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クエリ検索: "学校" 映画
16,865件中 1-20の結果を表示しています
  • 佐藤 知条
    教育方法学研究
    2018年 43 巻 71-81
    発行日: 2018/03/31
    公開日: 2019/04/01
    ジャーナル フリー

     本稿では,大正新教育期の成城小

    学校における映画
    の教材利用の様相を明らかにし,後の
    映画
    教育の展開との関連を考察した。

     まず,取り組みの中心的な役割を担った訓導,関猛の論文を検討して取り組みの実情を考察した。関は,学習者の感覚に訴える,直観的印象を明確にする,具体的経験を通した学習ができるといった,一般的で抽象的な表現で

    映画
    の教材としての利用価値を主張し続けた。そこには,成城小
    学校の新教育の考え方に基づいた児童中心の学習の実現に向けた映画
    利用法も研究していたが成果を得られなかったことが関連していたと考えられる。

     つぎに,成城小

    学校の取り組みと後の映画
    教育との関連を検討した。成城小
    学校
    時代の関の主張は粗放であり理論の提示とはいえないが,奈良県桜井小
    学校訓導の下野宗逸は関の論文に強く影響を受けながら独自の映画
    利用論を構築した。下野の登場は,国定教科書の内容理解を促す教材として
    映画
    利用を拡大させる動きを導いた。一方,成城小
    学校
    を離れた関は1930年代半ばに,
    映画
    によって児童中心の学習を実現させるという考え方を具体的な指導案や自作した教材
    映画
    を通して初めて提示した。その教材
    映画
    は戦後にも受け継がれ,
    映画
    教育の方向性にも影響を与えた。理論の継承や発展,人的な連続性といった側面からは見えにくいが,成城小
    学校の映画利用と後の映画
    教育との間には確かな関連が存在しているのである。

  • 柴 一実
    理科教育学研究
    2003年 43 巻 3 号 1-12
    発行日: 2003/03/05
    公開日: 2022/06/30
    ジャーナル フリー

    本研究は,占領下日本における理科関係のCIE 教育

    映画
    の実態, CIE 教育
    映画の学校
    での利用法及びCIE教育
    映画
    の理科教育改革に及ぼした影響などについて明らかにすることを目的とした。諸資料による文献研究及び関係者へのインタビューの結果,次の諸点が認められた。1. CIE 教育
    映画
    はアメリカやイギリスなどで製作されただけでなく, 日本でも製作された。日本で製作されたCIE 教育
    映画
    「火の用心」は,アメリカ製CIE 教育
    映画
    「火の化学」の一部を採録して製作されたが,「火の化学」に見劣りしない教育的価値の高い
    映画
    であった。2. CIE教育
    映画
    「火の用心」と「火の化学」は小・中
    学校
    の教科書の不備を補足するだけでなく,火災予防という社会的ニーズに応えるものであった。3. CIE教育
    映画は学校現場に映画
    教材を提供しただけでなく,日本における良質の
    映画
    教材の開発を一層促進し,
    学校での映画
    利用を容易にしたのではないかと考えられる。4. CIE や地方軍政部,文部省などによって, CIE 教育
    映画
    視聴後,「研究と討論の栞」を用いて「討論」を行うことが奨励されていた。5. CIE 教育
    映画
    上映は,今日の各都道府県視聴覚ライブラリー設立の契機となっており,理科における視聴覚教育の先駆けであった。

  • ―戦後日本の「排除型社会」への帰結の象徴として―
    韓 東賢
    教育社会学研究
    2015年 96 巻 109-129
    発行日: 2015/05/29
    公開日: 2016/07/19
    ジャーナル フリー
     ヤング(Young 訳書,2007)は,欧米におけるポスト工業化社会への変化が,同化と結合を基調とする「包摂型社会」から分離と排除を基調とする「排除型社会」への移行でもあったと指摘する。一方,敗戦後,米軍の占領期を経て厳格なエスニック・ネイションとして再出発した日本では多文化主義的な社会統合政策が取られたことはなく,そのような意味での「包摂型社会」になったことはないと言えよう。にもかかわらず,日本でも1990年代から徐々に始まっていたヤングのいう意味での「排除型社会」化の進行は見られる。つまり,「包摂型社会」を中途半端にしか経由せず,そのためそこでの同化主義への処方箋である多文化主義も経由せずに,にもかかわらず「バックラッシュ」が来ている,というかたちで,だ。
     本稿ではこうした流れを,朝鮮
    学校
    の制度的位置づけ,処遇問題からあとづけていく。そこから見えてきたものは次の3 点であると言える。①仮に戦後の日本がヤングのいう意味での包摂型社会だったとしても,その基調は同化と結合ではなく,「排除/同化」――排除と同化の二者択一を迫るもの――であった。②2000年代には,このような「排除/同化」の基調を引き継ぎながら,にもかかわらず,「多文化主義へのバックラッシュ」としての排除を露骨化,先鋭化させた排除型社会になった。③そのような「排除/同化」,また2000年代以降の排除の露骨化,先鋭化において,朝鮮
    学校
    の処遇はつねにその先鞭,象徴だった。
  • ― スライド集「日本周遊」の1920年代の学校教育での利用価値と歴史的意味 ―
    佐藤 知条
    教育方法学研究
    2015年 40 巻 51-62
    発行日: 2015/03/31
    公開日: 2017/07/19
    ジャーナル フリー

