目する。 自由
    学園
    創立者・羽仁吉一による男子部創設の構想では、その教育環境として南沢キャンパス(東京都東久留米市)を本拠地としつつも工場、農場、そして山林(植林)が挙げられた。工場は南沢キャンパスで、農場と植林は那須で実現した中、今日に続く山林での本式の植林活動は、戦後に開始。荒廃した国土の保全という時代の要請もあり、男子部卒業生の教員らを中心に実行段階へと移され、その活動場所を広く求めていった。各地域の協力者の支援のもと、
    学園
    教育に対する地元自治体・関係機関の深い理解により、公有林・国有林を分収育林契約によって借り受けた、特例的ともいえる「学校林」の形が実現した。またその活動は海外や地域活動へと発展した。本稿では、1. 植林活動のはじまり、2. 戦後の社会背景と
    学園
    の動き、3. 各植林地の概要と展開、4. 植林活動の現状の4つに分けて全体像を概説する。自由
    学園
    最初の植林地である那須農場については、『自由
    学園
    那須農場80年通史―自由
    学園
    における農場・植林事業概説( 1)―』に記した。なお本稿は、『自由
    学園
    100年史』第III部第6章「植林活動 地域と共につくるキャンパス」の「増補版(100 年史関連論考)」と位置付けられる。
  • 田口 玄一郎, 杉原 弘恭
    生活大学研究
    2018年 4 巻 1 号 69-77
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/04/05
    ジャーナル フリー
    小稿は,杉原・田口(2019)「ケイパビリティ・アプローチ再考」1における「ケイパビリティ(capabilities)」の重層的な心構えを内包するフレームの展開可能性を,著者らの勤務校である(学)自由
    学園
    (以下,自由
    学園
    )の“生活教育” にフォーカスし再評価するものである.まず,自由
    学園
    創立(1921年)時の創立者の教育観を確認し,続いて,同
    学園
    の大学部である最高学部(以下,学部)開学(1949年)時の教育理念を再考することとした.自由
    学園
    の創立以来の“生(いのち)のよき経営者” を目指す教育は,同
    学園
    の教育の集大成として位置づけられる学部開学以降継承されてきているものであり,特にその“生活教育” に見出されるバランスと実践について理解する上で「ケイパビリティ教育」が一つの重要な指標となることを示唆した.
  • 日本心理学会大会発表論文集
    2008年 72 巻 E_EWS02
    発行日: 2008年
    公開日: 2018/09/29
    会議録・要旨集 フリー
    話題提供者変更 話題提供者削除 (誤)酪農
    学園
    大学 内田佳子# 慶應義塾大学 山本淳一 (正)酪農
    学園
    大学 山田弘司
  • 外務省東方文化事業との関わりを中心に
    清水 賢一郎
    生活大学研究
    2018年 4 巻 1 号 14-41
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/04/05
    ジャーナル フリー
    本稿は自由
    学園
    と中国との交流の歴史の、開始当初の状況について、
    学園
    を訪れた中国からの視察団の来訪記録を通じて明らかにしようとするものである。中国からの来訪者との交流の積み重ねは、1938年の北京生活学校創設へと至る経緯として、また日中戦争を軸とする東アジアの国際情勢の中で自由
    学園
    がいかなる位置を占めたのかを理解するうえでも重要な意義をもつが、その実相は従来ほとんど知られていない。こうした状況を踏まえ、本稿では事実の掘り起こしを主眼に、
    学園
    の内部広報誌、外務省の未公刊文書、及び中国側の報告書や新聞雑誌等を対象に探査を進めた結果、1924年に中国各地から相継いで視察団の来校があったこと、その背景には外務省の東方(対支)文化事業が深く関係していることが明らかになった。中国からの視察団が
    学園
    の教育実践の何に注目したのか、逆に
    学園
    の生徒は視察団との交流を通じて中国への認識をどのように深め得たのかを、両者を媒介した第三者、日華学会や中華留日基督教青年会との関係性の中で多方向的に照射させ合うことによって、自由
    学園
    を舞台に繰り広げられた歴史の一端を解明するとともに、
    学園
    という〈場〉が日中文化交流史において果たした役割とその意味を、社会・文化的側面から政治・外交的側面まで含め多面的に理解するための重要なヒントが浮かび上がってきた。
    学園
    と中国との関わりの検討は、一
    学園
