本稿は、筆者の2010年代の市民運動(主には脱原発と安保法制反対)を振り返り、そのプロセスと到達点を考察することを目的とする。筆者の場合、活動の軸となっているのが、アメリカの哲学者ジョン・デューイ(1859–1952)の思想である。デューイは民主主義を、単なる統治システムではなく、生活の中でのコミュニケーションの問題としてとらえた。民主主義を間接民主主義中心にとらえるならば、何百万という有権者の中で一人ひとりの存在は取るに足らないほど小さく、かえって有権者としての意識を喪失しかねない。こうした状況に対してデューイは、民主主義のプロセス自体に重きを置き、民主主義とは他者とのコミュニケーションが自らの生活を豊かにするという信念をもつことであると説いた。
この考え方は筆者に大きな示唆を与えた。たとえば、既存の社会運動では明確な目的を掲げ、そこへ向けて動員する人数を重視するが、それだけでは人々の参加は目的に対する手段に過ぎなくなってしまうという問題がある。つまりこの「わたし」が参加する必要がむしろ揺らいでしまうのである。そこで、あくまでもそれぞれの「わたし」の実感に根ざした運動を組み立てる必要が出てくる。これらの課題をふまえて筆者がどのような市民運動を展開してきたのか、具体例を見ながら考察していく。
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