      本研究はテクノロジーと機器を用いて教育内容を提示する教材を「メディア教材」と呼ぶことにして,戦前における幻燈(スライド)のメディア教材としての位置づけを新発見の19枚組のスライド集に基づいて検討し,それがメディア教材の利用の歴史において持つ意味を考察するものである。

      19枚のスライドは1920年代には製作されており,なおかつメディアの教育的利用に力を入れていた

    学校
    に導入されていたものと思われる。スライドの多くは国定地理教科書の内容に準拠した場所を精密な画像で表現したものであることから,1920年代の地理科で利用されていた挿絵や絵葉書といった映像的な教材の不十分さを補完できるメディアとして幻燈が位置づけられ,教材として利用可能なスライドが製作,編集されていたと考えられる。そのうえで,いくつかのスライドの内容から,国定教科書の補助にとどまらない使い方も考えられることを指摘した。

      幻燈業者の

    学校
    教育に対する姿勢と文部省の幻燈に対する態度を見ると,スライドは業者があらかじめ組んで市販していたものではなく,利用者である教師が内容の選択に関与して独自に編集したものである可能性が示唆される。利用者が個別に関与して作られるメディア教材は幻燈から後には一般的ではなくなることから,教材用の教育
    映画
    が本格的に登場する1930年代にメディア教材の製作と利用の構造が転換したといえる。