    や個々人の友好交流から視点を拡げ、国際政治や文化外交、さらに交流相手の国内事情までを含む、多層的な力学の中に置き直して再検討される必要がある。国内的/国際的に複雑多様な力線の輻輳する磁場の中で、
    学園
    は一つの自立的な位置づけを有しており、そのことこそが種々の難しさを抱える文化外交の中で、訪問先として
    学園
    が選好された所以と見なされる。
  • 小田 幸子, 久崎 恵那, 藤田 明日香
    生活大学研究
    2022年 7 巻 1 号 63-81
    発行日: 2022/05/07
    公開日: 2022/05/07
    ジャーナル フリー
    2020年は戦後75年にあたり,戦争を直接知らない世代への戦争体験の継承が課題になっている.本稿は,2020年度自由
    学園
    最高学部卒業勉強論文1(自由
    学園
    女子部26回生が学徒勤労動員時から戦後にかけて書いた「自由
    学園
    勤労報国隊日記(1944 年8 月~1946 年2月)」を当時の教育政策などにも照らし合わせて読解,学内外の学徒動員関連の資料・文献調査,関係者へのインタビュー調査を通してこの「日記」の持つ価値を考察,今後の自由
    学園
    の平和学習に資する参考資料の作成と学習プログラムの提案を行った)を改稿し,「自由
    学園
    勤労報国隊日記」から読み取れた女子部26 回生を中心とした自由
    学園
    の学徒動員の実態を述べ,併せて資料としての価値を明らかにするものである.なお,自由
    学園
    女子部の学徒勤労動員に関する資料として学外に発表されたものとしては,女子部22,23 回生が中島飛行機武蔵製作所に動員された当時の様子をまとめたものなどがある.
  • 日本心理学会大会発表論文集
    2011年 75 巻 E_1EV053
    発行日: 2011年
    公開日: 2019/02/02
    会議録・要旨集 フリー
    発表者変更 (誤) 東洋大学 ○市村(阿部) 美帆 ポラス(株) 相馬 朋浩 埼玉
    学園
    大学 小島 弥生 (正) 東洋大学 市村(阿部) 美帆 ポラス(株) 相馬 朋浩 埼玉
    学園
    大学 ○小島 弥生
  • 奈良 忠寿
    生活大学研究
    2017年 3 巻 1 号 106-107
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/12/21
    ジャーナル フリー
    本稿は2017 年3 月10日に開催された2016年度自由
    学園最高学部学園
    特別実習報告会についての報告である。
    学園
    特別実習は、カリキュラム改定に伴い、2016年度1年生から生活経営研究実習と名称が変更されたが、報告会は1・2年合同で開催されるため、従来の
    学園
    特別実習の名称で行われた。報告会では、1・2年生全員が所属するグループごとに、1年間の活動内容と考察を口頭発表した。本稿では、グループごとの発表内容を当日の要旨集をもとに抄録する。
  • 村上 民
    生活大学研究
    2021年 6 巻 1 号 76-90
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/04/21
    ジャーナル フリー
    本稿を含む二つの論考によって、戦時下における自由
    学園
    の教育を二つの観点から検討する。(1)学則変更や各種認定申請といった制度整備が各種学校たる自由
    学園
    にとって存続問題に関わる課題であったことを明らかにし、(2)戦時下の「生活即教育」の諸相を学徒勤労動員も含めて概観する。こうした制度と教育実践の両面から、戦時下における自由
    学園
    の全体像の把握を試みる。ここで取り扱う「戦時」とは、1937 年7 月7日の盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が全面化していく時期から1945 年8 月15 日の終戦前後までの時期とする。羽仁もと子、吉一夫妻の教育事業は、1921年創立の自由
    学園
    (高等女学校相当と高等科)から始 まり、1930年代にかけて、初等教育、男子中等教育へと広がっていた。1937年時点で、自由
    学園
    (女子教育)、同小学校(1927年設立)、同男子部(1935年設立)の計3つの学校が設立されていた。女子部および男子部は高等女学校令・中学校令に拠らない各種学校の7年制中等教育で、専検指定(上級学校への接続、兵役上の特権等)を受けていなかった。自由
    学園
    は当時の学校教育制度の周縁部に位置し、教育行政の規制を受けにくく自由度が高かった一方、制度的には脆弱な立場にあった。戦時体制下の教育政策は統制を強め、自由
    学園
