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クエリ検索: "松平信輝"
4件中 1-4の結果を表示しています
  • 磯崎 優
    地理
    1941年 4 巻 4 号 468-491
    発行日: 1941/11/01
    公開日: 2010/03/19
    ジャーナル フリー
    1. 新河岸川は武藏野臺地の東側に並行し、其の水路は川越。志木間約二十粁、更に荒川合流地點迄約五粁の間を非常な自由蛇行をする。其の短距離にもかゝわらず驚くべき水量をもつてゐる。これは武藏野臺地の地下水の湧水の豐富なることゝ、崖端川Wet-Weather streamや湧泉池沼の地形的條件に基くもので、河川交通上高瀬舟の自由な舟行を許す要因である。
    2. 川越城下町の外港としては、古く川越の東北、荒川と入間川の合點に老袋河岸が開かれ、新河岸川には志木の北方上流本河岸があつた。老袋河岸と川越城下の間は低濕地であり、入間川・赤間川の氾濫の危險があつた。松平信綱以後藩主によつて、河港を城下町に吸引せんとして先づ本河岸上流の新河岸川を改疏により、新河岸を開設し、更に扇河岸に、明治に及んでは仙波沼を利用して仙波河岸が開設され遂に川越城下町に到達した。
    3. 城下町の外港として扇河岸、上新河岸、下新河岸、牛子河岸、寺尾河岸が五河岸と呼ばれ、川越藩並に城下商人と密接な連繋が結ばれた。藩は此等河岸の開發には地子免や、舟問屋株の特權による保護を與へた。物貨輸送の安全のためには、河岸問屋は主として、臺地のスパアーや、 Natural Leveeに位置し、水害の危險を免ると共に、背後地との交通連絡が重視された。
    4. 物資輸送の保證のために、船頭・馬士は沿岸、近接地域の住民が選ばれ、遂に他國船(よそ舟)の排斥となり、土地舟の特權となつた。馬士・船頭は各河岸問屋と主從關係が成立し其の配屬が明瞭に統制された。
    5. 陸上運送連絡としての馬士は、物資の多寡により雇傭は不定、不時期のため特に問屋近在の者に限る分布となつた。斯くて彼等の多くは半農半馬士の生活である。
    6. 出航舟は高瀬舟で並舟・早舟・飛切舟等運送の遲速と物貨に應ずる種類が生じ、定期船として早舟が利用された。三・八、五・十と言ふ如く五日間隔の輪番を持ち、舟と船頭の確定があつた。河川上下航の時宜に應ずる自然的障碍、天候、流速等や積載量の多少により、遡航の際は補助船頭たる「のつけ」を要し、曳舟又は桿つきを行つた。「のつけ」を要するのは、「河の口」新倉河岸より上流であり、新倉河岸に「のつけ宿」の發生となり、此近邊には「のつけ」を職業とする住民が生じた。
    7. 城下町商人と各河岸問屋との間は夫々組合を組織し物貨運漕に對する爭は常に河岸組合と商人川越十組との間に行はれたが、多くは河岸場の敗北に歸したことは、藩の城下町繁榮策によるものであつた。
    8. 新河岸川沿岸地域は或は船頭、馬士、のつけ等となり新河岸川の舟行を中心とする活動が行はれ、專業或は農閑利用によつて、農業上の不利を克服してゐた。
    9. 中河岸の開設活動については尚今後の詳報の機を俟つ。
  • 菊池 庸介
    日本文学
    2010年 59 巻 10 号 25-35
    発行日: 2010/10/10
    公開日: 2017/08/01
    ジャーナル フリー
    伊東仙右衛門娘お春の敵討ちを題材とした実録が、どのように形成されたのかを分析した。事件の聞き書きと称する『春女報讐記』を出発点と考え、実録がこの書の直接的な影響を受けて成り立っていることを明らかにし、同時にこの実録が、人や物の因果の糸を張りめぐらせることを強く意識して物語を作っていることを述べた。また、この敵討ちは実際に起きたのかわからない事件であり、これに類するような真偽不定の話や創作と推定される話も、「実録」として流布していることを指摘し、これは実録が写本であるゆえに真実らしさを備えていることを、作り手たちも自覚し、それを積極的に利用したためと考えた。
  • 正徳三年「暇之記」に見える黒田直邦
    酒入 陽子
    小山工業高等専門学校研究紀要
    2010年 42 巻 193-202
    発行日: 2010/03/10
    公開日: 2020/10/09
    研究報告書・技術報告書 フリー
  • 松浦 茂樹
    水利科学
    1984年 28 巻 3 号 9-27
    発行日: 1984/08/01
    公開日: 2020/02/01
    ジャーナル フリー
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