  • 佐藤 知条
    教育メディア研究
    2009年 16 巻 1 号 29-39
    発行日: 2009/09/30
    公開日: 2017/07/18
    ジャーナル オープンアクセス
    本稿では
    映画が教育的に利用可能なメディアとして学校
    教育の枠組みの中に位置づけられる過程を,他に先駆けて授業での
    映画利用を行った小学校
    訓導関猛の理論と実践を分析することで考察した。
    映画
    がまだ「活動写真」と呼ばれていた1910年代から20年代において教育関係者は活動写真の娯楽性や大衆性を批判し,悪影響を与えるという理由で児童や
    学校
    から遠ざけるべきものとして扱った。こうした状況下で
    映画
    教育を開始した関猛は,当時一般的ではなかった「
    映画
    」の語を使うことで,娯楽性や大衆性といった面を切り捨てて映像メディアとしての機能や教育的効果といった側面を焦点化させた。そして
    映画の利用が学校
    教育における目標達成に資することを示した。その結果,「
    映画
    」は
    学校
    教育の枠組みにおいて了解可能かつ利用可能な教材として位置づけられた。「
    映画
    」の語の出現とその意図的な使用は,授業での利用と研究を正当化させたという点において,
    映画
    教育という文化を生み出す上で重要な要素であった。
  • 成城小学校訓導・関猛の実践に着目して
    髙橋 直治
    教育メディア研究
    2018年 25 巻 1 号 37-60
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/11/30
    ジャーナル オープンアクセス
    本稿は,戦前の成城小
    学校で初めて映画
    を用いた教育を実践した訓導(教諭),関猛を対象とし,関猛が教育雑誌に残した言説・実践記録を網羅的に検討することで,これまで限定的にしか語られることのなかった戦前の
    映画
    と教育をめぐる関係を,改めて考察するものである。本稿では,特に1925年から1933年までに着目する。それは,日本の映像メディアと
    学校
    教育との関係についての再帰的言説が醸成される契機となる1932年の「動く掛図論争」以前の実践であること,つまり,その後,戦中・戦後を経て現在に至るまで慣用とされる
    映画
    と教育の関係枠組みにおける二元論的構図(
    映画
    による教育/
    映画
    についての教育)とは別の,教育における
    映画
    利用の可能的様態を示唆する重要な期間であることによる。関の
    映画
    教育は,作品鑑賞としての
    映画
    利用や,各教科の教鞭補助具としての
    映画
    利用のみを行なったのではなく,制作・編集・上映・討議等の一連の「行為」としての
    映画
    活動を,教育として活用したものであった。それは,
    映画
    というメディアによる新しい教育の実践であった。
  • 芳野 菊子
    教育メディア研究
    2005年 11 巻 2 号 81-88
    発行日: 2005/06/30
    公開日: 2017/07/18
    ジャーナル オープンアクセス
    中国において人材学を提唱する雷禎孝氏は,人材教育の観点から世界の優れた教育
    映画を組織的に学校
    教育に導入することを企図し政府に提案した。中国文部省は教育部の直轄機関である中央電化教育館の実践研究課題の中に
    映画
    教育を位置づけ,1995年から全国の実験研究校を中心に
    映画
    教育を展開している。筆者は,2004年4月
    映画
    教育の提唱者であり推進者でもある雷禎孝氏を中心とする訪日視察団との交流を契機に,中国
    映画
    教育全国大会への招待を受けるなどして,中国の
    映画
    教育についての情報を得る機会を得た。全国大会では幼稚園・小
    学校
    ・中
    学校
    の独自性のある多様な実践が報告され,先進的な研究校ではコンピュータの活用も進めており,
    映画
    視聴をもとにメディア・リテラシーの方向を模索していることが伺われた。本稿はこれらの機会に知り得た中国
    映画
    教育の状況を紹介するものである。
  • 赤上 裕幸
    マス・コミュニケーション研究
    2009年 75 巻 111-128
    発行日: 2009/07/31
    公開日: 2017/10/06
    ジャーナル フリー
    This study deals with the problem of cinema education. While previous studies have focused on the area of school education, the present study reveals the essence of the cinema education movement, which also attempted to improve the position of cinema. In 1928, Mizuno Shinko, head of the Motion Picture Department of the Osaka Mainichi Newspaper, applied the term "educational film (Katsuei)" to films with an educational purpose. He intended to improve the perception of "cinema (eiga)" as low-class entertainment by comparing it to "print (Katsuji)". I also discuss his dream that Katsuei will take the place of print culture.
  • 共同映画と映画センター
    藤田 修平
    映画
    研究

    2016年 11 巻 22-38
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/02/24
    ジャーナル オープンアクセス
  • 田村 謙典
    マス・コミュニケーション研究
    2007年 70 巻 213-232
    発行日: 2007/01/30
    公開日: 2017/10/06
    ジャーナル フリー
    Considerable research has been devoted to revealing the logic of justifications for the wartime structure of social domination. Rather less attention has been paid to the logic of teachers' consumption of films. I will focus on teachers' film consumption in the 1930s, by analyzing the "Moving wall chart" controversy. This controversy shows us the foundations of film consumption, thus explaining not only how the logic of teachers' education benefits the construction of nationalism through films, but also demonstrating that there is a particular politics of perception in watching films.
  • -映画法 (1939年) の評価をめぐって-
    赤上 裕幸
    日本社会教育学会紀要
    2009年 45 巻 1-9
    発行日: 2009年
    公開日: 2021/01/19
    ジャーナル オープンアクセス

      This study examines the problem of film education. Little attention has been given to the fact that the Film Law (1939), known as the first cultural law in Japan, had the features of a “film-educational law.” What is more important is that this law has been evalued differently according to the standpoint of the evaluator. Those who promoted social education admired the Law, while those who emphasized school education made the opposite evaluation. Particularly, the latter said that the film for school education was excluded by the Law.

      But these views are unsatisfactory. The purpose of this study is to consider film as “national-educational media,” rather than limiting the area to school education. From this point of view, it is clear that the law intended to improve the position of educational films. That is to say, despite the “time-lag” before the effects of the Film Law became apparent, the Law had a positive influence on both social education and school education.

      I will expand this argument to look at present media policies and cultural policies. The important point to note is the unification of “entertainment and education” which those who promoted social education intended to realize.

