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クエリ検索: "室町時代"
5,193件中 1-20の結果を表示しています
  • 勧進と造営
    梅澤 亜希子
    建築史学
    2002年 39 巻 27-28
    発行日: 2002年
    公開日: 2018/08/17
    ジャーナル フリー
  • 大島 由紀夫
    群馬高専レビュー
    2014年 33 巻 1-11
    発行日: 2015/03/16
    公開日: 2022/03/08
    研究報告書・技術報告書 オープンアクセス
    Tenshōdaijingohonji(天照大神御本地) is a story which narrates the legendary origin of Tenshōdaijin. There are four manuscripts of this story. They are as follows:
    Manuscript 1 (M1) Untitled manuscript(well-known tentative title : Tenshōdaijinhonji (天照大神本地) ) Possessor : Keio University Library
    A manuscript book copied by hand sometime during the first half of the Edo period
    Manuscript 2 (M2) Title : Tenshōkōtaijingūgoengi (天照皇大神宮御縁起) Possessor : Mr. Tōru ISHIKAWA
    A manuscript book copied by hand in 1734
    Manuscript 3 (M3) Title : Isedaijingūgoengi (伊勢大神宮御縁起) Possessor : Mr. Tōru ISHIKAWA
    A manuscript book copied by hand in 1710
    Manuscript 4 (M4) Title : Tenshōdaijingohonji(天照大神御本地) Possessor : Yukio OSHIMA
    A manuscript book copied by hand in 1750
    M1 was introduced by Mr. Ryushin MATSUMOTO in 1974 and reprinted in Muromachijidai-Monogatari-Taisei(『
    室町時代
    物語大成』) vol.10 in 1982. Consequently the story came to scholars’ notice. After that, Mr. Tōru ISHIKAWA reported on M2 and M3 in his possession. Recently I obtained M4 at an antiquarian bookshop. So it has become possible to advance the study on the story by comparing these four manuscripts with each other. The fact that M2, M3 and M4 were originally handed down at Uonuma(魚沼) district in Niigata Prefecture(新潟県) gives us a clue to investigate the popularization of the story.
    In this paper, I have reprinted the text of M4 and given a bibliographical introduction to it.
  • 森本 岩太郎
    Anthropological Science
    1995年 103 巻 5 号 447-465
    発行日: 1995年
    公開日: 2008/02/26
    ジャーナル フリー
    神奈川•山梨•長野3県下の7遺跡から出土した飛鳥•
    室町時代
    女性7個体の切歯に、苧績み作業によると思われる、後上方から前下方に向かって傾斜する特殊摩耗面が認められた。摩耗は相互に噛み合う上•下顎切歯の各対ごとに個別に起こり、しばしば複数対の切歯に生ずる。摩耗は側切歯より中切歯に多く、また左側より右側が高度である。切歯の摩耗は少数の女性に限られ、苧績み専従の女性がいたと推測される。摩耗形式に時代差がないので、苧績みの技法は飛鳥時代から
    室町時代
    まで基本的に変わっていない。苧績みは飛鳥時代に相模国で盛行し、
    室町時代
    になると甲斐•信濃両国にも波及したと思われる。
  • 吉永 義信
    造園雑誌
    1940年 7 巻 1 号 1-12
    発行日: 1940/03/10
    公開日: 2011/04/13
    ジャーナル フリー
  • 山本 光
    林業経済
    1967年 20 巻 2 号 30-39
    発行日: 1967年
    公開日: 2018/10/17
    ジャーナル フリー
  • *居郷 翔, 原田 泰, 小島 道裕
    日本デザイン学会研究発表大会概要集
    2009年 56 巻 P06
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/16
    会議録・要旨集 フリー
    この論文では、洛中洛外図屏風の教材の開発プロセスを述べている。 洛中洛外図屏風には、
    室町時代
    の京都の豊かな情報が描かれている。 私たちは、現代の京都と
    室町時代
    を比べるのが学びになると考えた。 開発した教材では、これらの情報を分かりやすい形で示すことで、過去と現在をつなぐことを目指している。 そして、これらのツールは研究者の知識を伝える役割を担っている。
  • 石田 一良
    中世文学
    1963年 8 巻 1-2
    発行日: 1963年
    公開日: 2018/02/09
    ジャーナル フリー
  • 鶴崎 裕雄
    中世文学
    1993年 38 巻 8-14
    発行日: 1993年
    公開日: 2018/02/09
    ジャーナル フリー
  • 山崎 純, 岡本 真理子, 河田 克博, 麓 和善, 内藤 昌
    日本インテリア学会 論文報告集
