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クエリ検索: "対馬"
15,189件中 1-20の結果を表示しています
  • 後藤 恵之輔, 全 炳徳, 長野 克章
    土木史研究
    1996年 16 巻 375-380
    発行日: 1996/06/05
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    我が国に残存する他の国絵図と比べて極めて精度の高い地図で、1700年、幕府に献上された
    対馬
    の「国絵図」は、
    対馬
    の厳原町にある長崎県立
    対馬
    歴史民俗資料館に控え図が残されており、今も当時の優れた測量技術を物語っている。本研究では、この
    対馬
    国絵図について、控え図とともに残されている「御国絵図記録」の内容を調べるとともに、画像解析を行って精度を検討した。
  • ―観光動機とナショナリズムをめぐって―
    中村 八重
    日本文化人類学会研究大会発表要旨集
    2011年 2011 巻 SMa4
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/20
    会議録・要旨集 フリー
    本報告は韓国人による
    対馬
    観光を取り上げる。国境を超える韓国人の
    対馬
    観光はどのような行為であるか観光の動機と実態を探ることを目的とする。国境の島としての
    対馬
    のアイデンティティはむしろ、近接性や経済性そして韓国で広く共有されている「
    対馬
    は韓国の領土であった」という認識のもとに理解されて、韓国人観光客が
    対馬
    を訪れる動機になっていることを指摘する。
  • 森本 昭彦, 柴野 良太, 高山 勝巳
    沿岸海洋研究
    2020年 58 巻 1 号 59-60
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/09/12
    ジャーナル フリー
    東シナ海から日本海へは
    対馬
    暖流により栄養塩が水平的に輸送されている.この水平的に輸送される栄養塩量の変化は 日本海の低次生態系,特に
    対馬
    暖流域の基礎生産を変化させる.
    対馬
    海峡における観測結果から,
    対馬
    海峡を通過する栄 養塩量の経年変化が大きいことが分かっているがその変動要因は明らかになっていない.本研究では低次生態系モデルを 使い,
    対馬
    海峡を通過する栄養塩の起源とその寄与率を明らかにし,どこを起源とする栄養塩の変化が
    対馬
    海峡の栄養塩 を変えるのかを検討した.
  • 後藤 恵之輔, 崔 勝弼, 全 炳徳
    土木史研究
    1995年 15 巻 587-591
    発行日: 1995/06/09
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    元録13年 (1700年) に幕府に献上された長崎
    対馬
    の国絵図は、我が国に残存する他の国絵図と比べて極めて精度の高い地図である。本研究では、この
    対馬
    国絵図について、その歴史的背景を調べるとともに、精度をチェックし、どのような技術により作られたかなどを調査、考究するものである。
  • 酒井 治孝, 川原 和博
    日本地質学会学術大会講演要旨
    1990年 1990 巻
    発行日: 1990/09/25
    公開日: 2017/08/25
    会議録・要旨集 フリー
  • -なぜ対馬に韓国人観光客が多いか-
    中村 八重
    日本文化人類学会研究大会発表要旨集
    2014年 2014 巻 D15
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/05/11
    会議録・要旨集 フリー
     本発表は、韓国人による
    対馬
    観光を取り上げ、韓国資本の流入や韓国人による観光整備などがどのように行なわれているかを検討し、ホスト社会である
    対馬
    の韓国認識と相互関係について検討することを目的とする。韓国定期航路の開設、増設と急激な観光客の増加、そして仏像盗難事件を通じて観光誘致における
    対馬
    での韓国観を検討する。
  • 韓国人による対馬観光を事例として
    中村 八重
    日本文化人類学会研究大会発表要旨集
    2016年 2016 巻
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/23
    会議録・要旨集 フリー
     本発表は、韓国からの観光誘致に地域振興の活路を見出した
    対馬
    が、いかに韓国人観光客を受いれてきたか、日韓交流事業との連関を通じて振り返り、この変遷を韓国人に対する認識の変遷として再構成すると同時に「嫌韓」感情との関連は如何なるものであるのか考察することを目的とする。