  • 國分 麻里
    社会科研究
    2013年 79 巻 1-12
    発行日: 2013/11/30
    公開日: 2017/07/01
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は,「社会科教材
    映画
    体系」の分析を通じて,初期社会科の教材としての教材
    映画
    の特色を明らかにすることである。初期社会科の教材は,単元学習のための問題群や資料,学習の仕方を提示するものであり,新教育の考えを背景にして
    映画
    も教材の一つとされた。社会科の教材
    映画
    に関する議論は1949年を機に盛んになり,4年間で39本の教材
    映画
    が「社会科教材
    映画
    体系」として製作された。結論として,教材
    映画
    の特色を以下の3点に整理することができる。(1)1948年発行『補説』の作業単元を基に題材を選定し,社会機能ごとに
    映画
    が製作された。(2)
    映画
    の各作品には,「
    映画
    のねらい」「学習展開例」「
    映画
    シナリオ」等を掲載した「指導書」がつけられ,授業をする際に教師がそれを用いるようにした。(3)授業実践において,
    映画
    には学習内容に必要な情報を与えるものと,児童の自主的な活動の様子を
    映画
    の中で直接経験させるものの2種類があった。特に後者は子どもの民主的な活動が描かれており,民主主義的な活動を広める意味もあった。
  • 川崎 賢子
    演劇学論集 日本演劇学会紀要
    2016年 62 巻 123-127
    発行日: 2016/05/30
    公開日: 2016/06/07
    ジャーナル フリー
  • 米村 みゆき
    日本文学
    1999年 48 巻 4 号 69-79
    発行日: 1999/04/10
    公開日: 2017/08/01
    ジャーナル フリー
    児童
    映画
    の誕生と呼ばれた『風の又三郎』(昭15 日活)は、一般興行のみならず
    映画
    教育運動の全国的機構により広汎に受容された。本稿はこの
    映画
    の制作や受容についての様相を探ることで、戦時期の児童
    映画
    と教育の関係について考えている。
    映画
    の動員に利用された<童心><田舎>、
    映画
    独自に盛り込まれた<
    学校
    >というファクターから、この
    映画
    が人々を強く引き付けた"磁力"とは、時局の"教育"であった様相が見えてくる。
  • 佐藤 知条
    教育メディア研究
    2012年 18 巻 1-2 号 25-36
    発行日: 2012/03/31
    公開日: 2017/07/18
    ジャーナル オープンアクセス
    本稿では
    映画
    の教育利用を推進する全日本活映教育研究会の監修で1933年に作られた理科の教材
    映画
    『石炭』の内容を分析して教師や教育関係者の思想との関連を考察した。
    映画
    は教科書だけで授業を展開させるのが難しい部分を補完するように作られていた。これは教師が教材
    映画
    に求めていたことと一致していた。このことは娯楽性と興行性の排除とも関連するため,興行
    映画製作者を排除し教育関係者の手で教育映画
    を作ろうとする思想の表れとも解釈できる。一方で
    映画
    には教科書にはない場面も存在した。ここには,時間とともに場面が変化するメディアであるために映像の一貫性やつながりへの考慮が生じるという
    映画
    特有の事情が影響していたと考えられる。教師はこの場面に
    映画
    の教科横断的な利用可能性を見出していたことから,『石炭』は当時の教師の教育
    映画
    観を反映したものであるとともに,彼らの教育
    映画
    観に影響を与えるものでもあったと考えられる。
  • 稲塚 秀孝
    日本小児放射線学会雑誌
    2020年 36 巻 1 号 12-17
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/25
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  • 鈴木 彩之, 近藤 卓
    学校
    メンタルヘルス

    2007年 10 巻 75-81
    発行日: 2007年
    公開日: 2021/05/28
    ジャーナル フリー
  • 月野木 隆行, 山田 朗
    コンテンツ教育学会誌
    2018年 2 巻 48-51
    発行日: 2018/03/12
    公開日: 2022/02/28
    ジャーナル フリー

     コンテンツ教育学会第1回大会(2017年3月)にて発表した卒業制作作品『溶ける』が,カンヌ国際

    映画
    祭シネフォンダシオン(学生
    映画
    )部門に招待された.我々はカンヌに赴き,世界の学生
    映画
    の現状を探った.

  • 書評
    上田 学
    映像学
    2017年 98 巻 85-88
    発行日: 2017/07/25
    公開日: 2017/09/13
    ジャーナル フリー
  • 斎藤 栄二, 藤瀬 季彦
    応用物理
    1973年 42 巻 7 号 723-726
    発行日: 1973/07/10
    公開日: 2009/02/09
    ジャーナル フリー
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