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クエリ検索: "屋号"
1,677件中 1-20の結果を表示しています
  • *岡部 佳世, 岡部 篤行
    日本地理学会発表要旨集
    2023年 2023s 巻 418
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/04/06
    会議録・要旨集 フリー
    電子付録

    屋号
    から近隣関係を統計的に推測する方法:旧唐桑町への適用

    Statistical methods for estimating neighboring relations in Karakuwa through yago

    岡部佳世(東京大)・岡部篤行(東京大)

    Kayo OKABE (Univ.Tokyo)・Atsuyuki OKABE (Univ.Tokyo)

    キーワード:

    屋号
    、近隣関係、最近隣距離法、K関数法、乱数配分

    Key words: Yago, Neighboring relations, Nearest neighbor distance, K function, random assign

    .はじめに

    この研究の目的は、

    屋号
    を通して統計的方法で旧唐桑町における家々間の近隣関係を推測することである。一見すると、
    屋号
    と近隣関係の関係はないように見える。
    屋号
    研究によると、「
    屋号
    は歴史的に培われた慣習で、今でも多くの農村地域で使われている。その理由は近隣に同姓が多いと姓で家主を同定するのが難しいので、家主は近隣にある家の
    屋号
    と異なる
    屋号
    をつけるから」とのことである。そうであるならば、
    屋号
    を通して、家々の近隣関係が垣間見えてくるのではないか、というのがこの研究の動機である。

    2.対象地域とデータ

    対象地域は、東北にある旧唐桑町を選んだ。唐桑と言う名が最初に言及されたのは『続日本書紀』で、長い歴史を持っている地域である。地理的には、旧唐桑町は広田湾に面し、南端は唐桑半島で太平洋に突き出ており、面積は42平方キロあり、主な産業は漁業である。  データ資料は、『唐桑町

    屋号
    電話帳』を使用した。これには、全ての家の電話番号、
    屋号
    、代表者の姓名、地区名、住所が記録されており、
    屋号
    は現地の人の読み方を記録してある。一つの
    屋号が少なくとも二軒以上に使われている屋号
    は233種類あり、そのような
    屋号
    がついている全軒数は719軒である。全国の姓の頻度分布で一番多い姓は、全国の姓の1%程度である。ところが、旧唐桑町では11%程度を占めている。旧唐桑町は、同姓の割合が全国より10倍以上高いことが分かり、
    屋号
    が有効に働きそうな条件を満たしている。

    3.道路距離による最近隣距離分析

    まず

    屋号
    を無視して719軒について最近隣距離法で家々間の隣接関係を分析した。この地区の人々は道路を通しての交流が主であるから、距離は道路距離を使った。その結果、最近隣道路距離の観測値の平均は、75mであった。次に719軒が完全空間ランダム(CSR)で道路網に分布した場合の最近隣道路距離の期待値を求めたら、77mであった。また有意水準5%での下限と上限は、73mと81mであった。さらに同じ
    屋号
    の間での最近隣道路距離の平均値を求めたら、3695mであった。また、一番短い最近隣道路隣距離でも136mあり、この値はCSRでの上限値81mをはるかに超えている。これらの事から同じ
    屋号
    の家の分布は、明らかに均一的に分散している傾向があることが分かる。  最近隣道路距離の平均値が3695mということは、平均的には、ある
    屋号
    の家を中心に3695m以内の近隣地区には、その家と同じ
    屋号
    の家がないということである。家主はこれを考慮して
    屋号
    をつけている可能性が高い。この近隣地区に存在する軒数を道路距離のグローバルK関数法で求めると、平均287軒であることが分った。この値は、旧唐桑町の近隣地区の大きさを知る一つの目安となる。