    1999年 9 巻 63-70
    発行日: 1999年
    公開日: 2022/06/01
    ジャーナル オープンアクセス
    日本古典建築のインテリアを歴史的に考察するとき, その<場>と<間>を形成する書院造の設計理論を明らかにする必要がある。本稿では,屋敷雛形の設計内容を分析することで,中世から近世にいたる日本古典住宅建築学の体系を具体的に考察し,その特質を論じている。 その結果,屋敷雛形にみる設計体系の特徴は,いわゆる<木割>の展開に集約できる。まず
    室町時代
    初期における設計の原理(第Ⅰ期)をふまえて,やがて
    室町時代
    後期に<古法>と呼ばれる書院造主殿の設計論が具体化する(第II期)。そして慶長期に入ると, <古法>をもとに木割体系を整えて<当世法>が完成し(第III期), さらに数寄屋造設計論として<畳割>が展開する(第IV期)。
  • 荒木 計雄
    日本釀造協會雜誌
    1987年 82 巻 3 号 182-185
    発行日: 1987/03/15
    公開日: 2011/11/04
    ジャーナル フリー
    500年前に讃岐の国の一村に麹の組合があったという。本稿ではこの室本麹座を中心として当時の社会, 政治, 経済の動きを解説して頂いた。筆者が御当地の出身で習俗参考館を設立開館されるなど, 民俗研究家, 郷土史家として活躍されているだけに, 古文書等による裏付けも豊かで, 往時を彷彿させる古い資料が消失してゆく現代においての貴重な資料であり, 讃岐という思いがけない地方からの興味あるレポートである。
  • *志知 幸治, 池田 重人, 岡本 透, 林 竜馬
    日本森林学会大会発表データベース
    2016年 127 巻 P2-231
    発行日: 2016/07/08
    公開日: 2016/07/19
    会議録・要旨集 フリー
    秋田県地方は豊富に存在した天然スギを背景に古くからスギの利用が行われてきた。そうした地域のスギ林の成立・変遷に及ぼした人間活動の影響を明らかにするために、秋田県沿岸地域に属する能代市の一ノ沢堤湿原、秋田市の女潟、および由利本荘市の加田喜沼湿原から採取したボーリング試料の花粉分析を行い、過去1万年間の森林変遷を復元した。3地域とも、スギは10000~6000年前にはすでにわずかながら分布しており、2800~2500年前以降に拡大を開始した。その後、約600年前の
    室町時代
    初期にかけてスギは最も優占した。
    室町時代
    後期からスギ林は減り始め、約100~50年前に最も減少した。いずれの地域も、スギの減少に伴って二葉マツ類や草本類が増加しており、さらに一ノ沢堤湿原では栽培種のソバ花粉の産出が認められた。このことから、秋田県沿岸地域では
    室町時代
    以降にスギの利用および農耕などの人間活動が活発化したと考えられた。昭和中期頃に最も減少したスギは、拡大造林の影響に伴って近年では増加したことが花粉分析の結果からも認められた。今後は、江戸時代以降のスギ林変遷におよぼした森林・林業政策の影響を明らかにしていきたい。
  • ―『予章記』の背景―
    山内 譲
    中世文学
    2017年 62 巻 43-50
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/06/20
    ジャーナル フリー
  • 小山 順子
    中世文学
    2015年 60 巻 83-96
    発行日: 2015年
    公開日: 2018/02/09
    ジャーナル フリー
  • 関西 剛康
    ランドスケープ研究
    2021年 84 巻 5 号 453-458
    発行日: 2021/03/31
    公開日: 2021/06/16
    ジャーナル フリー

    The purpose of this study is to elucidate the view of gardens held by Ashikaga Takauji and his younger brother Tadayoshi, members of the Ashikaga shogun clan who played active roles in Kyoto Prefecture in the early Muromachi period. Takauji used his residential garden for mingling with Zen priests, but not for hosting poetry meetings, which was one of the Japanese dynastic customs. His younger brother Tadayoshi, however, started to hold such events as poetry meetings at the garden of his residence, known as Sanjobo-montei, offering a place to the aristocratic class called Kuge, the military nobility known as Buke, and Zen priests so that they could mingle with one another. This suggests that it is Ashikaga Tadayoshi who began the custom of using residential and other gardens for the Japanese dynastic culture. The Ashikaga brothers used the gardens of other places than their residences, such as Tenryu-ji Temple and Saiho-ji Temple, for communicating with various people, including the Emperor and Zen priests. The Ashikaga brothers organized events for the dynastic culture and Zen Buddhism at such gardens, making cross-cultural communication between the Kuge aristocratic class, the Buke military nobility, and Zen priests catch on with these three circles.

