本パネルでは,近代日本の地域工業化の特徴を,工業化の担い手となった地方資産家の経営展開との関連から検討する。そして愛知県知多郡の半田地域を取り上げ,同地域の有力資産家かつ工業化の担い手でもあった萬三商店小栗三郎家を分析対象とする。そのなかで本稿は,同家が地域社会での企業勃興にどのように関わったかを,会社経営と有価証券投資の観点から論じた。小栗三郎家は1890年代後半に知多紡績会社の設立と経営に積極的に関与した。しかし同家は,知多紡績会社が1907年に他地域の大紡績会社に合併された後は,肥料商経営と醤油醸造経営の家業に専念した。その際小栗家は,複数の銀行を使い分け,より有利な条件での事業資金の借入を試みたと考えられる。そして1910年代に事業規模を拡大して多額の収益を得た。しかし同家はそれらの収益を,銀行定期預金へ向け,第一次世界大戦期でも株式投資をそれほど行わず,1919年以降にようやく公社債投資を急増させた。小栗家は有価証券投資面ではリスク回避の志向性が強くみられ,家業への設備投資を積極的に進めた。
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