詳細検索結果
以下の条件での結果を表示する: 検索条件を変更
クエリ検索: "沖縄市"
689件中 1-20の結果を表示しています
  • 地元民と米軍人の関係性を通して
    澤田 聖也
    年報カルチュラル・スタディーズ
    2021年 9 巻 43-70
    発行日: 2021/06/30
    公開日: 2023/07/20
    ジャーナル フリー
    本論文では、オーラルヒストリーの手法と統計資料を用いることで、基地依存度の高い
    沖縄市
    が基地経済脱却を目標にどのような政策をとりながら観光経済にシフトしようとし たのかを捉え、その上でどのような問題点と課題があるのかを考察する。また、こうした 観光地化を行う上での現実的な問題点を通して、歴史的に地元民と軍人・軍属の関係性がどのように変化してきたのかをミクロに捉えることも目的としている。その際に戦後から復帰前まで軍人・軍属の娯楽施設だった「A サインクラブ」とそのクラブの要素を多く踏襲した復帰から現在にかけて存在している「ポストA サインクラブ」という演奏空間を通して、上記の内容について考察する。
    沖縄市
    は、「基地の街」という別名を持ち、嘉手納基地を中心に経済発展した。嘉手納基地は「アジア最大の米軍基地」という名で知られるほどの面積を持ち、
    沖縄市
    の36%を占めている。特に、嘉手納基地は朝鮮戦争やベトナム戦争の最重要拠点基地だったため、
    沖縄市
    には他の市町村の軍人・軍属の数よりもその数が圧倒的に多く、軍人・軍属のための歓楽街まで形成された。
    また、
    沖縄市
    は「基地の街」とともに「音楽の街」としても認識されている。軍人・軍属の歓楽街では地元民が彼らのために海外のポピュラー音楽を演奏し、「沖縄ロック」や「沖縄ジャズ」と呼ばれる沖縄独自の音楽ジャンルが誕生した。しかし、本土復帰に伴って基地経済は衰退し、軍人・軍属の歓楽街も徐々に衰退していった。
    沖縄市
    はこうした状況から基地経済脱却を掲げて、市の音楽資源を活用した地域活性化と観光誘致に取り組み始め、その際に軍人・軍属の娯楽施設だったA サインクラブやポストA サインクラブも観光資源の一つとして活用するようになった。
  • -三重県鈴鹿市白子地域における「白子まちづくり講座」を通じて-
    松浦 健治郎
    日本建築学会技術報告集
    2017年 23 巻 53 号 271-276
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/02/20
    ジャーナル フリー
    We developed the landscape resource map for the discovery and sharing of landscape resources by local residents and reported process and the result of evaluation by local residents.
    Landscape resource map is but also basically be applied in other districts, there are points to keep in mind. First, in the case of new town or uniform residential area, it is necessary to devise an analysis of landscape elements. Second, although majority of students in Shiroko Machidukuri course are the elderly of more than 60 generations, it is desirable that the various generations participate in development of landscape resource map.
  • ―神戸市新開地と沖縄市のまちづくりを事例に―
    狭間 惠三子
    地域経済学研究
    2012年 24 巻 78-98
    発行日: 2012年
    公開日: 2020/05/07
    ジャーナル オープンアクセス
  • 山田 豊
    デジタルアーカイブ学会誌
    2023年 7 巻 3 号 129-133
    発行日: 2023/08/01
    公開日: 2023/10/11
    ジャーナル オープンアクセス

    女性の手にイレズミを施し、それが、『女性のあこがれの象徴』だった。そんな普通の日々が、ある日を境に、180°逆転し、悪と化してしまった。入れているものは警察に検挙され、入れていることに恥ずかしさを感じるようになった。1899年(明治32年)に禁止令が発令され、沖縄の女性の手からハジチが消滅した。その沖縄の失われた文化について、デジタルアーカイブの必要性を考える。