    は学校存続の危機に複数回直面した。青年学校男子義務化(1939年)に伴う男子部存続問題や、中等教育令(1943年)による各種学校整理(廃止)方針に伴う自由
    学園
    存続問題、校名変更要求がそれであり、その都度自由
    学園
    は学則変更等を試みつつ、教育の独立性や校名「自由」についてはあくまで堅持する姿勢を貫いた。
  • 村上 民
    生活大学研究
    2020年 5 巻 1 号 22-35
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/06/13
    ジャーナル フリー
    本稿を含む3つの論考は、自由
    学園
    草創期(1921 年~1930年代前半)におけるキリスト教とそれに基づいた教育を、創立者羽仁もと子(旧姓松岡、1873–1957)・吉一(1880–1955)のキリスト教信仰との関係において検討することを目的とする。なかでも羽仁夫妻における「自由」と「独立」への関心に焦点をあてる。本稿では3つの論考に共通する問題意識を明らかにするとともに、最初の課題として松岡もと子、羽仁吉一の青年時代とキリスト教との出会いについて扱う。 羽仁もと子・吉一夫妻は、自身の信仰の事業として自由
    学園
    を設立した。その教育理念はキリスト教を土台としていたが、その最初期には直接的にキリスト教を標榜せず、当初は形の定まった礼拝も行われなかった。また、校名「自由」の意味をヨハネ伝との関係で定式的には語らなかった。羽仁夫妻は「自由」を自由
    学園
    の教育と宗教に深く関わるものとして、すなわち自由
    学園
    を名指すもの、決してとりさることのできないものとして堅持し、戦時下の校名変更の圧力に対してもこれに応じなかった。この「自由」は戦後もなお自由
    学園
    にとって問題(課題)でありつづけた。「自由」は自由
    学園
    の教育とキリスト教を考える上でキーワードとなるものだが、その含意は必ずしも自明ではない。 本稿を含む3つの論考では、「自由
    学園
    のキリスト教」を考えるために、まず自由
    学園
    の草創期(1921 年~1930 年代前半)を検討範囲とし、これを検討するために3 つの側面を取り上げる。 (1)松岡もと子、羽仁吉一の青年時代とキリスト教との出会い (2)羽仁もと子、吉一の出版事業とキリスト教との関わり (3)羽仁夫妻の「信仰の事業」としての自由
    学園
    創立とそのキリスト教
  • 染料植物・薬用植物栽培と戦後の自然誌報告
    大塚 ちか子, 下野 明子, 松田 こずえ
    生活大学研究
    2021年 6 巻 1 号 148-156
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/04/21
    ジャーナル フリー
    武蔵野南沢の自然誌(I)に記した自由
    学園
    女子部18回生による『南澤花鳥暦』(1940年完成)とほぼ同時期から男子部2回生によって行われた武蔵野百花園と、その後の染料植物・薬用植物の栽培について、当時の『
    学園
    新聞』(自由
    学園
    出版局発行)の戦時下(1939~1941)の記事から紹介する。武蔵野の美しい植物を残そうという努力であったと言えるが、次第に空き地農業による食料増産に移っていく。自然誌の学びが伺える。なお、この武蔵野南沢の自然誌についいて、さらに南沢キャンパス移転後の自由
    学園
    の自然誌資料を紐解くことになり、連載として報告を重ねることになった。そのため、現在および今後の武蔵野地域の自然誌研究に資することを願って、戦後の自由
    学園
    の自然誌報告から紹介した。
  • 向山緑地・立野川源流域 (1)
    柏木 めぐみ, 南雲 八恵, 大塚 ちか子, 下野 明子, 松田 こずえ
    生活大学研究
    2023年 8 巻 1 号 103-111
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/08/04
    ジャーナル オープンアクセス
    自由
    学園
    南沢キャンパス(東京都東久留米市
    学園
    町1–8–15)の構内を流れる立野川の最上流域である「向山緑地・立野川源流域」(東久留米市南沢3丁目)は,北向きの斜面林で,旧石器・縄文時代から人々に利用されながら大切に守られてきた.大きな撹乱を受けずに残されているこの貴重な縁崖林を継承していくため,自由
    学園
    の学生等は,地元に学び,地域の一員として保全活動等に取組んでいる.本寄稿では,自由
    学園
    最高学部(大学部)の学生・教員が,向山緑地・立野川源流域をフィールドとして,地域の方々と共に行っている教育研究の内容の一部を紹介する.