    4.旧唐桑町の行政地区の

    屋号

    社会的な近隣地区として、行政地区があり、旧唐桑町には12の行政区がある。この行政区に伝統的

    屋号
    の利便性が残されているであろうか。それを調べるために、同じ
    屋号
    数の比率で行政区にある軒数の数だけ乱数を発生させ、家に
    屋号
    に割り振った。それを1000回繰り返すモンテカルロシミュレーションを行い、行政区に割り振られた同じ
    屋号
    数の期待値とp値を求めた。その結果が上の表である。全ての地区で、同じ
    屋号
    の件数は期待値より少ない。また12地区中、9地区が有為水準5%以下で同じ
    屋号
    軒数は少ないことが分かる。これらの結果から、住人は行政区内でなるべく
    屋号が重ならないように屋号
    をつけるという伝統的慣習を引き継いでいることが分かる。

    謝辞 サントリー財団研究費、常磐大学研究費の支援と、東京大学空間情報科学研究センター共同研究No.921の支援を受けた。

  • 旧唐桑町屋号電話帳にもとづく地理空間分析
    伊藤 香織, 德永 景子, 前橋 宏美, 結城 和佳奈, 髙栁 誠也
    都市計画論文集
    2023年 58 巻 3 号 1570-1577
    発行日: 2023/10/25
    公開日: 2023/10/25
    ジャーナル オープンアクセス

    本研究では,「唐桑町

    屋号
    電話帳」から作成した旧唐桑町全体の
    屋号
    語彙地理空間データに含まれる4600余語の
    屋号
    語の分布を地理的観点,社会的観点から定量的に分析し,
    屋号
    が人の認識を通して地域のどのような性質を表しているのかを探る.分析で得られた主な知見は,以下の通りである.(1)職業や家,分家,位置関係などを表す
    屋号
    語は出現頻度が高く,満遍なく分布しており,旧唐桑町全体に共通する共同体や位置関係の認識を表していると考えられる,(2)山,海,川,田,船,店,道など立地の地理的条件や人の活動を反映していると考えられる
    屋号
    語彙が多い,(3)特定の地区に集中する
    屋号語や特定の屋号語に偏った屋号
    語彙構成をもつ地区などが共同体の社会的条件を反映していると考えられる.

