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クエリ検索: "河岸"
13,422件中 1-20の結果を表示しています
  • 千葉 武生, 萱場 祐一, 尾澤 卓思
    環境システム研究論文集
    2002年 30 巻 77-83
    発行日: 2002/10/26
    公開日: 2010/03/17
    ジャーナル フリー
    本研究では都市化の進行や河川改修により減少してきている天然
    河岸
    を保全するための手法及び技術の確立を目指し、天然
    河岸
    の実態把握、
    河岸
    強度の定量化手法についての検討を行った。空中写真を用いて天然
    河岸
    の分布状況を把握した結果、神奈川県内の天然
    河岸
    は著しく減少していることが明らかになった。また、ケーススタディ河川における現地調査から、天然
    河岸
    の形態、材質、植生等の特徴を把握することができた。さらに、
    河岸強度の定量化については境川において河岸
    の浸食速度を推定した結果、
    河岸
    の浸食速度は非常に遅く、歴史的に見ても河道はほとんど変化していないことが明らかになった。
  • 鹿内 京子, 石川 幹子
    ランドスケープ研究
    2004年 67 巻 5 号 375-380
    発行日: 2004年
    公開日: 2005/12/12
    ジャーナル フリー
    The evolution of kashi from the point of view of land use and ownership in Nihonbashi, specifically in reference to Ura-kashi, Nishi-kashi and Yokkaichi-kashi, as seen from a historical perspective is the focus of this study. To fully understand the diversity of each kashi, kashichi maps from 1882 and official kashichi license documents from 1882 and 1889 were the main reference sources used. Kashi can be historically divided into four distinct periods from the pre-Shikukaisei and post-Shikukaisei periods through the aftermath of the Great Kanto Earthquake of 1923 to the modern post-WWII era.These kashi took an important role in connecting the river to the city. Each had different functions dependent upon the rear of these areas. They have decreased influenced by the adjacent land uses. From the point of view of land ownership, kashichi remained in the public sector until 1973 with the exception of two cases. Kashi was thus considered to be a very important part of the open spaces of the Tokyo urban landscape. Thirty years ago, though, this unique 350-year-old system collapsed and the areal characteristics of the riverside vanished. It is important to recognize that the disappearance of kashi was deeply connected to various laws and ordinances.
  • 渡邊 康玄, 山口 里実, 金 暢大
    土木学会論文集B1(水工学)
    2018年 74 巻 4 号 I_1129-I_1134
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/03/30
    ジャーナル フリー
     一部を拡幅させ
    河岸
    浸食が生じるよう浸食域を設けた直線水路を用いて,交互砂州による
    河岸
    浸食に関する水理実験を実施した.実験条件は,浸食域の
    河岸
    の高さを変えて3ケース設定し,交互砂州を十分に発達させたのちに
    河岸浸食を許す場合と平坦河床から河岸
    浸食を許す条件で砂州を形成させた場合の2通り,計6ケースである.その結果,
    河岸
    の高さと砂州の発達状況の組み合わせにより,現象が大きく異なることが明らかとなった.
    河岸
    が低いほど横断方向への浸食が進む傾向を示すものの,砂州と浸食箇所の位置関係は大きく変化しない.また,
    河岸
    高が高い実験では,砂州を発達させたのちに
    河岸浸食を許す場合は河岸
    浸食が進行するものの,平坦床から
    河岸浸食を許す場合には砂州が発達した後も河岸
    の浸食は生ぜす砂州は下流への進行を続けた.
