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クエリ検索: "実在論"
2,775件中 1-20の結果を表示しています
  • 大石 敏広
    北里大学一般教育紀要
    2021年 26 巻 1-20
    発行日: 2021/03/30
    公開日: 2021/12/25
    研究報告書・技術報告書 フリー
     知識の文脈主義によれば、「私は、自分に手があることを知らない」という言明は、懐疑論者による高いレベルの認識基準に基づいて主張されているならば、その文脈において真である。一方、その言明は、日常会話での低いレベルの認識基準に基づいて主張されているなら偽である。つまり、真理は、言明の発話の文脈に相対的である。本論文では、この文脈主義を評価する準備段階として、ヒラリー・パトナムの
    実在論
    をめぐる議論に着目する。パトナムは、長年にわたって
    実在論
    との関わりの中で真理について論じてきており、自らの考え方を、形而上学的
    実在論から内在的実在論を経て自然な実在論
    へと変化させている。特に、自然な
    実在論
    は重要である。パトナムは、「自然な
    実在論
    」を、「普通人の自然な
    実在論
    」あるいは「常識
    実在論
    」と言い換えている。すなわち、自然な
    実在論
    は、私たちの日常言語の視点からの
    実在論
    であり、この
    実在論
    との関わりの中で真理についての考察がなされているのである。こうした点から、文脈主義について考察する前に、
    実在論
    と真理についてのパトナムの議論を参照することには意味がある。そこで、本研究では、第1に、パトナムの
    実在論
    の変遷をたどることによって、パトナムが
    実在論
    を変化させていった動機、この変遷において暗黙のうちに前提されている視点、そして自然な
    実在論
    から学ぶべき点を明らかにしている。第2に、パトナムの考察に基づいて、日常言語の側面から真理に関して何が言えるかについて述べている。
  • 美濃 正
    科学基礎論研究
    1990年 19 巻 4 号 161-166
    発行日: 1990/03/25
    公開日: 2010/01/20
    ジャーナル フリー
    私は, 確信のない
    実在論
    者であり, 科学的
    実在論
    者であるので, 本稿(1)では, 科学的
    実在論
    を擁護するためには, どのような方針に基づいて, どのような問題に答えねばならないか, という点についての自分なりの見通しを述べることにしたい。
    言うまでもないことであろうが, 一般に,
    実在論
    -反
    実在論
    の対立について論じる場合には, つぎの二つの問題を区別することが肝要である。(1) 存在ないし真理の本性は何か, という問題と,(2) 何が存在し, 何が真理であるのか, また, われわれはある対象の存在主張ないしある言明の真理の主張に対しどのような認識論的根拠をもつか, という問題である。私の見るところでは, 科学的
    実在論
    は, 主として第二の問題のコンテキストで論じられるべき事柄である。しかしながら最近, 第一の問題のコンテキストにおいて, 有力な反
    実在論
    の論陣が張られているので, はじめにこの立場に対して簡単にコメントし, 第一の問題, つまり存在ないし真理の本性をめぐる問題にどのような答えが与えられるかに関わらず, 第二の問題が重要な哲学的問題として残ることを確認しておきたい。最近の有力な反
    実在論
    の立場と呼んだのは, 言うまでもなく, ダメット-パットナムによって展開されている立場の事である。
  • 田中 洋
    消費者行動研究
    2015年 21 巻 1_2 号 1_2_47-1_2_56
    発行日: 2015年
    公開日: 2018/08/31
    ジャーナル フリー
  • 近森 憲助, 谷村 千絵, 上野 正恵
    教育学研究
    2017年 84 巻 4 号 455-465
    発行日: 2017/12/31
    公開日: 2018/04/27
    ジャーナル フリー
  • 美濃 正
    科学哲学
    1989年 22 巻 13-25
    発行日: 1989/11/10
    公開日: 2009/05/29
    ジャーナル フリー
  • 防災教育から考える新しい教育学
    谷村 千絵, 近森 憲助
    教育学研究
    2021年 88 巻 2 号 197-210
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/11/02
    ジャーナル フリー

     防災教育の1つとして考案された「ジレンマほぐし」は、他者と協働し、状況に応じて知識や技術、合理性を用いる当事者性を育む授業である。批判的

    実在論
    の知見から、この授業は、現実の不確定性を前提とし、学習者に状況のメタ認知をもたらし、そして自律的な主体への変容を促す社会的実践であるという3つの特徴が明らかになった。これらには防災教育を超える意義がある。また、
    実在論として特異な位置を示す批判的実在論
    は、新しい教育学の構想に有効であることも示唆された。