  • 大塚 ちか子, 杉原 弘恭, 神 明久
    生活大学研究
    2016年 2 巻 1 号 105-106
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/04/21
    ジャーナル フリー
    2015 年度 自由
    学園
    最高学部(大学部)卒業研究「自然と人のかかわり-武蔵野 東久留米向山緑地の動植物-」が、多摩六都科学館の自然の部屋にパネル展示されている。この研究の調査地である向山(むこうやま)緑地は、自由
    学園
    構内を流れる湧水河川、立野(たての)川の源流域周辺で、㈻自由
    学園
    は、市民ボランティア、および東久留米市と協働で保全活動を行っている。
  • 戦時下の自由学園の農業教育から (1)
    大塚 ちか子, 下野 明子, 松田 こずえ
    生活大学研究
    2023年 8 巻 1 号 81-102
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/08/04
    ジャーナル オープンアクセス
    自由
    学園
    は1921年に旧東京府で女学校としての創立後,関東大震災後の復興による現 目白キャンパス周辺の都市化によって,1930年代前半に農村地帯であった旧 同 北多摩郡久留米村の現南沢キャンパスに移転し,1935年に男子部が創設された.当時は,1931年の満州事変以降,1937年日中戦争,1938年に国家総動員法公布と続く戦時体制下であった.自由
    学園
    の食糧増産は,佐々木喬教授(東京帝国大学田無農場長)の指導によって,農業教育として男子部,女子部,初等部が協力して行われた.本寄稿では「戦時下の自由
    学園
    の農業教育から(1)」として,自由
    学園
    南沢キャンパス北側の谷を流れる落合川沿いにあった「旧落合川自由
    学園
    校地(仮称)」(男子部産業教育の拠点)と,そこで行われた循環型農業を目指した麦作と水田稲作,養豚について,男子部農業助手による1943(昭和18)年の報告と,当時の生徒の回想から紹介する.
  • 清重 めい
    日本家政学会誌
    2023年 74 巻 11 号 637-647
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/12/08
    ジャーナル フリー

     本稿の目的は, 家庭内にとどまらず学校や社会全体の経済活動を射程とした経済教育を行なった特異な実践として, 1920年代から1930年代における自由

    学園の高等科経済グループ並びに自由学園
    消費組合の実践を明らかにすることである. 検討から明らかになったことを2点あげる. 第一に, 自由
    学園
    の経済に関わる教育実践として, 高等科経済グループでは,
    学園
    の予算管理に関与していたこと, 著名な経済学者らを講師のもと, 消費組合や金融に関する授業がなされ, 本格的な調査研究を実施していたことが明らかになった. 第二に, 卒業生を主体とした自由
    学園
    消費組合の活動は, 高等科経済グループの興味関心をその発端として成立し,
    学園
    内の経済・経営関係に携わりつつ, 女性による消費組合活動を展開したことが明らかになった.

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