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全文: "山潟村"
6件中 1-6の結果を表示しています
  • 藤田 龍之, 根本 博
    土木史研究
    1991年 11 巻 219-228
    発行日: 1991/06/05
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    猪苗代湖疏水(安積疏水)は明治初期の最初の国営農業水利事業であり、その設計について、戦前ではフアン・ドールンの業績が高く評価されていた。しかし、戦後昭和29年9月10日付けの「毎日新聞」(福島地方版) に彼の設計にたいして異義を唱える報道があり、それ以後、彼の疏水工事に関する功績をはとんど否定するような論説が多く見られるようになった。そこで、「安積疏水志」(天・地・人、明治38年、織田完之編) を始め種々の文献よりフアン・ドールンの疏水工事に対する業績について再検討を行ってみた。また、彼が猪苗代湖等の現地視察後、石井土木局長に提出した復命書「水ヲ猪苗代湖ヨリ引キ以テ福島県ノ稲田二灌クニ供スル溝渠ノ計画」(これは明治前期の国家的大事業の計画と、彼の設計や工法について述べた重要な資料である) に示されている設計式については、誤写されて「安積疏水志」に載せられているため、ほとんどの式が意味不明となっている。この原因についても原本にまでさかのぼって調べ、設計式の訂正を試み、フアン・ドールンの猪苗代湖疏水に関する業績を明らかにする。ここで、疏水工事の実施設計および施工は全て南一郎平、山田寅吉をはじめとする日本の技術者であることは周知のことであるが、この報告では、フアン・ドールンの関係する事柄に重点をおいて調べた。
  • 藤田 龍之
    土木史研究
    1992年 12 巻 263-270
    発行日: 1992/06/05
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    猪苗代湖疏水 (安積疏水) の設計について、フアン・ドールンの果たした業績については前報でおこなった。しかし、日本人技術者、特に設計に最も活躍したといわれている山田寅吉については詳しく述べなかったので、彼が猪苗代湖疏水 (安積疏水) の設計に関わった役割について『安積疏水沿革志』を中心に国立公文書館に保存されている『太政類典』、『議案簿』等から考察した。これは、これまでの研究に多く引用、参考にされている『安積疏水志』(天地人) では編纂者・織田完之の編集方針が伝わってこないことと、誤植が多く見られるからである。特に山田寅吉の「復命書」と云われている文書を詳細に分析して、彼が疏水設計にどのようにかかわったかを明らかにした。
  • 狩野 勝重
    日本建築学会技術報告集
    2003年 9 巻 18 号 363-366
    発行日: 2003/12/20
    公開日: 2017/04/14
    ジャーナル フリー
    Old Tottori feudal clan man's families were immigrated at Asaka wilderness in Fukushima Prefecture for reclamation in early stage of Meiji government. That is decided for the Life foundation of Old Tottori feudal clan man's families and the National promotion of industry strategy. We have got the documents of Tottori Reclamation Company in Kohriyama City, Fukushima Prefecture. In this report, we will show the survey maps and architectural drawings in the documents and will define the early process of reclamation in Asaka wilderness, by verifying these documents.
  • 大塚 信豊
    氣象集誌. 第1輯
    1889年 8 巻 9 号 500-515
    発行日: 1889年
    公開日: 2009/02/05
    ジャーナル フリー
  • 須田 熈, 小林 眞勝
    日本土木史研究発表会論文集
    1989年 9 巻 155-163
    発行日: 1989/06/20
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    明治政府は全国統治と富国強兵の一環として東北開発の方針を採りあげ、その結果、東北地方において7大プロジェクトが計画された。その内宮城県の野蒜築港、福島県の安積疏水、山形県の道路建設が先行された。これらのプロジェクトは、東北地方の河川を利用した内陸水運網をつくり、その結接点に国際貿易港として野蒜港を位置づける壮大なものであった。野蒜築港と安積疏水の二大プロジェクトは東北開発の先駆けとしてその重要性が認識されていたが、野蒜築港は大自然の猛威の前に僅か2~3年の短命で水泡と化し、幻の港となったのである。その後、野蒜村も再起することなく寒村に戻った。安積疏水は荒蕪だった原野に通水され郡山村を核にして点在していた開拓村の発展に寄与し、この疏水なくしては現在の郡山地域の発展を語れないものになった。しかし、この野蒜築港と安積疏水は時代的にも又、ファン・ドールンといった登場人物も共通しているが、そのプロジェクトに対する地域住民の考え方には異なるものが見られる。このような大プロジェクトの成否は土木技術だけでなく、住民のプロジェクトに対する熱意も必要であることが、この2つのプロジェクトの明暗を分けたといっても過言ではないと思われる。
  • 知野 泰明, 藤田 龍之
    土木史研究
    1999年 19 巻 159-170
    発行日: 1999/05/01
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    The librarian of Japan Society of Civil Engineers found the record of survey executed for the project of irrigating Asaka Plain, “Asaka Sosui”, by using water from Lake Inawashiro during the early Meiji era, This study describes contents of this record and, from this contents, make clear about history of the project which has been unknown until today.
    The main results on this study are as follows: Thesurvey working in the record had been mainly executed by engineers who were belonging to the Fukushima prefectural office (not to Meiji government) This survey was executed not only on Asaka Plain but also on the south area from Sukagawa city (the survey on this area has not been written down in the history of this project). The research by C. J. Van Doom, Dutch engineer, who was employed by Meiji govemment for assisting in Japanese river improvement was also written down on the record. Before coming to Fukushima, he just staid at the port of Nobiru, in Miyagi pref., planned by himself and continuously observed between Lake Inawashiro and Asaka plain for six days in Fukushima. In the record of survey, the contents of his research for the “Asaka Sosui” project were more clearly written down than other historical materials.
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