近年、日本の文化人類学において音楽は急速に重要なテーマとなりつつある。こうした日本の音楽人類学研究においては、アメリカの民族音楽学におけるグルーヴ研究や、文化人類学全般で関心が高まった身体や身体化を巡る議論の影響を受けて、音楽が為されている瞬間の身体的な対面相互行為をミクロに分析しようとする研究が集中的になされてきた。しかし、こうした研究の視角では、音が実際に鳴り響いているわけではない時に行われている音楽家同士の交渉や、音楽に影響を与える過去の出来事の想起といった、単一の対面相互行為の時間的スケールを超えた、音楽実践の伝記的次元を捉えることができない。こうした問題に対し、本論文では、ボリビア・フォルクローレ音楽家の音楽観を「アネクドタ的思考」として取りあげることによって、これまでの音楽人類学とは別の視点から音楽実践のあり方を捉えることを目指す。具体的には、筆者自身もその一部に参加することとなった、あるフォルクローレ音楽のコンサートの開催プロジェクトを取りあげて、その企画から準備、実施に至る一連の過程について、とりわけ二人の中年の音楽家の思いと葛藤に注目して記述を行う。そしてこの記述の分析を通じて、フォルクローレ音楽家にとっての音楽観や社会関係について考察を行い、音楽人類学が取り得る別様の方法について検討を行う。
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