本稿は,中国長江下流域に展開する,河姆渡・馬家浜・〓沢・良渚文化における副葬玉器の内容を比較検討し,葬送儀礼との関係に焦点を当てながら,その階層性の形成について,通時的な検討を試みることを目的とする。
まず玉器の分類を行い,その通時的変化を検討した結果,河姆渡・馬家浜・〓沢文化における玉器のほとんどが装身具であるのに対し,良渚文化では,装身具に加えて,玉璧・玉〓・玉鉞などの儀器系玉器が出現することが確認できた。
ついで,良渚文化墓地における儀器系玉器の副葬が,a~e段階から成る葬送儀礼を経て,埋置されたものであり,儀器系玉器の内容に見られる差異・階層性が,葬送儀礼の複雑さの違いによる『儀礼的表現型』であることを確認した。河姆渡・馬家浜・〓沢文化における副葬玉器が,装身具が中心であることから,その埋置に伴う葬送儀礼はb・d段階の2段階のみより成り,良渚文化に比べて単純であると考えた。つまり,良渚文化における儀器系玉器の出現など,玉器の数・種類の増加は,葬送儀礼の変化・複雑化を示していると考えた。
また,玉器を中心に,河姆渡・馬家浜・〓沢文化の墓地における階層化要素間の関係を検討したところ,〓沢文化にいたって,階層性の程度が高まり,玉製装身具に階層性表現としての意味が付与された可能性を指摘できた。
以上の分析結果について,ポスト=プロセス考古学における墓制分析を手がかりとして,解釈を試みた。河姆渡・馬家浜・〓沢文化における玉製装身具は,その装着数や種類によって,日常的な『言説の領野』における差異・階層性表現として用いられていたと推測されるが,馬家浜文化墓制では,それほど重要視されていなかったと考えられる。〓沢文化に入り,玉器は,墓制においても階層性表現としての意味を付与されるが,その形態が装身具であることから,日常的な『言説の領野』の延長線上と位置づけられる。良渚文化になり,儀器系玉器が装身具から分離・独立し,葬送儀礼という『言説の領野』においても重視されるようになり,また墓地の立地の差異と結びつくことによって,良渚文化墓制における重要な差異・階層性表現として,社会的に位置づけられたと推測される。
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