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クエリ検索: "河姆渡文化"
22件中 1-20の結果を表示しています
  • 金 洋東
    書学書道史研究
    1999年 1999 巻 9 号 115-132
    発行日: 1999/09/30
    公開日: 2010/02/22
    ジャーナル フリー
  • 塩津 宣子, 下間 頼一, 亀谷 勝, 緒方 正則
    年次大会講演論文集
    2007年 2007.5 巻 0801
    発行日: 2007/09/07
    公開日: 2017/08/01
    会議録・要旨集 認証あり
    Jade articles (or products) appears at Liangzhu culture (良渚文化) at ca 3300BC, which is rice crop agriculture in paddy field in the lower Changjiang (長江). Jade articles are jade disc (玉壁), jade cube (玉〓), jade decorates, etc. They are made by high level technique, especially by potter's lathe (轆轤), which revealed at Liangzhu culture for the first time, and developed turning lathe (施盤) at Industrial Revolution.
  • 李 樹華
    ランドスケープ研究
    1997年 61 巻 5 号 405-408
    発行日: 1998/03/30
    公開日: 2011/07/19
    ジャーナル フリー
    盆景の起源が中国であるという結論は, 中国・日本及び他の国々の盆景 (栽) の研究者, 愛好家や生産業者などの人々によって一般に認められるところである。だが, 中国における盆景の形成の様相と具体的な時期についてはまだ明らかにされていない。本稿では, まず現在の中国と日本における中国盆景の起源に関する四つの学説をあげ, これらに関して検討した。そして盆景形成と関連する主な文化と技術の基礎を分析した後, 盆景の起源に関して研究した結果, 樹木盆景と山水盆景は最初に後漢時代の河北省に現れたこと, 更に樹木盆景の原形としての鉢植えは, 仏教と深い関係を持つことが推察された。
  • ―土器残存脂質分析による新たな学際的アプローチについて―
    宮田 佳樹
    日本調理科学会誌
    2022年 55 巻 5 号 245-250
    発行日: 2022/10/05
    公開日: 2022/10/14
    ジャーナル フリー
  • 今村 佳子
    史学雑誌
    2006年 115 巻 5 号 802-808
    発行日: 2006/05/20
    公開日: 2017/12/01
    ジャーナル フリー
  • 鈴木 三男, 孫 国平, 鄭 雲飛, 中村 慎一
    植生史研究
    2017年 26 巻 2 号 75-78
    発行日: 2017年
    公開日: 2021/03/17
    ジャーナル オープンアクセス
    The ginkgo tree, Ginkgo biloba Linn., is the only living representative of the Ginkgoales, a gymnosperm known as “living fossil”, and is now widely cultivated all over the world. In China, cultivation of ginkgo trees may have been done from the historical era or before, but it is not known at all when and where it started. The Tian Luo Shan site is a Neolithic archaeological ruin at Yuyao, Zhejiang Province with numerous archaeological relics. While examining the tree species of wooden remains excavated from the ruin, we found a fragment of a cylindrical wood instrument made of ginkgo. This is the first discovery of ginkgo remnants of the Neolithic age in the world, and we described this specimen anatomically and examined the possibility that ginkgo was growing around the ruin.
  • 鈴木 三男, 能城 修一, 小林 和貴, 工藤 雄一郎, 鯵本 眞友美, 網谷 克彦
    植生史研究
    2012年 21 巻 2 号 67-71
    発行日: 2012年
    公開日: 2021/03/17
    ジャーナル オープンアクセス
    Urushi is the lacquer produced by Toxicodendron vernici!uum. In Japan, Urushi products is known since ca. 9000 years ago from a remain at the Kakinoshima B site and became common since the early Jomon period. Archaeological woods of T. vernici!uum, however, had not been reported until ca. 10 years ago, when identi!cation of its woods from those of close allies was made possible. Since then, re-identi!caiton of excavated woods revealed that T. vernici!uum was commonly grown around settelments since the early Jomon period, but also indicated the existence of a sample of the incipient Jomon period from the Torihama Shell Midden site, Fukui Prefecture, which is too old to be considered as an introduction from the Asian continent to Japan. Here, we measured the radiocarbon age of this sample as 10,615 ± 30 14C BP (12,600 cal BP) in the incipient Jomon period, 3600 years before the oldest remain at the Kakinoshima B site. Most botanists consider that T. vernici!uum is not native and introduced to Japan by ancient people. Thus, the presence of T. vernici!uum wood in the incipient Jomon period seems to mean that Urushi was introduced from the Asian continent already in that period.