  • 三君は果たして「解放」された存在か
    鬼頭 孝佳
    女性学年報
    2019年 40 巻 9-26
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/12/20
    ジャーナル オープンアクセス
    室町時代
    に成立した『新蔵人物語(しんくろうどものがたり)』という絵巻物語の登場人物「三君(さんのきみ)」がこの物語において、どのような性格を持っているかを再考する。前半では主たる先行研究である、木村朗(さえ)子の一連の研究の意義と問題点を「三君」の「アイデンティティ」問題に焦点を当てて批評する。木村の研究の意義は、木村が前近代をロマン化せず、近代批判に挑もうという「姿勢」や、現在の外在的な道具立てに着想を得つつも、文脈に即してテクストを読もうとする「方法論」にある。しかし、木村の諸研究はその「意図」とは裏腹に、外在的な道具立てが有する時代性に無自覚で、現代と過去との偏差や概念の再措定を疎(おろそ)かにし、その道具立てを安易に過去に投影・適用して事足れるとする面が否めない。また、セクシュアリティ論の領域が前景化されすぎ、ジェンダー論が後景に退いてしまうという危険にも陥っている。 
     後半では、三君の「アイデンティティ」問題やこの物語の結末の解釈を左右する「変成女子(へんじょうにょし)」というこの絵巻物語特有の用語に関する解釈問題について、現時点で判明している情報から考え得る、最も整合的な解釈仮説を提起する。その準備作業として、紙幅の都合上、仏教学の性差別論争で代表的且つ対照的な立場を標榜する研究である、フェミニスト仏教学の先駆者、源淳子と、必ずしもフェミニストに好意的ではない植木雅俊の「変成男子(へんじょうなんし)」論の2つを紹介する。また、もう1つの予備作業として、『新蔵人物語』に関するもう1つの主たる先行研究に当たる、阿部泰郎(やすろう)の編著で「変成女子」の解釈問題がどのように解決されているかを概観し、どのような問題が残っているかを確認する。最後に、私は以上の検討を足掛かりに、江口啓子以外、どの論者も見落としている「物語読者層の願望」という観点から「変成女子」を再考する。すなわち、作者/読者として想定されている宮中の女性たち(もしくはその心理を理解し得た男性)が父権制の下に抑圧された自らの自由を空想的に回復する営為として「変成女子」を捉えることによって初めて、物語世界において物語の表向きの筋立てからはハッピーエンドを標榜する「変成女子」を、自分は「変成」などしなくても男として往生できるはずだったのに、尼にさせられたせいで、女に「変成」する羽目になってしまったと、「三君」が自嘲的に語る秘教的な文脈としても読み返すことが可能になるのではないか、というのが私の提起した仮説である。
  • 丸地 八潮
    体育学研究
    1968年 12 巻 5 号 277-
    発行日: 1968/07/05
    公開日: 2016/12/31
    ジャーナル フリー
  • その4. 室町時代
    中村 昭
    日本温泉気候物理医学会雑誌
    1983年 46 巻 3-4 号 149-151
    発行日: 1983年
    公開日: 2010/08/06
    ジャーナル フリー
  • 宮 江介, 下村 彰男, 小野 良平, 熊谷 洋一
    ランドスケープ研究
    2000年 64 巻 5 号 431-434
    発行日: 2001/03/30
    公開日: 2011/07/19
    ジャーナル フリー
    本研究は作庭技法の古典である『作庭記』から石組に関する考え方や配石の心得を抽出するとともに, 現代に残されている枯山水様式庭園における石組の配石傾向について定量分析を通して明らかにし, さらにその両者をもとに枯山水様式庭園における石組の配石原則について考察することを目的とした。その結果, 2石石組では, 第2景石は視点から眺めて第1景石の左右, 斜め前に配石することや, 両者が頂点を向け寄り添うように配石することなど, また3石石組では, 第2, 第3景石は第1景石に対してほぼ均等な距離に配石すること, 第2景石の高さは第1景石に, 第3景石の高さは第2景石にもとづき石組みされることなどの原則が考察された。
  • 鈴木 誠, 明石 理恵子
    日本庭園学会誌
    2008年 2008 巻 19 号 49-56
    発行日: 2008/08/31
    公開日: 2011/05/20
    ジャーナル フリー
  • 吉川 需
    造園雑誌
    1949年 13 巻 2 号 7-20
    発行日: 1950/03/31
    公開日: 2011/04/13
    ジャーナル フリー
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