  • サツマイモ、タイモ、ヤマイモの料理
    *我那覇 ゆりか, 田原 美和, 森山 克子
    日本調理科学会大会研究発表要旨集
    2014年 26 巻 2P-24
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/10/02
    会議録・要旨集 フリー
    【目的】沖縄は四方を海に囲まれた島嶼県であり、亜熱帯の気候風土のなかで育まれた地域の食材を用いた日常食、行事食は日本本土とは異なるものも多い。今回は、沖縄本島中南部の3地域に焦点をあてて聞き書き調査を行い、「芋」を用いた料理を中心に次世代に伝え継ぎたい家庭料理を検討した。
    【方法】本調査は、日本調理科学会特別研究に基づき行った。調査地域は、沖縄県中部の読谷村宇座、
    沖縄市
    登川、沖縄県南部の那覇市与儀、以上の3地域とした。読谷村2名(83、85歳)、
    沖縄市
    3名(70歳~74歳)、那覇市3名(71~78歳)を対象とし、昭和30年から40年頃までに定着した家庭料理および伝承したい家庭料理について、その料理名、食材、調理・加工法などを聞き書きした。
    【結果】沖縄は第二次大戦後しばらくはンム(甘藷)を主食としていた。当時は、シンメー鍋(大きな鍋)で大量に水煮・蒸煮し、スクガラス(アイゴの稚魚)の塩漬けや味噌汁、豆腐汁などの少ないおかずとたくさんのンムを食べた。また、ンムを季節の野菜と一緒に味噌汁に入れたり、ンムクジ(澱粉)にして保存性を高め、ンムクジを用いた料理を作り日常的に食した。ターンム(田芋)は高級食材であり行事や御祝いの際に食べた。
    沖縄市
    では、ヤマンム(山芋)がよく採れたため、塩茹でにしたり、スーチカー(塩漬け豚肉)と炒めて食べた。今回、聞き書き調査を行った読谷村宇座、
    沖縄市
    登川、那覇市与儀で共通に伝承したい芋料理はンムクジブットゥルー、田芋でんがく、ドゥルワカシー等であった。
  • 鎌田 誠史, 齊木 崇人
    日本建築学会計画系論文集
    2009年 74 巻 635 号 75-82
    発行日: 2009/01/30
    公開日: 2009/11/02
    ジャーナル フリー
    The aim of this paper is to study the spatial characteristics of old village (SHUMURA) in the last years of the early modern era in Okinawa, by clarifying the arrangement of old public office (MAGIRI BANSHO) through the restoration simulation of spatial composition of SHUMURA. By doing researches, hearings, fieldworks, and restoration simulation, three characteristics are clarified, such as 1) the characteristics of arrangement and formation of SHUMURA differ depending on the policy of Ryukyu Government, 2) the planning method under that MAGIRI BANSHO is mainly arranged as the core of SHUMURA, controls the scenic characteristics, and 3) the intentions of Ryukyu Government reflect the social structures as well.
  • 上田市・伊勢市・沖縄市の非線引き3市を対象としたケーススタディ
    小林 貴幸, 樋口 秀, 中出 文平, 松川 寿也
    都市計画論文集
    2015年 50 巻 3 号 879-885
    発行日: 2015/10/25
    公開日: 2015/11/05
    ジャーナル オープンアクセス
    本研究は、地区別の固定資産税収指標の変化を捉えることにより、フローとしての建築活動が固定資産税収に与えた影響の解明を目的とする。研究対象都市は、都市計画として開発規制が緩い非線引き都市、上田市・伊勢市・
    沖縄市
    の3市とした。 地区の実質容積率と宅地評価額の変化を分析した結果、建築活動が行われ、実質容積率が増加した地区では、変化の小さい地区よりも地区の単位面積(m2)あたりの宅地評価額の下落額が抑制されていることが明らかとなった。 建築活動が宅地分の固定資産税収に影響を与えることから、固定資産税収確保には、まちなかに建築活動を誘導し、宅地評価額を低下させないことが重要といえる。
  • 松浦 雅子
    文学と教育
    2012年 2012 巻 216 号 38-39
    発行日: 2012/08/03
    公開日: 2017/03/20
    ジャーナル フリー
  • 中心市街地整備推進機構として認定されたNPO法人に着目して
    間舘 祐太, 岡崎 篤行, 梅宮 路子
    都市計画論文集
    2011年 46 巻 3 号 985-990
    発行日: 2011/10/25
    公開日: 2011/11/01
    ジャーナル オープンアクセス
    2006年に中心市街地活性化法が改正され、中心市街地整備推進機構等を必須構成員とした中心市街地活性化協議会が制度化した。また、改正中活法により、中心市街地推進機構となれる組織としてこれまでの公益法人に、新たにNPO法人を含んだ。そこで、本研究は中心市街地活性化協議会の中心市街地整備推進機構(以下、推進機構)に認定されたNPO法人がハード事業まで含んだタウンマネジメント活動を担える組織となっているかという点に着目し、その実態と課題を明らかにするものである。全国でNPO法人を推進機構とし、協議会を設立したのは14であった。その内、ハード事業を行っていたのは5団体であり、その各種事例から促進要因と課題を把握する。
  • 土建会社の現場写真にもとづく景観復原
    *加藤 政洋, 前田 一馬, 柿木 崇宏
    日本地理学会発表要旨集
    2017年 2017a 巻 P050
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/10/26
    会議録・要旨集 フリー
    Ⅰ 戦後沖縄の基地建設
    戦後,米軍の統治下におかれた沖縄では,中華人民共和国の成立,朝鮮半島の動乱などを背景に,恒久的な軍事基地の建設が進められる.1950年代前半の基地建設を考えるにあたって重要なのは,リビー,デラ,グロリアという3つの台風が相次いで沖縄を襲い,米軍の施設に大打撃をあたえていたことである. とりわけグロリア台風による被害は甚大で,恒久的な基地の建設とは,すなわち耐風強度の高い建造環境の構築を意味していた.注意すべきは,滑走路や格納庫,あるいは司令塔といった軍事にまつわる中核的な施設のみならず,階級に応じた宿舎・住宅の建設も含まれていたことだ. 本研究では,嘉手納基地の建設工事に参入した本土企業の記録写真を手がかりにして,基地建設の一端というべき,住宅地区の開発と住宅建設の風景を復原してみたい.  