  • *飯塚 隆藤
    日本地理学会発表要旨集
    2004年 2004f 巻
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/11/01
    会議録・要旨集 フリー
    研究の目的
    河岸
    とは,物資の積み降ろしを行う船着場に加え,
    河岸
    問屋などの運輸機構,またその機能を持つ集落のことであり,河川舟運にともない形成された.しかし,河川舟運は明治中葉から昭和初期にかけて鉄道の開通や陸上交通の発達,河川改修の影響を受けたため,船の航行が困難になり,
    河岸
    が衰退していった.荒川の舟運が鉄道の開通にともない衰退していく過程について,老川(1983・1988)や丹治(1984), 小野塚(1988),加藤(1988)の研究がある. 老川(1983・1988)や丹治(1984)は,荒川の
    河岸
    の衰退時期には地域差があることに着目し,特に上流の
    河岸の方が下流の河岸
    よりも衰退時期が早いと論じている.一方, 小野塚(1988)や加藤(1988)の荒川本流
    河岸
    場変遷一覧表によれば,上流の天水
    河岸や平方河岸
    は昭和20年頃まで続いており,下流の
    河岸
    よりも衰退が遅い.このように
    河岸
    の衰退時期は異なるが,衰退時期の地域差について,十分な検討がなされていない.そこで本研究では,老川(1983・1988)や丹治(1984),小野塚(1988),加藤(1988)の研究を踏まえ,荒川における
    河岸の衰退時期の地域差について河岸
    の機能との関係をみるだけでなく,荒川の舟運を流域全体として捉えながら検討した.研究方法調査対象地域は,
    河岸
    場復原図の存在する小野塚(1988)の平方
    河岸
    と加藤(1988)の12
    河岸
    を合わせた13
    河岸
    とした.小野塚(1988)や加藤(1988)の荒川本流
    河岸
    場一覧表があるが,その内容は
    河岸
    の時期と機能との関係を検討する史料として格好の材料である.そこで本研究ではこの荒川本流
    河岸
    場一覧表を分析材料とし,不明確な点を文献調査,旧版地形図の比較,現地での聞き取り調査,フィールドワークをおこない,13
    河岸
    の機能と衰退時期との関連について検討した.結果荒川における
    河岸
    の衰退過程を4つの時代に区分して,図1と表1に表した._I_.舟運最盛期荒川は江戸後期から明治初期にかけて舟運の最盛期を迎え,
    河岸
    が周辺地域と大都市東京(江戸)間の結節点となっていた._II_.日本鉄道の開通と
    河岸
    の衰退明治中期から明治末期にかけて日本鉄道の開通にともない,物流のなくなった
    河岸や問屋の廃業した河岸
    は衰退していった.しかし,鉄道開通後も物資の輸送が増大した
    河岸
    も存在した._III_.河川改修と
    河岸
    の衰退1920年(大正9)から1935年(昭和10)頃にかけて治水を目的とした河川改修がおこなわれ,
    河岸
    と河道が切り離されたり,築堤工事によって係留や通航が困難になったりした結果,その影響を受けた
    河岸
    は衰退していった._IV_.
    河岸
    の最終期1945年(昭和20)頃まで続いた平方
    河岸
    ・天水
    河岸
    は船で砂利や砂,玉石を採取し,トロッコ列車や馬車で鉄道駅まで運搬していた.
    河岸
    内の集落が砂利や砂,玉石の採取に従事していた.まとめ 荒川における
    河岸
    の衰退時期は明治末期から昭和初期と地域差がある.これまで衰退時期の地域差に関する研究は,各
    河岸
    を面的に捉えたものはなく,点として検討されてきた.しかしながら,
    河岸
    の衰退時期には地域差があり,各
    河岸
    の機能によって衰退時期が異なることが推量される.