  • 三浦 謙
    科学基礎論研究
    1992年 20 巻 4 号 219-224
    発行日: 1992/03/25
    公開日: 2009/09/04
    ジャーナル フリー
  • 小林 道夫
    科学哲学
    1993年 26 巻 39-51
    発行日: 1993/11/20
    公開日: 2009/05/29
    ジャーナル フリー
  • 平藤 雅之
    超心理学研究
    2012年 16 巻 1-2 号 3_2
    発行日: 2012/11/15
    公開日: 2017/05/24
    ジャーナル フリー
     量子論等物理学の発展に伴って
    実在論
    (オントロジー)は新しい知見が得られるたびに揺らいで来た。まず、相対性理論の登場によって空間と時間の関係が明らかとなり、空間だけでなく時間も座標軸として実在することとなった。我々の意識はこの瞬間だけが実在すると感じているが、実際には過去も未来も実在する訳である。時間の流れに関する実感(クオリア)や認識は意識が産み出す主観的なものであり、長寿や短命は時間軸における長さの長短でしかない。
     さらに量子力学の登場によって空間と時間の実在性には大きな変更が加えられた。量子力学の基礎をなすシュレーディンガー方程式の正しさには疑う余地はないが、その式中にある波動関数Ψをどのように解釈すべきかの論争が長く続いた。大別すると、Ψの絶対値を確率と解釈する確率解釈(コペンハーゲン解釈)とΨの絶対値が示す密度で多数の世界が同時に存在するという多世界解釈である。いずれの解釈をしても関連する式はそのままであり、量子力学をツールとして使う技術者にとっては、直感的に理解しやすい方を選択すれば良いという程度のものである。しかし、
    実在論
    としては大きな違いがある。多世界解釈は「あまりに宇宙の無駄遣い」であり、「オッカムのかみそり」の経験則では妥当性が低く見える。我々の実感とかけ離れていることもあり、この解釈はあまり支持されなかった。一方、確率解釈では「この世界は確率的なもの」となり、量子力学は不完全な理論に見える(アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と反対した)。
     さて、現在は多世界解釈支持者が増えている。特に多世界解釈をべ一スにした映画やアニメが増えるに従って多世界解釈の方が実感に合う状況になりつつある。多世界解釈と時空の実在性を組み合わせると、過去・現在・未来は無限に多くの世界が実在するという宇宙観になる。無限に多くの世界といっても、その密度分布はシュレーディンガー方程式に支配されており、多数の粒子からなる我々の世界は現在、認識している世界がピークとなる密度分布である。全く違う世界の密度はほとんど0であり認識できない。
     超心理学的現象では、テレパシー、透視、PKの順で研究者に受容され、予知はできれば他の現象で説明したいと考えられてきた。予知では「親殺しパラドクス」が発生するためである。しかし、多世界解釈では親殺しパラドクスは発生しないため、タイムマシンを扱う映画やアニメでは多世界解釈的宇宙観をシナリオに採用するものが増えている。多世界解釈と予知は極めて相性が良く、逆に予知でテレパシー等を説明した方がシンプルとなる。
  • 難波 博孝
    日本文学
    2018年 67 巻 8 号 18-29
    発行日: 2018/08/10
    公開日: 2023/08/25
    ジャーナル フリー

    はじめに、第三項理論が「個別文学作品論」「一般文学論」「読むこと教育論」「哲学論」の複数の理論領域を含み込み、またもっぱら「個別文学作品論」の用語で語るなどの重荷を背負っていることを指摘した。次に、第三項理論哲学論の理論的・思想的支柱として、ガブリエルの「新しい

    実在論
    」が登場したことを述べ、「新しい
    実在論
    」の概要を、第三項理論と連接しながら述べた。最後に、「新しい
    実在論
    」を含みこんだ第三項理論は、ポスト・ポストモダンを拓き、世界に展開しうる理論になることを述べた。

  • Mikiko YOKOYAMA
    Annals of the Japan Association for Philosophy of Science
    2020年 29 巻 27-39
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/11/18
    ジャーナル フリー

     In “From Alethic Anti-realism to Alethic Realism” Künne distinguishes between alethic realism and alethic anti-realism. This article examines whether or not alethic anti-realism is appropriate, when we take the position of using commonsense to settle a philosophical problem. To that end, I will first review Künne's theory. Next, I will point out that Putnam's natural realists are alethic realists, that Wright's moderate internalists are alethic ani-realists, and that Wright argues against Putnam. Then, I will argue that Künne's conception of truth escapes the criticism of Wright's argument. Lastly I will also review Tennant's argument for anti-realism, and argue that in spite of Tennant's argument, alethic anti-realism is not appropriate when considered from a commonsense point of view.