    Ⅱ 嘉手納基地の概要
    嘉手納基地(Kadena Air Base)は,総面積約20㎢,全長3,700mの滑走路を2本備えた,極東最大のアメリカ空軍基地である.1943年9月から日本陸軍航空本部によって建設された飛行場を,米軍が1945年の上陸後に接収して拡張・強化し,現在に至る. 基地の範域は
    沖縄市
    ・嘉手納町・北谷町という1市2町にまたがり,フェンスで仕切られた域内には,「滑走路,駐機場,格納庫」などが主として嘉手納・北谷側にある一方,
    沖縄市
    側には「軍人,軍属,家族の生活の場として,兵舎,家族住宅,病院,ショッピング,スポーツ,娯楽,保養の諸施設が完備され」,さながら「ひとつの都市を形成している」かのようであった. 基地内の主要な建築に関して,少なくとも数の上で目を引くのが,住宅(将校宿舎,兵員宿舎,家族住宅)約1,300棟,計1,704戸である.基地という空間は,軍事力とそれを支える物的基盤(インフラストラクチュア)のみならず,軍人(とその家族)にとっては生活空間でもあるのだ.  

    Ⅲ 隅田建設の家族住宅建設
    沖縄の基地建設工事には,「対日経済援助の一環」として「占領軍関係の工事で施工技術の優秀さを認められた大手建設業者」の参入が認められたことから,20を超える本土企業(大手のゼネコン)が進出してゆく.このうち,嘉手納の家族住宅建設を落札したのが,隅田建設工業であった. 隅田建設は,どうやら現存しておらず,大手ゼネコンのように社史を残しているわけでもないので,詳細はさだかでないのだが,東京に本社を置く中堅的な規模の企業であったようだ.同社は1951年末から1953年にかけて瑞慶覧(現キャンプ・フォスター)と嘉手納で計465棟の住宅建設を請け負っている.