  • 内田 晴夫, 安藤 和雄
    農業土木学会誌
    1996年 64 巻 4 号 365-370,a2
    発行日: 1996/04/01
    公開日: 2011/08/11
    ジャーナル フリー
    バングラデシュでは, 国土全体に網の目のように広がる大小様々な河川で
    河岸
    侵食が毎年繰返されている。本報では, まず, バングラデシュにおける
    河岸
    侵食の被害の実態を報告するとともに, その対策について同国内で見られる二つの考え方を紹介する。続いて, ジャムナ河の支流ロバジョン川に接するモヘラ村において, 筆者らが「農村開発実験」の一環として行っている
    河岸
    侵食防止のためのプログラムについて報告する。現在進行中の実験プログラムを紹介しながら, 在地の技術にヒントを得て作られた「パラサイディング (水制工)」による, 小規模な
    河岸
    侵食防止法の可能性について言及する。
  • 鹿内 京子, 石川 幹子
    ランドスケープ研究
    2003年 66 巻 5 号 453-456
    発行日: 2003年
    公開日: 2003/09/24
    ジャーナル フリー
    The purpose of this study is to analyze the historical evolution of the riverside common space, Uo-kashi in Nihonbashi from the point of view of the land use and land ownership. The official documents of kashichi licenses in 1882 and 1889, and kashichi maps in 1882 were used for analyzing the original characteristics of Uo-kashi before the modernization. The history of kashi is divided into four periods; pre-Shikukaisei, post-Shikukaisei, post-Big Kanto Earthquake and post-WWII. Three points were clarified. Firstly, there existed diverse open spaces in Kashi up until 1920’s, and it took important roles to connect the river and city. Secondly, after Big Kanto Earthquake the fish market removed, the original open space system rapidly disappeared. Thirdly, in spite of those situations, the land ownership of kashichi had remained to the public-sector until 1978. This means kashi had been regarded as the important common spaces, and the users should get the permission from the public. This system continued for over 350 years. It was only 30 years ago that this unique system had collapsed.
  • 磯崎 優
    地理
    1941年 4 巻 4 号 468-491
    発行日: 1941/11/01
    公開日: 2010/03/19
    ジャーナル フリー
    1. 新
    河岸
    川は武藏野臺地の東側に並行し、其の水路は川越。志木間約二十粁、更に荒川合流地點迄約五粁の間を非常な自由蛇行をする。其の短距離にもかゝわらず驚くべき水量をもつてゐる。これは武藏野臺地の地下水の湧水の豐富なることゝ、崖端川Wet-Weather streamや湧泉池沼の地形的條件に基くもので、河川交通上高瀬舟の自由な舟行を許す要因である。
    2. 川越城下町の外港としては、古く川越の東北、荒川と入間川の合點に老袋
    河岸
    が開かれ、新
    河岸川には志木の北方上流本河岸
    があつた。老袋
    河岸
    と川越城下の間は低濕地であり、入間川・赤間川の氾濫の危險があつた。松平信綱以後藩主によつて、河港を城下町に吸引せんとして先づ本
    河岸上流の新河岸
    川を改疏により、新
    河岸
    を開設し、更に扇
    河岸
    に、明治に及んでは仙波沼を利用して仙波
    河岸
    が開設され遂に川越城下町に到達した。
    3. 城下町の外港として扇
    河岸
    、上新
    河岸
    、下新
    河岸
    、牛子
    河岸
    、寺尾
    河岸が五河岸
    と呼ばれ、川越藩並に城下商人と密接な連繋が結ばれた。藩は此等
    河岸
    の開發には地子免や、舟問屋株の特權による保護を與へた。物貨輸送の安全のためには、