  • 浅原 達郎
    史学雑誌
    1982年 91 巻 5 号 742-747
    発行日: 1982/05/20
    公開日: 2017/11/29
    ジャーナル フリー
  • 菅間 誠之助
    日本醸造協会誌
    1993年 88 巻 5 号 374-380
    発行日: 1993/05/15
    公開日: 2011/09/20
    ジャーナル フリー
    中国酒には穀類を粉砕して水を加え固めたものにカビを生育させた曲が, 一方, 清酒には蒸した米粒で造られるバラ麹が用いられるというのが, これまでの常識であった。バラ麹が昔から現在に至るまで使われていることは, 中国が近くて遠い, また, 実に広大な国であることを実感させる。
  • 渡辺 芳郎
    日本考古学
    1994年 1 巻 1 号 207-220
    発行日: 1994/11/01
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    本稿は,中国長江下流域に展開する,河姆渡・馬家浜・〓沢・良渚文化における副葬玉器の内容を比較検討し,葬送儀礼との関係に焦点を当てながら,その階層性の形成について,通時的な検討を試みることを目的とする。
    まず玉器の分類を行い,その通時的変化を検討した結果,河姆渡・馬家浜・〓沢文化における玉器のほとんどが装身具であるのに対し,良渚文化では,装身具に加えて,玉璧・玉〓・玉鉞などの儀器系玉器が出現することが確認できた。
    ついで,良渚文化墓地における儀器系玉器の副葬が,a~e段階から成る葬送儀礼を経て,埋置されたものであり,儀器系玉器の内容に見られる差異・階層性が,葬送儀礼の複雑さの違いによる『儀礼的表現型』であることを確認した。河姆渡・馬家浜・〓沢文化における副葬玉器が,装身具が中心であることから,その埋置に伴う葬送儀礼はb・d段階の2段階のみより成り,良渚文化に比べて単純であると考えた。つまり,良渚文化における儀器系玉器の出現など,玉器の数・種類の増加は,葬送儀礼の変化・複雑化を示していると考えた。
    また,玉器を中心に,河姆渡・馬家浜・〓沢文化の墓地における階層化要素間の関係を検討したところ,〓沢文化にいたって,階層性の程度が高まり,玉製装身具に階層性表現としての意味が付与された可能性を指摘できた。
    以上の分析結果について,ポスト=プロセス考古学における墓制分析を手がかりとして,解釈を試みた。河姆渡・馬家浜・〓沢文化における玉製装身具は,その装着数や種類によって,日常的な『言説の領野』における差異・階層性表現として用いられていたと推測されるが,馬家浜文化墓制では,それほど重要視されていなかったと考えられる。〓沢文化に入り,玉器は,墓制においても階層性表現としての意味を付与されるが,その形態が装身具であることから,日常的な『言説の領野』の延長線上と位置づけられる。良渚文化になり,儀器系玉器が装身具から分離・独立し,葬送儀礼という『言説の領野』においても重視されるようになり,また墓地の立地の差異と結びつくことによって,良渚文化墓制における重要な差異・階層性表現として,社会的に位置づけられたと推測される。
  • 中野 富夫, 安 宗超, 対 千, 斬 懐建
    耳鼻と臨床
    1998年 44 巻 4Supplement1 号 529-534
    発行日: 1998/09/20
    公開日: 2013/05/10
    ジャーナル フリー
    歴史は考古学の発展により遺跡より医学資料が出土すれば、現代と照合して修正される。近年、古代遺跡が続いて発掘され、遺跡から医史実の源流を求めて真の素顔を追求する必要があろう。1. シルクロード・ウルムチ遺跡より甲骨文字の耳科疾患記録が出土され、中国耳鼻科史上では最古である。1-黄帝内経は日本では紀元後667-683年とされている。それは紀元前150年で、約800年の誤差がある。偉大な遣唐・隋使の大先達方々は伝承されていた医学を整理・編集されたもので改訂版とすべきであろう。1. 長沙古代遺跡より五十二病方に耳鼻科関与が約20余記されていた。1. 現在、古代遺跡が中国で発掘中である。調査には数十年、約100年を要する。医学資料が出土すれば旧来説が修正されるかもしれない。
  • - 中国における「少物」デザインに関する研究(2)
    朱 寧嘉, 植田 憲, 宮崎 清
    デザイン学研究
    2012年 59 巻 1 号 1_39-1_48
    発行日: 2012年
    公開日: 2012/07/11
    ジャーナル フリー
    本稿は、中国・浙江省の嘉興地域において繰り広げられてきた船上生活を取り上げ、前報において導出した「ものづくり」「生活づくり」のデザイン指針である「少物」デザインが、どのように体現されてきたかを明らかにすることを目的としたものである。調査・考察の結果、以下を明らかとした。(1)船上生活をする人びとは、陸上生活者にとっては廃材・端材とみなされるものですら資源と認め、徹底的に使い尽くす知恵を培ってきた。(2)人びとは、きわめて限られた「もの」「空間」「エネルギー」「風水」を、それぞれの特質を見極めつつ、「混用」「多用」「代用」「転用」「愛用」に基づいて循環的に利活用しながら生活を構築してきた。(3)陸上生活者との交流は、陸の民に水環境の存在を身近に引き合わせる貴重な機会を創出する役割を担ってきた。今日の中国において求められている「節約型社会」の構築にとって、きわめて優れた「少物」デザイン要素が認められた。
  • 木村 秀海
    史学雑誌
    1987年 96 巻 5 号 752-758
    発行日: 1987/05/20
    公開日: 2017/11/29
    ジャーナル フリー
  • 豊田 久
    史学雑誌
    1985年 94 巻 5 号 756-762
    発行日: 1985/05/20
    公開日: 2017/11/29
    ジャーナル フリー
  • 江村 治樹
    史学雑誌
    1984年 93 巻 5 号 765-771
    発行日: 1984/05/20
    公開日: 2017/11/29
    ジャーナル フリー
  • 鈴木 三男, 小林 和貴, 吉川 純子, 佐々木 由香, 能城 修一
    植生史研究
    2017年 26 巻 2 号 79-85
    発行日: 2017年
    公開日: 2021/03/17
    ジャーナル オープンアクセス
    A cloth bag of the early modern Edo period (the latter half of the 18th century) was excavated from the road remains of the Minamimotomachi site, Shinjuku, Tokyo. This bag contained stems and leaves of plants. The material of the cloth bag was anatomically identified as fibers of the hemp (Cannabis sativa L.). From the plant morphological and anatomical studies, the contents of the bag were identified as stems and leaves of the tea plant (Camellia sinensis (L.) Kuntze). These results agree well with the description in the historical literature that, during the Edo period, commoners drank tea by boiling tea leaves in hemp bags in a pot.
