大阪市浪速区に比定される中世木津の集落は織田信長と大坂本願寺のあいだで繰り広げられた大坂本願寺戦争の激戦地となったことで有名だが、現在では地形環境が大きく変容してしまい、往時の姿を知ることは難しい。そこで最近発表された木津一帯の発掘調査の集成による地形環境復元研究をベースに、近世前期の絵図、さらには文献史料にみられる木津一帯の地名などの情報を加えることで、中世から近世前期における木津周辺の地形変容についてさらなる検討をおこない、木津の立地条件が海辺近くから内陸へと変化していった状況を改めて確認した。また中世木津の社会状況を知るため、本願寺教団の木津における活動を検討した。その結果、当地には遅くとも十六世紀には二つの末寺寺院および有力な直参門徒が存在し、さらに木津の惣が大坂本願寺と密接に交流していた様子を指摘した。以上の木津をめぐる状況が大坂本願寺戦争の激戦地となる前提条件であったと考えられる。
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