  • 金 夆洙, 宮崎 清
    デザイン学研究
    2011年 57 巻 5 号 71-80
    発行日: 2011/01/31
    公開日: 2017/06/24
    ジャーナル フリー
    山村と農村の生活が混在していた新潟県村上市旧山北町小俣集落は、かつて、宿場町でもあり、酒造や桶づくりなどが行われていた。本稿は、小俣集落の家印の古今の姿とその意匠文化の観察・解析を通して、家印の今日的・社会的価値を再認識することを目的としたものである。その結果、(1)個々の家々の家印を記した表札を掲示する
    屋号
    看板設置運動が展開されてきたこと、(2)家印が商標としての役割をも果たしたこと、(3)およそすべての生活用具.物財に焼印や墨書きなどの方法によって家印をつける習俗があったこと、(4)家印は、伐採した樹木の所有を示す木印とともに、個々の家々とその繋がりを表象するサインであったことなとが明らかになった。「しるし文化」は、当該地域の生活文化の表現であり、地域アイデンティティ確立のための重要な要素である。本稿の実地調査を通して、家印の価値の再認識は、地域ブランドづくりにも繋がり、当該地域における生活文化の特質を内的かつ外的に共有・告知しえるものであることが確認された。
  • 金 夆洙, 宮崎 清, 鈴木 直人
    デザイン学研究
    2010年 57 巻 3 号 107-114
    発行日: 2010/09/30
    公開日: 2017/06/24
    ジャーナル フリー
    かつて、商家をはじめ、山村・漁村などにおいて広く用いられてきた「家印」などの日本の伝統的な「しるし(印)」は、きわめて重要な生活文化・地域資源のひとつである。しかしながら、今日では、一部の老舗・旧家などで継承されているに過ぎず、他の多くの伝統文化と同様、急速に消失しつつある。本調査・研究は、「醸造の町」として知られる新潟県長岡市摂田屋地域を代表する老舗6社を対象に取り上げ、文献調査・現地調査に基づき、多様な形で存在した家印(商標)・
    屋号
    の特質を把握するとともに、その将来のより望ましいあり方を考察することを目的とした。調査・考察の結果、各社がもっている家印(商標)・
    屋号
    は摂田屋地域、および各社の特徴を表すアイデンティティー形成の重要な要素であることが判明した。また、現在、古い家印は存在するもののあまり活用されなくなっており、それらの今日的価値を再認識し、各社が伝統のしるし、文化の継承の大切さ、今日の地域づくりのニーズに対応するその活用の重要性などを認織した一連のデザイン提案を示すことができた。
  • 山口 弥一郎
    地理学評論
    1967年 40 巻 3 号 143-155
    発行日: 1967/03/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
  • 山口 彌一郎
    地理学評論
    1937年 13 巻 6 号 467-477
    発行日: 1937/06/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
  • 山口 彌一郎
    民族學研究
    1943年 8 巻 3 号 365-391
    発行日: 1943/01/25
    公開日: 2018/03/27
    ジャーナル フリー
  • *金 ボンス, 宮崎 清, 鈴木 直人, 植田 憲
    日本デザイン学会研究発表大会概要集
    2010年 57 巻 G15
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/06/15
    会議録・要旨集 フリー
    今回、村上市中俣地区の家印についての調査で、昔からの生業や生活環境によって家印は多様な形で存在していることが分かった。また、同族意識を強調した面が見つかったことも重要だと言える。小俣の
    屋号
    看板計画を通じ、過去には生活の手段として利用した家印が今日にとって地域の観光資源として再誕生するのを確認した。もちろん観光資源化の意味より、家印の復活によって地域のコミュニティーが本来の機能を発揮するのかがもっとも重要である。今回の調査で家印や
    屋号
    などのしるし文化は、地域が内発的な発展を志向していくための資源として、重要な位置付けにあると考えた。
  • 青木 茂治
    地理科学
    2005年 60 巻 4 号 314-316
    発行日: 2005/10/28
    公開日: 2017/04/15
    ジャーナル フリー
  • 屋号の復元を素材として
    小和田 哲男
    人文地理
    1970年 22 巻 3 号 350-360
    発行日: 1970/06/28
    公開日: 2009/04/28
    ジャーナル フリー
  • 玉野井 麻利子
    民族學研究
    1985年 49 巻 4 号 343-351
    発行日: 1985/03/31
    公開日: 2018/03/27
    ジャーナル フリー
  • 山口 弥一郎
    東北地理
    1989年 41 巻 3 号 166-167
    発行日: 1989/11/30
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
  • 青野 壽郎
    地理
    1940年 3 巻 2 号 266-268
    発行日: 1940/04/01
    公開日: 2010/03/19
    ジャーナル フリー
  • 西原 礼之助
    日本釀造協會雜誌
    1980年 75 巻 8 号 653-658
    発行日: 1980/08/15
    公開日: 2011/11/04
    ジャーナル フリー
  • 陸中宇部村小袖
    山口 彌一郎
    人文地理
    1955年 6 巻 6 号 409-421,480
    発行日: 1955/02/28
    公開日: 2009/04/30
    ジャーナル フリー