    対馬
    の韓国人による観光を中心に、韓国への感情について論じるには、
    対馬
    の韓国との観光誘致以前から、あるいはそれと平行して行われていた民間、行政によるさまざまな国際交流の存在を忘れてはならない。中でも朝鮮通信使を題材にした交流事業は
    対馬
    の地域特性と関わり、韓国との関係を考えさせるものである。本発表では、観光誘致の変遷と供に、2012年に起きた「仏像盗難事件」に端を発する朝鮮通信使再現行列の中止決定とその後の過程を検討し、日韓の政治的な緊張関係が
    対馬
    における韓国への認識に与える影響を考察する。
  • 矢部 吉禎
    植物学雑誌
    1904年 18 巻 208 号 85-89
    発行日: 1904年
    公開日: 2007/05/24
    ジャーナル フリー
  • *加藤 大輔, 渡辺 洋一, 糸魚川 淳二, 戸丸 信弘
    日本森林学会大会発表データベース
    2014年 125 巻 P1-082
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/07/16
    会議録・要旨集 フリー
    ヒトツバタゴは長崎県
    対馬
    と愛知県から岐阜県東濃地方にかけての2地域に特異な隔離分布をしており、環境省のレッドリストでは絶滅危惧種に指定されている。
    対馬
    には狭い範囲に1000個体以上が自生しているが、東濃地方では分断されたパッチ状の生育地に150個体ほどが残存している。孤立した小集団は大集団と比べて遺伝的多様性が低いことが期待される。本研究では絶滅危惧種ヒトツバタゴ保全の基礎情報として、個体の分布特性が異なる東濃と
    対馬
    の集団間に遺伝的多様性の程度に差があるかを検討にすることを目的とし、
    対馬
    の51個体と東濃地方の126個体を対象にマイクロサテライトマーカーを用いて保全遺伝学的解析を行った。その結果、
    対馬
    と東濃の集団間には大きな遺伝的分化がみられたが、遺伝的多様性の程度には差が検出されなかった。しかし、STRUCTURE解析の結果、東濃集団の2か所の生育地がそれぞれ特異なクラスター組成を示しており、それらは
    対馬
    集団および東濃の他の生育地と比較して低い遺伝的多様性を示した。低い遺伝的多様性の原因として、集団サイズの低下にともなう遺伝的浮動や他の生育地からの遺伝子流動の制限さが考えられる。
  • 顧 明源
    史学雑誌
    2022年 131 巻 9 号 1-20
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/09/20
    ジャーナル フリー
    本稿では、妙心寺派が
    対馬
    に流入する経緯を明らかにした上で、偽使派遣などの朝鮮通交を下支えする勢力としての実態を検討し、
    対馬
    における妙心寺派の展開過程を歴史的に位置づけたい。
    一九八〇年代後半以降、日朝関係史において「偽使」研究が大いに進展し、十四世紀末期から十七世紀前半の日朝関係は「偽使の時代」とも評価された。特に、十五世紀中頃以降、
    対馬
    宗氏は偽使派遣体制による日朝通交の貿易権を独占するに至った。こうした状況下、宗氏の偽使派遣に携わる人的基盤であった禅僧勢力にかかる研究が蓄積されてきているが、『右武衛殿之使朝鮮渡海之雑藁』など三つの朝鮮渡海日記の記主とおぼしき「天荊」という
    対馬
    の外交僧、および彼が所属する妙心寺派と
    対馬
    とのかかわりを追究する研究は不十分であり、検討の余地が残されている。
    第一章では、妙心寺派の
    対馬
    への流入の背景には、十五世紀後半、宗氏が幕府・将軍への接近の結果、
    対馬
    僧と京都との関係が深くなったことがあるとした。そして、十六世紀前半、
    対馬
    出身の禅僧が京都妙心寺で修行したことを契機として、妙心寺派が
    対馬
    に流入していく過程とその展開の大筋を明らかにした。
    第二章では、天荊に注目し、妙心寺派僧の語録と
    対馬
    に残る史料をあわせて分析し、天荊と三玄宗三という
    対馬
    豊崎郡出身の妙心寺派僧は同一人物であったと結論付けた。そして、より視野を広げ、十六世紀後半、朝鮮・
    対馬
    ・京都と妙心寺派との関係を検討し、天荊=三玄に代表される妙心寺派僧のネットワークを通して、朝鮮・
    対馬
    ・京都を結ぶ人・物・情報の交流がなされていたことを明らかにした。
    以上の考察および近年の研究動向を考え合わせると、戦国期、地域権力と結びついて大いに発展した妙心寺派は、臨済宗幻住派とともに十六世紀前半から、
    対馬
    との関係を構築し、
    対馬
    の外交僧を輩出し、
    対馬
    の偽使派遣を支える人的基盤となっていたといえる。
  • 丸山 大輝
    長崎県
    対馬
    歴史研究センター所報