    Ⅳ 資料と方法
    本研究で主たる資料としたのは,隅田建設の社員が撮影したと思しき写真(171枚)を収録したアルバムである.クレジットやキャプションはないものの,重機による土地の造成から,基礎工事,上屋建築,瓦葺き,完成姿,室内の様子までが写されている.ほかにピクニックの写真なども含まれているが,ここでは基地内の写真に限定して分析した. 具体的な手続きとしては,貼り込まれた順番を考慮しつつ,想定される工程順に写真を整理し,写り込んだ丘陵・道路・建物などを地形図・空中写真・Google Earthと照合して,それぞれの撮影ポイントを特定した.

    Ⅴ 結果
    上記の分析により,1)住宅地開発に使用された重機の種類と地形改変の状況,2)各工程における景観の諸相,3)将校クラス家族住宅の分布する範囲,そして4)個別の撮影対象となった住宅の立地を明らかにするにいたった. 興味が持たれるのは,道路網も住宅(の配置)も,1952年当時とほとんど変化のないことである.つまり,米軍は60年以上にわたって基地内の建造環境を維持してきたのであり,この点で,1950年代初頭の基地建設に際して謳われた「恒久」性は,たしかに実現されていたことになる.基地が周辺部の土地利用(なかんずく都市化)に多大な影響を及ぼしたことを考えるならば,今後は基地内に布置された建造環境の様態を明らかにすることで,基地そのものの空間性を問うことも必要になると思われる.

    [文献]
    沖縄市
    企画部基地対策課編『基地と
    沖縄市
    昭和53年度版』
    沖縄市
    ,1979年,15頁.
    [付記]本報告の調査では,科学研究費補助金(課題番号:17K03264)を使用した.
  • 真栄城 守定
    地域学研究
    1977年 8 巻 195-202
    発行日: 1978/10/30
    公開日: 2008/10/10
    ジャーナル フリー
    The purpose of this paper is to provide the problems underlie in urban areas of Okinawa prefecture. These areas have two main characteristics. The first one is that the construction of the main cities in Okinawa were greatly influenced by the U. S. Military base. The second is that many of the functions are over concentrated in Naha city, the largest city of Okinawa, and in turn, this fact has produced so many problems to be solved for a future expansion or development of the economy.
    This report, therefore, tries to present such urban problems as reallocation of city functions, trafic, economic stability of cities, and etc., and to point out a necessity of big projects needed to solve the above mentioned problems.
  • 豚肉料理
    *森山 克子, 田原 美和, 我那覇 ゆりか
    日本調理科学会大会研究発表要旨集
    2014年 26 巻 2P-23
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/10/02
    会議録・要旨集 フリー
    【目的】日本調理科学会特別研究「次世代に伝え継ぐ日本の家庭料理」の取組として、沖縄本島中南部の3地域に焦点をあて、昭和30年から40年頃までに定着した料理のうち伝承したい家庭料理について聞き書き調査を行った。その中でも今回は、「豚肉」を用いた料理について検討した結果を報告する。
    【方法】調査地域は、沖縄県中部の読谷村宇座、
    沖縄市
    登川、沖縄県南部の那覇市与儀、以上の3地域とした。調査は、読谷村2名(83、85歳)、
    沖縄市
    3名(70歳~74歳)、那覇市3名(71~78歳)を対象とし、昭和30年から40年頃までに定着した家庭料理および伝承したい家庭料理について、その料理名、食材、調理・加工法などを聞き書きした。
    【結果】沖縄は第二次大戦前から戦後しばらくは各戸で豚を養うことが一般的で、年末には豚を屠り、塩漬けにして保存し行事等の際に用いていた。実際に「聞き書き 沖縄の食事」では県内のどの地域においても豚肉料理の記載はみられる。今回、聞き書き調査を行った読谷村宇座、
    沖縄市
    登川、那覇市与儀で共通に伝承したい豚肉料理はナカミ汁、ソーキ骨(豚あばら肉)汁、イナムドゥチ、スーチカー(塩漬け豚肉)、アシティビチ(豚足)、クファジュージ―等であった。冷蔵庫のない時代のスーチカーは長期保存のために大量の塩分を用いていた。現在は、健康志向も相まって以前より塩分の使用量は減少している。近年の沖縄県は、全国平均寿命順位の転落や全国一位の肥満率など健康問題が深刻であることから、単なる豚肉料理の伝承ではなく、先人の残した「茹でこぼしや長時間の煮炊きにて脂質を取り除く」という、健康的な沖縄独特の調理法を伝承すべきと考える。
  • 石灰岩の教材化より
    比嘉 俊
    教材学研究
    2009年 20 巻 165-172
    発行日: 2009年
    公開日: 2017/06/30
    ジャーナル オープンアクセス
  • 中田 安彦
    循環器専門医
    1999年 7 巻 1 号 153-156
    発行日: 1999/03/20
    公開日: 2018/05/28
    ジャーナル フリー
  • 町田 宗瞭, 神谷 大介, 眞栄里 和希
    交通工学研究発表会論文集
    2022年 42 巻
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/11/10
    会議録・要旨集 フリー

