詳細検索結果
以下の条件での結果を表示する: 検索条件を変更
クエリ検索: "木村栄" 俳優
3件中 1-3の結果を表示しています
  • 洪洋社を中心とする建築系雑誌メディアの分析から
    吉野 良祐
    日本建築学会計画系論文集
    2022年 87 巻 802 号 2571-2581
    発行日: 2022/12/01
    公開日: 2022/12/01
    ジャーナル フリー

    This paper aims to clarify the background of the modernization of theater architecture in Japan during the 1920-30s. After the Meiji era, Western-style theaters were gradually constructed in Japan. In particular, starting in the mid-1920s, after the Great Kanto Earthquake, the modernization of theaters progressed rapidly. This paper identifies two characteristic movements in Japan’s theaters modernization by analyzing journal articles and academic books of the time: the Society for the Study of Theater Architecture and Renshichiro Kawakita.

  • 宮田 章
    放送研究と調査
    2018年 68 巻 4 号 16-43
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/05/20
    研究報告書・技術報告書 フリー
    本稿は、テレビドキュメンタリーを、取材対象である現実を、作り手が意味づけたものととらえ、あるテレビドキュメンタリーのテクストがどの程度〈現実寄り〉であるか、また、どの程度〈作り手寄り〉であるかという問いを立てて、テクストの各領域をデータ化し、それに基づいてテクスト内容を読み解く研究を提示するものである。具体的にはテクストを構成する映像と音声を現場/非現場、言語/非言語の指標を用いてデータ化し、それに基づいてテクスト内容をマルチモーダルに読み解く方法を示す。あわせて、日本のテレビドキュメンタリー史上最初のヒット作である『日本の素顔 日本人と次郎長』(1958)がなぜヒットしたかを上記の方法を用いて考察する。
  • “水俣”を終わったことにさせない
    七沢 潔
    放送研究と調査
    2019年 69 巻 8 号 76-99
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/20
    研究報告書・技術報告書 フリー
    前編では赴任地の熊本で初めて“水俣”に出会った吉崎健ディレクターが、心身傷だらけになりながら胎児性水俣病患者たちの番組を作り、その後転勤した東京では制作環境に戸惑い、思うように番組を作れないうちに長崎に異動を命じられたことまで伝えた。後編はその後吉崎が長崎からの転勤先に福岡を選び、<地域にこだわる>決意を固め、再び“水俣”に取り組んでいく姿を追う。吉崎は2009年の水俣病特別措置法により「最終決着」が計られる中、たくさんの潜在被害者が切り捨てられる実態をリポート、そこから「終わりにさせられようとしている“水俣”とは何であるのか」の問いをかかげる。まず半世紀以上に渡って“水俣”の社会への発信と患者支援を続けた医師の原田正純と作家の石牟礼道子の生き方と思想を検証、二人の人生をかけた「告発」の本質に肉迫する。さらに戦後史を検証するシリーズに参加、社会階層間に差別の構造をつくり、企業経営者からも、医師からも、官僚からも、人間性を排除していった「日本の近代」の実像を見つめ、いま必要な「救済」とは何であるかを掘り下げた。そして同じように20年以上にわたって水俣にこだわってきたNHK記者・東島大と出会い、東島の粘り強い交渉でチッソの最高責任者・後藤舜吉へのオンカメラ・インタビューが実現、二人は“水俣”を終わらせようとする張本人に切り込み、その「思惑」を白日の下に曝した。吉崎の”水俣“を終わったことにさせない「闘い」はいまも続いている。
feedback
Top