    2024年 4 巻 14-29
    発行日: 2024/04/15
    公開日: 2024/04/16
    研究報告書・技術報告書 フリー
  • 現代につづく人との関わり
    吉原 知子
    ワイルドライフ・フォーラム
    2022年 26 巻 2 号 14-16
    発行日: 2022/02/28
    公開日: 2023/04/07
    解説誌・一般情報誌 フリー
  • *前田 陽次郎
    日本地理学会発表要旨集
    2020年 2020s 巻 220
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    1.はじめに

     

    対馬
    市への韓国人旅行客が年々増え続け,2018 年には年間40万人を越え,さらに増え続ける勢いだった.

     ところが日韓関係の悪化に伴う韓国内での日本旅行自粛ムードのために2019 年7 月から旅行者が激減し,2020 年に入っ

    ても近年の勢いが戻るような雰囲気は全く感じられない.

     本発表では,この韓国人の激増・激減が地域に与えた影響について分析し,今後の地域政策を立てる際の考え方を提示する.

    2.韓国人観光客の動向

     

    対馬
    で韓国人観光客が激増したのは,釡山から近いため旅行時間が短く運賃も安いことが最大の理由だ.

     もともと釡山と

    対馬
    を結ぶ主要な航路は,韓国の船会社が運航する釡山港と
    対馬
    南部の中心地厳原港間の航路であった.

     2011 年に起こった東日本大震災の影響を受け,韓国から日本に来る観光客が激減した.そのため博多港と釡山港を結んでいたJR 九州高速船(株)のジェットフォイル便が,旅客の減少による収益悪化を抑えるために,博多港便を減便し釡山から一番近い

    対馬
    北部の比田勝港と釡山港を結ぶ路線を開設した.

     この路線は所要時間が70 分から90 分と短く,低価格で気軽に日本を訪れることができると評判になり,韓国国内で

    対馬
    旅行が大流行した.

     韓国人の

    対馬
    旅行は日帰りが多いという特徴がある.免税店での買い物が主目的ではあるが,それでも昼食は
    対馬
    で取る.比田勝地区はそれほど大きな町ではないため,比田勝地区の飲食店は大混雑し地元の人が食事も取れない状況になった.

    3.

    対馬
    における観光業の現況

     助重(2007)が2006 年頃の韓国人受け入れに対する島の状況を調査している.

    対馬
    ではこの時期の入国者数に対してでも十分な受け入れ態勢ができていなかった.

     2012 年以降の入国者急増を受け,日本資本の大手ビジネスホテルチェーンが2017 年に厳原(246 室),2019 年に比田勝(243室)へ新規開設したが,現在十分に稼働できていない.

     一方韓国資本の免税店は数軒開業しているが,地元住民でそこまで大きな投資をしている人は少ない.観光客が激減しても以前の

    対馬
    に戻っただけだと冷静に受け止める住民も多い.

    4.

    対馬
    市の産業構造

     柴田(2017)によると,

    対馬
    市は長崎県内の他の離島地区と比べて漁業就業者が多く、自衛隊がある関係で公務も多いという特徴がある.国内他地区の周辺地域と同様に建設業従事者も多いが,そこから観光バスの運転手に移動しているケースも見られる.

    5.

    対馬
    経済の将来像

     現在にように日韓関係が悪くなっても,韓国との交流は避けられない,続けていきたい,と思う市民が多い.

     地理的条件を考慮すると,日本の周辺地域として将来を考えるよりも,高木(2018)が指摘するようなポジショナリティ・シフトにより,日本の周辺地域から国境に接する通過点・結節点としての位置づけを強くし地域振興を図ることが求められる.

     また観光だけを経済のメインとするのではなく,現在の産業構造をベースにして徐々に観光の比率を高くすることを,島の長期計画の中では考えなくてはいけない.

    文献

    柴田弘捷 2017.国境離島

    対馬
    の住民と就業の場.専修大学社会科学研究所月報 649・650.57-71.

    助重雄久 2007.長崎県

    対馬
    におけるインバウンド観光の展開と課題.平岡昭利編著『離島研究III』113-128.海青社.

    高木彰彦2018.ポジショナリティ・シフトと九州経済のダイナミズム.九州経済調査月報 884.32-34.

  • 堀川芳雄
    植物研究雑誌
    1939年 15 巻 6 号 397
    発行日: 1939/06/15
    公開日: 2023/04/04
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  • 對馬島植物誌豫報 VIII
    中島 一男
    植物学雑誌
    1942年 56 巻 672 号 610-614
    発行日: 1942年
    公開日: 2023/10/04
    ジャーナル フリー
  • 對馬島植物誌豫報 VII
    中島 一男
    植物学雑誌
    1942年 56 巻 670 号 515-521
    発行日: 1942年
    公開日: 2023/10/04
    ジャーナル フリー
  • 對馬島植物誌豫報 VI
    中島 一男
    植物学雑誌
    1942年 56 巻 669 号 462-468
    発行日: 1942年
    公開日: 2023/10/04
    ジャーナル フリー
  • 對馬島植物誌豫報 V
    中島 一男
    植物学雑誌
    1942年 56 巻 668 号 413-419
    発行日: 1942年
    公開日: 2023/10/04
    ジャーナル フリー
  • 對馬島植物誌豫報 IV
    中島 一男
    植物学雑誌
    1942年 56 巻 667 号 344-349
    発行日: 1942年
    公開日: 2013/05/14
    ジャーナル フリー
  • 對馬島植物誌豫報 II
    中島 一男
    植物学雑誌
    1942年 56 巻 665 号 245-248
    発行日: 1942年
    公開日: 2023/09/30
    ジャーナル フリー
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