    河岸
    問屋は主として、臺地のスパアーや、 Natural Leveeに位置し、水害の危險を免ると共に、背後地との交通連絡が重視された。
    4. 物資輸送の保證のために、船頭・馬士は沿岸、近接地域の住民が選ばれ、遂に他國船(よそ舟)の排斥となり、土地舟の特權となつた。馬士・船頭は各
    河岸
    問屋と主從關係が成立し其の配屬が明瞭に統制された。
    5. 陸上運送連絡としての馬士は、物資の多寡により雇傭は不定、不時期のため特に問屋近在の者に限る分布となつた。斯くて彼等の多くは半農半馬士の生活である。
    6. 出航舟は高瀬舟で並舟・早舟・飛切舟等運送の遲速と物貨に應ずる種類が生じ、定期船として早舟が利用された。三・八、五・十と言ふ如く五日間隔の輪番を持ち、舟と船頭の確定があつた。河川上下航の時宜に應ずる自然的障碍、天候、流速等や積載量の多少により、遡航の際は補助船頭たる「のつけ」を要し、曳舟又は桿つきを行つた。「のつけ」を要するのは、「河の口」新倉
    河岸
    より上流であり、新倉
    河岸
    に「のつけ宿」の發生となり、此近邊には「のつけ」を職業とする住民が生じた。
    7. 城下町商人と各
    河岸
    問屋との間は夫々組合を組織し物貨運漕に對する爭は常に
    河岸
    組合と商人川越十組との間に行はれたが、多くは
    河岸
    場の敗北に歸したことは、藩の城下町繁榮策によるものであつた。
    8. 新
    河岸
    川沿岸地域は或は船頭、馬士、のつけ等となり新
    河岸
    川の舟行を中心とする活動が行はれ、專業或は農閑利用によつて、農業上の不利を克服してゐた。
    9. 中
    河岸
    の開設活動については尚今後の詳報の機を俟つ。
  • 竹村 吉晴, 福岡 捷二
    土木学会論文集B1(水工学)
    2021年 77 巻 2 号 I_799-I_804
    発行日: 2021年
    公開日: 2022/02/15
    ジャーナル フリー

     洪水時に

    河岸
    際の洗掘,
    河岸
    崩落の発生,川底に堆積した崩落土砂の流送を繰り返しながら,自然堆積
    河岸
    の侵食は進行する.
    河岸
    侵食は,河川の安全性と密接に関係しているにもかかわらず,洪水時の河川断面形の変化は十分考慮されていない.これは,適切な
    河岸
    侵食の解析法がないためである.本論文では,
    河岸
    がサクションにより自立している高さを考慮し,崩落土砂が川底に堆積するまでの過程を連続体の運動方程式に基づき解析する.そして,堆積した崩落土砂が
    河岸
    近傍の三次元流れと石礫の非平衡運動によって流送される過程を解析する.これを繰り返すことで
    河岸
    の侵食量を見積もる.この算定法により,常願寺川現地実験における石礫
    河岸
    の侵食プロセスを説明出来ることを示した.

  • 大井 武
    地理学評論
    1956年 29 巻 3 号 181-186
    発行日: 1956/03/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
  • *坂本 克洋, 仙頭 紀明, 渦岡 良介, 風間 基樹
    地盤工学研究発表会 発表講演集
    2004年 JGS39 巻 67
    発行日: 2004/03/05
    公開日: 2007/01/18
    会議録・要旨集 フリー
    東南アジア最大の河川であるメコン川は豊かな水資源,森林資源,水産資源に恵まれている.その一方で,メコン川はさまざまな問題を抱えており
    河岸
    浸食も問題の一つである.浸食により土壌が流出し,根系を含む土壌層が流下する場合もある.本研究では
    河岸
    浸食を周辺地盤の地下水位の変動と関連があるものと捉え,ラオスのビエンチャンを流れるメコン川
    河岸
    地盤において体積含水率を計測するエコプローブセンサーを埋設し地下水位変動の観測を行った.雨量や河川水位等の環境要因の観点や対象地盤の物理試験結果も含めて,メコン川の
    河岸
    浸食における地下水位変動の影響について考察した.
  • 福岡 捷二, 大東 道郎, 西村 達也, 佐藤 健二
    土木学会論文集
    1996年 1996 巻 533 号 147-156
    発行日: 1996/02/21
    公開日: 2010/08/24
    ジャーナル フリー
    自然
    河岸やオギが繁茂している河岸
    では, その下部が侵食されヒサシ形状をとっていることが多い. このようなヒサシ状
    河岸
    近傍の流れ及び河床変動について, 一様弯曲水路を用い, 実験におよび解析を行った. その結果, ヒサシの存在は, 弯曲部外岸側近傍の流れの二次流を小さくするため, 外岸側の最大洗掘深を軽減し,
    河岸
    侵食速度を弱めることが明らかになった. ヒサシ状
    河岸
    近傍の流れを解くためには, ヒサシ状
    河岸によって河岸
    近辺に増大する乱れエネルギーの輸送を考慮する必要があることを明らかにし, k-εモデルを用いた解析が, ヒサシ状
    河岸
    を有する流路の流れと河床変動をよく説明することを示した.
