藤原宮は本格的な条坊をもつ最初の古代都城として,また初めて宮城の大垣や殿舎に屋瓦を葺いたことでよく知られる。宮城の大垣や主要な建物に瓦葺するには,短期間に古代寺院の数10倍に及ぶ多量の屋瓦を生産することを必要としたことになる。
藤原宮から出土した屋瓦は,製作技法と胎土の違いから15グループに分けられており,これらは大和盆地内では,日高山瓦窯,高台・峰寺瓦窯,内山・西田中瓦窯,安養寺瓦窯,また大和盆地外では,近江,讃岐西部の宗吉瓦窯,讃岐東部,淡路の土生寺窯,和泉地域で生産して供給されたことが知られている。これらの屋瓦の生産に伴う製作技術では,大和盆地外では粘土板桶巻き技法,また大和盆地内では粘土紐桶巻き技法が採用され,顕著な違いがあったことも明らかになっている。
大和盆地外で生産されたもののうち,近江の花摘寺廃寺,国昌寺から出土したものは,それらの位置からみると周辺に須恵器生産地が所在し,しかも藤原宮に水運しうる琵琶湖岸,瀬田川岸にあった国家的な所領(官有地)に瓦窯を設けて屋瓦生産が行われたように推測される。
また,その他の大和盆地外の讃岐西部の宗吉瓦窯,讃岐東部,淡路の土生寺窯,和泉地域で藤原宮の屋瓦を生産した各地域を検討すると,その屋瓦生産にあたっては,ほぼ近江と同じような条件をもつ国家的所領で造瓦組織を編成し,藤原宮へ水運したものとみなされる。
一方,大和盆地内の日高山瓦窯,高台・峰寺瓦窯,内山・西田中瓦窯,安養寺瓦窯のうち,日高山瓦窯は藤原宮のすぐ南の丘陵,高台・峰寺瓦窯は飛鳥から少し離れた巨勢路沿いに設けられ,いずれも国家的な所領で屋瓦が生産されたものと想定される。さらに内山・西田中瓦窯は
富雄川
流域,安養寺瓦窯は竜田川流域に所在した同様の地で生産したものと推測される。
このように,藤原宮の造営にともなう国家的な屋瓦生産では,大和盆地外の地域では海路を漕運するのに適し,付近に須恵器生産地が近い国家の所領において,大和盆地内は,藤原宮周辺と河川によって水運しうる国家的な官有地に官営工房を設置して量産がはかられたことがわかる。
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