高校地理ではポピュラーな教材のひとつである
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兵村の集落形態は,大学受験参考書において「北米のタウンシップを模範にして碁盤目状の区画に散村」と説明されていることが多いが,
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兵村区画と殖民地区画が混同されているのではないか。「碁盤目状の区画に散村」という表現について注目し
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兵村の集落形態がどのように表現されてきたのかということを整理したところ以下のことがわかった。「碁盤目状の区画」は,300間四方の区画である殖民地区画の中区画と短冊状の地割りから構成される
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兵村の集落の双方を表現している。「散村」は,殖民地区画における入植地と,
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兵村における「粗居制度」あるいは「計画的散居村」との双方を表現している。異なるスケールで観察される2種類の集落形態が,同じ「碁盤目状の区画で散村」という表現になってしまっている。「散村」は
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兵村解体後の変化のようすでもある。「碁盤目状の区画に散村」という表現は,
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兵村の集落と殖民地区画の集落のいずれにも該当する表現として用いられてきたようであり,このことが大学受験参考書における
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兵村の扱いの混乱の原因のひとつであろう。
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