アザラシの寒冷環境における体温保持には皮下脂肪による熱放散の抑制が有効であるとされており,成獣は 4cm以上の厚い皮下脂肪を蓄積する.しかし,ゴマフアザラシ (
Phoca largha: 以下,本種 ) の新生児 は,流氷上へ産み落とされるため出生に伴い 40度弱の寒冷曝露を受けるが,皮下脂肪は 1cm未満と薄い.そのため,十分な断熱効果を得られていないと考えられ,発熱により体温を保持している可能性が推察された.そこで本研究では,寒冷環境で発熱を行うのに有効である,褐色脂肪組織 (BAT) に注目し,本種における BATの存在を明らかにすることを目的とした.さらに,他の大型哺乳類のBATは成長に伴い退縮していくことから,本種の成長に伴う BATの有無の変化を知ることにより,成長に伴う体温保持機構を考察した.本種の新生児,幼獣,成獣それぞれ 3頭を解剖した結果,頸部,腋下,肩甲骨間,心臓周囲,腎周囲,鼠径部には,皮下脂肪よりも褐色の脂肪組織が存在した.これらの組織において,HE染色,ウェスタンブロット法による Uncoupling protein 1 (UCP1) タンパク質の検出及び UCP1mRNAの検出を行った.HE染色の結果,全ての個体の全ての部位で BATの特徴である多房性の細胞が存在したが,腎周囲及び鼠径部は,他の組織に比べて脂肪滴が肥大していた.さらに,新生児の頸部,腋下,肩甲骨間,心臓周囲のみで UCP1タンパク質が検出されたが,幼獣及び成獣はどの部位からも UCP1タンパク質は検出されなかった.これらのことから,本種の新生児にはBATが存在し,BATの発熱により出生に伴う寒冷曝露から体温を保持している可能性が示唆された.さらに,新生児以外の個体では UCP1タンパク質が検出されていないことから,成長に伴い体温保持機構を発熱から熱放散の抑制に変化させていると推測された.
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