  • 吉本 道雅
    史学雑誌
    1995年 104 巻 5 号 825-832
    発行日: 1995/05/20
    公開日: 2017/11/30
    ジャーナル フリー
  • 宇田川 洋
    日本考古学
    1994年 1 巻 1 号 155-167
    発行日: 1994/11/01
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    北海道の擦文文化(8~13世紀頃)の指標である擦文土器の中には,底部外面に記号状のものが線刻されているものがある。「刻印記号」と呼んでいるが,浅鉢や坏形土器に多く認められる。道内で36遺跡から発見されているが,その分布は,日本海岸北方域,石狩川上流域,石狩川下流域・千歳川流域・小樽方面域,日本海岸南方域という日本海側に偏っている。そこで考えられるのは,日本海を挟んだ大陸側との文化交流である。
    シベリア大陸では,女真文化から後期青銅器文化の時代のものが報告されている。それらには,北海道の記号と類する「×」「-」「○」記号およびそれらの変種を含んでいる。その目的は,「護符の役割」「陶工記号」などがいわれている。
    中国大陸における場合は,金代から新石器文化の時代まで幅広く認められている。戦国~周代が特に多いようであるが,中国の研究者によると,それらの多くは甲骨文字あるいは金文に関係するものの如く説かれている。さらに新石器時代のそれについては,とくに仰韶文化に多く見られ,甲骨文字につながる要素を含むといえる。
    ここで問題にすべき資料がある。それは続縄文時代の余市町フゴッペ洞窟の岩壁画といわれるもので,「仮装人像」(シャーマン)の具象から抽象へすなわち記号化のプロセスが刻まれている。そして記号化されたものは,擦文土器の刻印記号とかなり類似しているものである。フゴッペ洞窟の例に類するものは,小樽市手宮洞窟においても発見されており,それは早くから鳥居龍藏らによって突厥文字との関係がいわれているものである。
    ところで,最近,シベリアでの古代突厥文字(ルーン文字)が再評価されてきている。それはヨーロッパのステップ地帯とアジア地域のものに分けられているが,後者の8~10世紀のルーン文字が北海道と関連する可能性が指摘できる。それらは,ストレートに結びつくことはないにしても,直接に日本海を渡った文化の流れが想定できるのである。現在,渤海と北日本との関係が注目されてきつつあるが,それに関連する問題提起として,当論文が役立てば幸いである。
  • 多元と一体:費孝通の民族研究と最近の研究動向
    左 雯敏
    21世紀東アジア社会学
    2023年 2023 巻 12 号 131-148
    発行日: 2023/03/01
    公開日: 2023/03/03
    ジャーナル フリー

    民族研究は費孝通の学術の一つの中心点である。費孝通の民族研究は広西大瑶山の調査から始まり、『中華民族の多元一体構造』(1988)はその民族研究の最高峰である。これは中華民族の起源に関わる「多元論」と「本土説」を論証したものであり、中華民族の多元的かつ一体的な形成歴史を分析した。西洋の民族国家概念とは異なり、費孝通は中国の民族史から出発し、「民族アイデンティティの多層性」、すなわち、異なるレベルの民族アイデンティティは互いに排斥せずに協力できるという観点を提起した。1980年代から90年代にかけて、費孝通の「多元一体論」は多元を重視することから一体を重視することにシフトするが、これは当時の国内外の政治変動と関係する。本稿は、西洋の民族理論の中国への適用、族群(ethnic group)と民族(nation)概念の解析、分析単位の転換と拡張、漢族中心主義、構造機能から観念意識の分析、中華民族共同体意識などの側面から近年の中国の民族学・人類学における「多元一体構造」をめぐる研究成果に対するレビューである。

  • [記載なし]
    史学雑誌
    2006年 115 巻 2 号 280-252
    発行日: 2006/02/20
    公開日: 2017/12/01
    ジャーナル フリー
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