    沖縄県中南部都市圏の渋滞が深刻な問題となっており,その解消に向けてバス等の公共交通の利用促進が求められている.しかし,各種施策の効果は限定的であり,現行の運行ルートやダイヤの改善に対するニーズが高まっている.そこで本研究では,地域公共交通計画への活用を意図し,携帯電話 GPS データから取得される人の動きから那覇市向けバス路線の運行本数を評価した.この結果,那覇市に隣接する浦添市や豊見城市で運行本数が人流に対して相対的に少ないことが明らかになった.一方,浦添市の一部,宜野湾市,

    沖縄市
    ,うるま市では人流に対して運行本数が多い地域が確認できた.これらの市では,市内移動や那覇市を到着としない移動が多く見られた.

  • 開発 法子
    ワイルドライフ・フォーラム
    2007年 12 巻 2 号 32-35
    発行日: 2007/08/25
    公開日: 2017/11/03
    解説誌・一般情報誌 フリー
  • 濱里 正史
    GIS-理論と応用
    1999年 7 巻 2 号 35-42
    発行日: 1999/09/30
    公開日: 2009/05/29
    ジャーナル フリー
    The purpose of this paper is to clarify the spatial structure in Okinawa Island in terms of accessibility to medical opportunities. Through the analyses of accessibility using network analysis in ARC/INFO, it was found that the spatial structure in Okinawa Island is considered as a system of concentric zone structures. The spatial structure of accessibility to medical opportunities in Okinawa Island changes according to the marginal distance. If the marginal distance is 5 minutes, the spatial structure in Okinawa Island consists of many concentric zones with the centre in Naha, Okinawa city, Nago, etc.. In case of 15 minutes, the spatial structure consists of two concentric zones with the centre in Naha-Okinawa City and Nago. In case of 30 minutes, the spatial structure consists of only one concentric zone with the centre in Naha.
  • 佐野 信庸
    経済地理学年報
    2014年 60 巻 2 号 163-
    発行日: 2014/06/30
    公開日: 2017/05/19
    ジャーナル フリー
  • 川満 一史, 島野 安雄, 藪崎 志穂
    地下水学会誌
    2011年 53 巻 3 号 309-316
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/10/25
    ジャーナル フリー
  • 藤見 俊夫
    農業土木学会論文集
    2005年 2005 巻 236 号 103-111
    発行日: 2005/04/25
    公開日: 2011/08/11
    ジャーナル フリー
    公共事業を円滑に推進するための住民と行政とのコミュニケーションをパブリック・コミュニケーションと呼ぶ. そこでは, 計画評価を歪めている誤った計画認識が解消されるべきである.それらを特定するには, 住民が各個人の計画認識に基づいて計画を評価するパラメトリックなモデルを構築する必要がある. パラメトリックなモデルで個人の評価構造を表現する際, パラメータの値は各個人で共通していなければならない.しかし, 自然環境を大きく変容させるような公共事業では, 環境保護を重視する住民とそれ以外の住民とで, 同じ計画認識の計画評価に及ぼす影響が大きく異なる可能性がある.本稿では,
    沖縄市
    の泡瀬地区埋立事業を対象に, 環境意識の高さによって地域住民を2つのグループに分け, それらの間で計画認識に基づく評価構造が根本的に異なるかを統計的に検証した. その結果, 個別の計画認識が計画評価に及ぼす影響はグループ間でそれほど大きく異ならないものの, それらを総合して判断すれば評価構造は異なることなることが明らかになった.
feedback
Top