    There are two patterns in the development of the primitive fisherman's community. The one is found, for example, in Siriya, Shimokita-gun, Iwate prefecture, where the number of houses is limited to 33 to maintain their livelihood holding the equal distribution of the cooperative beach fishery. The other is found, for example, in Kuki and Kosode, both in Kunobe-gun, Iwate prefecture, where the fishery such as set net was distributed equally to each door so that the branch of families increased rapidly. So for the latter, the villager knows the limitation of a catch; extension of the fishing ground in the neighbouring waters; much profit by the progress of the method of fishing; maintenance of the traditional way of equal distribution; these are the reason why the branch family has increased.
    Kuki and Kosode are the northern limit of the fisherwoman's fishery in Japan, called “Katsugi”. Development of the beach fishery to the inshore fishery had made declined the fisherwoman's fishery, and they have been obliged to cultivate the farm on the coastal terrace. But the fishing-ground has been developping to the Northern Sea.
    The village was attacked by the tidal wave in 1896 and 1933, when many houses were washed away. Since then the village has moved to Uwamura on the plateau, 80 meter high, which has more number of houses than Shimomura. I tried to study the change and development of the fisherman's village by the name of residence. The name of residence moves with movement of residence and its dweller. So, for example, Sukabata, originally on the beach, is found in Uwamura. I think it moved due to damage by the tidal wave. By study of the name of residence, we can understand the form of the old village and its changing process. On the development of a fisherman's village, we can understand the fishing-ground, development of the method of fishing, damage by the tidal wave and change of the livelihood by organization and form of the village, especially the name of residence.
  • -その形態分類の試み
    *立部 紀夫
    日本デザイン学会研究発表大会概要集
    2009年 56 巻 E16
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/16
    会議録・要旨集 フリー
    漆喰は石灰にふのりや粘土などを練り合わせた塗料で、江戸後期から防火建築の壁材料として用いられ た。明治期に入ると、漆喰によって壁面に業種名や
    屋号
    、図案を描いた商家や旅館があらわれた。この漆 喰細工を施した壁面広告が「漆喰看板」である。本稿では「漆喰看板」の形態分類について考察する。
  • 平野屋遠藤家を事例として
    *長島 雄毅
    人文地理学会大会 研究発表要旨
    2012年 2012 巻
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/12/17
    会議録・要旨集 フリー
    本報告は、近世京都商家が雇用する奉公人の性格を、奉公人請状を使用して、性別・出身地・身分などの点から検討していくものである。
  • *渡辺 亮佑, 磯野 巧, 安村 健亮, 梁 鎮武, 曲 宇航
    日本地理学会発表要旨集
    2014年 2014a 巻 P044
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/10/01
    会議録・要旨集 フリー
    本発表では中山道望月宿を対象として,宿場町としての望月宿の歴史的変遷に着目しつつ,歴史的建造物に対する所有者の保全意識や景観要素の空間分布,住民組織による取り組みを分析し,望月宿が有する歴史的町並みの地域的特性について考察する。
