江戸期は学問,文芸,芸術などが一大発展し,今日の日本文化の礎となった時代であった。食文化においても,日本人の「和食を中心とする食事形態」がこの時代に定着し,形づくられていった。
それを語るものとして,江戸期には数多くの料理書が成立しており,じつに230余種の代表的料理文書が『料理文献解題』に挙げられている。とりわけ有名なのが『料理物語』『料理網目調味抄』『素人庖丁』『料理早指南』『豆腐百珍』『料理献立集』『江戸料理集』などだ。
こうした料理書の冒頭には,多くの場合「料理の基本的心構え」というのが述べられており,その中に「料理は其席或は其客の躰心によりて献立し,塩梅致すべし」というのがある。つまり,食べる人の体や心の状態に合わせて,料理の献立や味つけに配慮せよ,というわけだ。
このことは,江戸時代には「食べものは医者である」あるいは「食べものは薬である」という「医食同源」,あるいは「薬食同源」の考え方が,すでに料理にあまねく浸透していたということで,わが国の食事学上,大いに注目される点である。
そこから感じたことは,江戸の人たちが,健康でいるための「知恵の食事学」を考え,実践していた背景には,いくつかの法則があったのではないか,ということである。
それはまず「調料(料理)の細則」,ついで「心の原則」,以下順に「食事の定則」「食通の鉄則」「食事の場の天則」「対人の通則」「暴飲暴食の罰則」である。江戸人はこれらの法則をとおして,健康的で正しい食事の在り方を,身と心で体験しながら確立していったのであろう。
日本人は食味を堪能すると同時に,食の場に一定の作法をとり入れて,精神の修養や交際礼法を究めるという,他国に類例のない修道を文化のひとつとして伝えてきた。
たとえば,茶の湯によって精神を修養し,これを他人とおこなって礼儀の法式を究める「茶道」などは,禅の精神をとり入れ,簡素静寂を主体とする侘の世界である。そして,茶人みずからが心をこめて料理をつくり客に出す「懐石料理」も生んだ。
このように茶も食事も「心配り始まり,心配りに了る」ことが,日本人の食の場の基本である。江戸の人たちは,物資は貧しい世においても,この心だけは忘れなかったからこそ,健康に生きるための知恵の食事を悠々と実践してきたのだと思う。講演では,それらの諸則から見い出された知恵の食事を語る。
抄録全体を表示