本稿は反軍国主義の影響の強い社会及び国民においてどのような状況下で基本権制限の可能性を受け入れるかを検討したものである。戦後日本で有事を想定した政策や法律への議論は避けられてきた。悲惨な戦時の動員や人権侵害を連想させる点から,1960~70年代には構想だけでも野党や国民からの抵抗に直面する。このような状況からいわゆる「有事タブー」も生まれる。
ところが,2003年には前年までにも困難だった有事法制が超党派議員らの賛成多数で成立する。本稿ではこのような変化を説明するため,二つの要因を提示する。北朝鮮拉致問題の発覚及びメディア環境である。こられの要因が日本社会の脅威認識を急激に増大させ,有事法制の成立を促す。2002年9月の
日朝首脳会談
で拉致問題が初めて明らかになり,多くの日本メディア,とりわけテレビ局は拉致問題や被害者を取り上げる報道や番組を次々と編成する。その手法は概ね感情に訴えるものであった。
日本政府や政治家は有事法制を脅威への対抗手段,即ち国民を保護する措置として示す。世論からも大きな反発はなくなっていた。これが有事法制成立の政治過程であった。ただし,隣国の韓国では北朝鮮に対する脅威認識が高くなく,危機が地域的に共有されていたわけではなかった。また,2003年の総選挙で民主党が躍進したことからは反軍国主義規範が必ずしも崩壊していない状況も確認できる。
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