    中山道は江戸と京都を結ぶ主要幹線道路として整備され,山間を通る中山道沿いの宿場町は,今もなお当時の面影を残す歴史的町並みが数多く存在する(織田 1997)。望月宿は中山道六十九次のうち江戸から数えて25番目の宿場であり,長野県佐久市旧望月町に位置する。1600(慶長5)年,鹿曲川によって形成された南北に延びる狭長な左岸の河岸段丘において,望月宿(望月本町)が開設された。1602(慶長7)年以降,参勤交代や一般の宿利用が増大し,1629(寛政6)年までに鹿曲川右岸に「望月新町」が形成された。これにより望月宿の範囲は大きく拡大し,家数も1702(元禄16)年には24軒,1742(寛保2)年に58軒と増大した。しかし,1742(寛保2)年に東信地方を通過した台風によって鹿曲川が大氾濫し,とりわけ望月新町は壊滅的被害を受けた。これにより望月新町は鹿曲川右岸から左岸の望月本町南部へと移転し,中山道は鹿曲川右岸の枡形右折していた道を,直進して鹿曲川を渡り,新たにつくられた枡形を通って木戸をもぐり望月新町に至るよう道筋が変更された。1744(延享3)年には望月本町の加宿となったが,その後も望月新町として独立して存在した。一方で望月本町も度重なる災害被害を受けており,1812(文化9)年に公儀の費用で鹿曲川一帯の大改修を行い,水難を逃れるに至った。 望月宿は政治・経済的な影響だけでなく,洪水や火災といった多くの災害によって宿構造が変容してきた。望月宿に現存する歴史的建造物の多くは鹿曲川の大改修以降に新設・修景されたものであり,災害の歴史を色濃く反映した町並みが形成されている。   
    本研究では,望月宿の歴史的町並みを構成する景観要素として,格子・格子戸,出桁造,梲,土蔵の空間分布に着目した。格子・格子戸について言及すると,中山道街道沿いに立地する建造物に分布する傾向にある。格子・格子戸は生活環境や交通条件の変化に伴い,昭和期初期までにほとんどが取り壊されてきた。現存する格子・格子戸の多くは昭和期中葉以降の改修時に改めて設置したものである。格子・格子戸は生活上必要不可欠な要素ではないが,宿場景観を継承したい保有者の考えから,生活環境上影響の少ない二階部分に格子・格子戸を設置する傾向にある。また,望月町商工会館や佐久市歴史民俗資料館にも格子が設置されており,「望月宿」としての宿場景観が再構築されつつあると看守できる。 一方で,2000年代以降,住民組織による新たな景観要素が創出されてきた。NPO望月まちづくり研究会では,望月町の住民に対して宿場情緒を彷彿させる
    屋号
    看板の設置を呼び掛けてきた。望月町は書道家である比田井天来の出身地であり,2002年に比田井天来の生誕130年と中山道開設400年に併せ,天来門流の書道家らによる
    屋号
    看板の揮毫会が開催された。
    屋号
    看板はまず中山道沿いの歴史的建造物に掲げられ,その後徐々に望月町の商業施設に設置されるようになった。現在では80を超す
    屋号
    看板が設置され,望月宿における宿場景観を構成する主要素となっている。また,2005年,望月町が佐久市に合併されると,佐久市によるまちづくりも取り組まれるようになった。佐久市では望月宿を対象とするまちづくり交付金事業を展開しており,その中で沿道モニュメントや歴史散策ルートを整備するなど,地域住民や来訪者に中山道望月宿の趣を提供できる場として望月宿に注目している。 望月宿の歴史的町並みは災害の歴史から江戸時代末期に形成されたものであり,生活環境や交通条件の変化を体験する中で,その様相は大きく変貌してきた。しかしながら,時代の流れの中で自然と淘汰されつつある宿場景観に対し,歴史的建造物所有者をはじめとする住民意識は少なからず形成されており,日常生活に支障がでない範囲内で宿場景観が再現・維持されてきた。このような状況の中で,新たな景観要素として
    屋号
    看板の設置が試みられた。和田宿や芦田宿においても
    屋号
    看板設置は取り組まれているものの,天来門流の書道家による
    屋号
    看板の設置は,望月宿の地域性を如実に反映するものと指摘できる。望月宿では歴史的町並み喪失の危機にさらされつつも,歴史的建造物所有者による景観要素の部分的な維持・管理や,住民組織による新たな景観要素の創出によって,新旧複合的な景観要素の組み合わせによる歴史的町並みの諸相が描かれている。
  • 立部 紀夫
    デザイン学研究
    1977年 1977 巻 25 号 34-44
    発行日: 1977/03/30
    公開日: 2017/07/25
    ジャーナル フリー
    This paper tries to clarify the origin and the development of Noren, a Japanese traditional outdoor advertising, especially in the cases of Kyoto's Machiya (Citizens' Dwelling) in the Middle Ages in Japan. This paper consists of eight chapters as follows: Chapter 1: Introduction. Chapter 2: A general view of the city planning of Heiankyo (Ancient Kyoto). Chapter 3: Tozai-ichi (East and West Markets) in Heiankyo. Chapter 4: The origin of Machiya in Kyoto and its space composition. Chapter 5: The relationship between Machiya and Noren. Chapter 6: Designs of Noren. Chapter 7: Other factors in the development of Noren. Chapter 8: Conclusion.
  • 上野 実義
    社会科研究
    1964年 12 巻 9-19
    発行日: 1964/02/23
    公開日: 2017/07/01
    ジャーナル フリー
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