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クエリ検索: "木下尊惇"
2件中 1-2の結果を表示しています
  • ボリビア・フォルクローレ音楽家の孤独とつながり
    相田 豊
    文化人類学
    2022年 87 巻 3 号 480-498
    発行日: 2022/12/31
    公開日: 2023/04/21
    ジャーナル フリー

    現在、英語圏の人類学において「ポスト関係論」と呼ばれる一連の議論が次第に潮流化しつつある。そこでは、人類学者が関わりあいやつながりに注目するあまり、フィールドの中の「つながりたくてもつながれない人々」、「つながりをあえて拒否しようとするふるまい」が見えにくくなっていること、主題化されなくなっていることが問題化されている。確かに音楽に関する人類学的研究においても、音楽を「他者とつながるため」のものとして捉え、そのつながりを肯定的なものとして価値づける傾向が存在してきた。本稿では、こうした「関係論的」な音楽観にあえて抗して、「他者に抗する音楽」、「うまくひとりになるための音楽」という音楽観を提示することを目的とする。具体的には、ボリビア・フォルクローレ音楽の事例を取りあげ、2人の音楽家のライフヒストリーを通じて、そこに音楽に関する固有の思考を取り出すことを試みる。2人の音楽家は、いずれもフォルクローレ音楽の黎明期に活躍したものの、時代の流れの中で次第に没落し、再起を図る音楽家である。本稿では、彼らがいかにボリビアの親族関係や、同業者関係、時代に抗い続けてきたか、それがボリビアにおける力としての音楽観といかに重なっているかを示しつつ、その思考を孤独の希求というテーマのもとで論じる。

  • ――ボリビア・フォルクローレ音楽におけるコンサート制作の分析――
    相田 豊
    文化人類学研究
    2021年 21 巻 54-76
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/01/21
    ジャーナル フリー

     近年、日本の文化人類学において音楽は急速に重要なテーマとなりつつある。こうした日本の音楽人類学研究においては、アメリカの民族音楽学におけるグルーヴ研究や、文化人類学全般で関心が高まった身体や身体化を巡る議論の影響を受けて、音楽が為されている瞬間の身体的な対面相互行為をミクロに分析しようとする研究が集中的になされてきた。しかし、こうした研究の視角では、音が実際に鳴り響いているわけではない時に行われている音楽家同士の交渉や、音楽に影響を与える過去の出来事の想起といった、単一の対面相互行為の時間的スケールを超えた、音楽実践の伝記的次元を捉えることができない。こうした問題に対し、本論文では、ボリビア・フォルクローレ音楽家の音楽観を「アネクドタ的思考」として取りあげることによって、これまでの音楽人類学とは別の視点から音楽実践のあり方を捉えることを目指す。具体的には、筆者自身もその一部に参加することとなった、あるフォルクローレ音楽のコンサートの開催プロジェクトを取りあげて、その企画から準備、実施に至る一連の過程について、とりわけ二人の中年の音楽家の思いと葛藤に注目して記述を行う。そしてこの記述の分析を通じて、フォルクローレ音楽家にとっての音楽観や社会関係について考察を行い、音楽人類学が取り得る別様の方法について検討を行う。

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