  • 横山 幹子
    科学基礎論研究
    2007年 35 巻 1 号 1-9
    発行日: 2007/12/25
    公開日: 2010/02/03
    ジャーナル フリー
    In “From Alethic Anti-realism to Alethic Realism” Künne distinguishes between alethic realism and alethic anti-realism. This article examines whether or not alethic anti-realism is appropriate, when we take the position of using common sense to settle a philosophical problem. To that end, I will first review Künne's theory. Next, I will point out that Putnam's natural realists are alethic realists, that Wright's moderate internalists are alethic ani-realists, and that Wright argues against Putnam. Then, I will argue that Künne's conception of truth escapes the criticism of Wright's argument. Lastly I will also review Tennant's argument for anti-realism, and argue that in spite of Tennant's argument, alethic anti-realism is not appropriate when considered from a commonsense point of view.
  • 水本 正晴
    科学哲学
    1999年 32 巻 2 号 95-110
    発行日: 1999/11/10
    公開日: 2009/05/29
    ジャーナル フリー
    In Mind and World, John McDowell tries to provide a picture in which our experiences give "rational", rather than merely causal, constraints on our thinking. This was to avoid both Myth of the Given, which can give us only exculpation rather than justification, and unconstrained coherentism, which sounds idealistic. This picture can be understood as a form of "internal realism", and I have a great sympathy with this ambitious project. But I find some tension among his several theses, which in turn brings about two interconnected problems. I will give my own solution to them, in terms of the notion of ignorance. Then I will depict some consequences, both positive and negative, of that modification.
  • 三浦 謙
    科学基礎論研究
    1991年 20 巻 2 号 109-114
    発行日: 1991/03/25
    公開日: 2009/09/04
    ジャーナル フリー
  • 山内 祐平, 菅井 勝雄
    日本科学教育学会年会論文集
    1995年 19 巻
    発行日: 1995年
    公開日: 2018/05/16
    会議録・要旨集 フリー
    社会的構成主義に基づく教授-学習理論において、最も重要な要素である社会的相互作用に注目し、科学教育の中で社会的相互作用が持つ意味について、中学校理科天文分野における実践をもとに考察する。
  • 筈井 俊輔, 吉澤 剛
    組織科学
    2023年 56 巻 3 号 4-17
    発行日: 2023/03/20
    公開日: 2023/06/02
    ジャーナル フリー

     2000年代以降,組織ルーチン研究においてはFeldman‌ &‌ Pentland(2003)をはじめとする,組織活動のダイナミクスを行為や実践の局面に収斂させる方法が主流になっている.本論文ではその問題点を指摘し,批判的

    実在論
    に基づいて組織ルーチンを捉え直す.そして,新たに得られた「重層的ダイナミクス」という視野が経営の実践にどのような示唆をもたらすのか,インフラ構築の切り口から考察する.

  • 世親の転変説批判の意味
    村上 真完
    印度學佛教學研究
    2002年 51 巻 1 号 384-380
    発行日: 2002/12/20
    公開日: 2010/03/09
    ジャーナル フリー
  • 三浦 宏文
    印度學佛教學研究
    2000年 49 巻 1 号 482-480
    発行日: 2000/12/20
    公開日: 2010/03/09
    ジャーナル フリー
  • 寺石 悦章
    印度學佛教學研究
    1994年 42 巻 2 号 1001-996
    発行日: 1994/03/25
    公開日: 2010/03/09
    ジャーナル フリー
  • 横山 (中村) 幹子
    科学基礎論研究
    1996年 23 巻 2 号 91-96
    発行日: 1996/03/31
    公開日: 2010/01/20
    ジャーナル フリー
    日常生活では, 自分が見ているものと他人が見ているものが違うものであると考えることはあまりない。たとえば, チョークの場合を考えてみよう.自分の目の前にあり, それを手で持ち上げ, それを使って黒板の上に文字を書くことができるチョークについて,「このチョークは, 私にはあるように思われるけれども, 他の人にとっても同様にあるとは限らないんだ」と言う人はそんなにはいないだろう。しかし, 哲学的と言われる話になると, そのような考えを論じることは, 非常に一般的なものになる。ここでは, そのような相対主義から逃れることができるのかを考えたい。その際, 以下のような順序で考察する。まず, どのような理由で, 相対主義的な考え方がでてくるのかを考える。それから, 相対主義がでてくる状況を認めたうえで, そのような立場をとらないことができるのかを考える。そして, その際, パトナムが「デユーイ・レクチャー」のなかで提出した「自然な
    実在論
    」という考えがその候補になりうるのではないかということについて考察する。(1)なぜなら, 彼はそのなかで, 知覚作用は外的な対象と心との間の中間領域を含んでいるという考えがどのようにしてわれわれの心が外的な世界と関係するかという問題を引き起こし, それによって形而上学的な
    実在論
    や観念論や相対主義などのいろいろと問題の多い考えが生じるとし, そのような誤りを犯さない道として「自然な
    実在論
    」という考えを提出しているからである。
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