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  • ―将棋電王戦をめぐる考察―
    久保 明教
    スポーツ社会学研究
    2015年 23 巻 1 号 19-33
    発行日: 2015/03/30
    公開日: 2016/06/03
    ジャーナル フリー
     本稿は、将棋電王戦における棋士とソフトの対局をめぐる事例分析に基づいて、現代スポーツに広く見られる、人間と非人間的なテクノロジーが結びついた主体の有様を探究するものである。
     モバイル端末で体調管理を行うスポーツ愛好家から科学的トレーニングによって心身を鍛え上げるトップアスリートにいたるまで、現代のスポーツには人間的存在と非人間的存在が結びついたハイブリッドな行為体が遍在している。だが、こうした人間と非人間のハイブリッドはしばしば一方が他方に従属する形で理解され、「スポーツは人間がするものだ」という命題が維持されてきた。
     本稿では、まず、ブルーノ・ラトゥールが提唱した「対称性人類学」のアプローチを参照しながら、スポーツに対するテクノロジーのあからさまな浸透が一般化した現代において、なぜ人間中心主義的なスポーツ観が維持されているのかを検討する。そこで見いだされるのは、科学技術によって客体化される自己とこうした科学的な客体としての自己を観察し制御する主体としての自己の明確な区別に基づいて前者を後者に従属させる再帰的な主体のあり方である。こうした「モニタリングする主体」の形象によって、ハイブリッドは覆い隠され、人間中心主義的なスポーツ観が維持・再生されてきたと考えられる。
     これに対して、将棋電王戦をめぐる事例分析においては、棋士も将棋ソフトも共に人間的な要素と非人間的な要素が混ざり合ったハイブリッドな存在であること、電王戦の対局において、両者の「モニタリングする主体」としての有様がしばしば機能不全に陥っていったことに注目する。棋士とソフトのふるまいが観測可能な範囲の限界を超えて様々な人間的/非人間的要素と流動的な関係をとり結んでいく過程を検討した上で、最終的に、異種混交的なネットワークへと自らを託していく主体の有様において現代スポーツに遍在するハイブリッドな行為体を捉えうることを示す。
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