  • —1999年∼2001年—
    菅谷 輝美, 藤井 由美子, 小林 一巳, 丹野 忠弘
    日本陸水学会 講演要旨集
    2002年 68 巻
    発行日: 2002年
    公開日: 2003/06/12
    会議録・要旨集 フリー
  • 鹿内 京子, 古澤 博隆, 石川 幹子
    ランドスケープ研究
    2005年 68 巻 5 号 401-406
    発行日: 2005年
    公開日: 2006/05/08
    ジャーナル フリー
    This paper analyzes how the riverbank area along the Furukawa River has been evolved since it was officially registered as Kashi in the Meiji era. The evolution of kashi is analyzed from the point of view of land use and ownership. Three kashi, Shibashinbori-kashi, Kitakanasugi-kashi and Minamikanasugi-kashi were investigated. To fully understand the diversity of each kashi, kashichi (each lot of kashi) maps in 1882 and kashichi license documents from 1882 and 1889 were used as the main reference sources. The evolution is analyzed in four periods: pres-Shikukaisei, post-Shikukaisei, post-Great Kanto Earthquake and post-World War II. It was initially decided by law in the Edo era that kashi should remain as open space areas for off-loading. The kashi along the Furukawa River were used differently from that of the center part of Tokyo. Its roles were more to support the backstage of the city of Tokyo with the citys primary industries, sewer system and garbage disposal system. Kashi existed as off-loading places even after WWII in the Showa era. They are still used as mooring and boarding places and many of them still belong to the Metropolis of Tokyo in the Heisei era.
  • 河岸
    直明
    理学療法学Supplement
    1997年 1997.24.3 巻
    発行日: 1997年
    公開日: 2017/09/01
    会議録・要旨集 フリー
  • 福岡 捷二, 仲本 吉宏, 福田 朝生, 石上 鉄雄
    土木学会論文集
    2004年 2004 巻 761 号 19-30
    発行日: 2004/05/21
    公開日: 2010/08/24
    ジャーナル フリー
    本研究では
    河岸
    保護機能があるとされるヨシ原で覆われた
    河岸
    を対象にヨシの地下茎の土壌保持効果に着目し, 護岸効果の評価方法を検討した. まず,
    河岸下部で侵食が進行し不安定となったヒサシ形河岸
    の崩落について, 原寸大の
    河岸を再現した実験の結果から河岸
    にヨシが繁茂している場合の限界ヒサシ長さとヨシの地下茎密度との関係を明らかにした. 次に, ヒサシ状
    河岸
    より崩落したヨシを含む土塊の侵食に関して, ヨシの根の効果をヨシを含む土塊の侵食実験より明らかにしている. また, 斐伊川用水路のヨシ原
    河岸
    の観測結果と実験結果を比較し, ヒサシの崩落過程に関して崩落規模の予測が可能であることを示し, 崩落土塊の流送過程に関しては一定の土質条件の下, ヨシの密度と土塊の流送の関係を把握することができた.
  • 鹿内 京子, 石川 幹子
    都市計画論文集
    2011年 46 巻 1 号 43-48
    発行日: 2011/04/25
    公開日: 2011/12/27
    ジャーナル オープンアクセス
    本稿は、東京下町における亀島川に隣接する共有空間として、江戸期に創設された亀島
    河岸
    について、近代化以降の変遷を明らかにすることにより、都市における緑地の創出と持続的維持について論じたものである。明治維新を迎え、近代化が進む中、兜町には株取引所が創設され、茅場町は商業の中心となり、日本橋川の下流は海運に恵まれていたため、着目された。南茅場町、亀島町の地先
    河岸であった亀島河岸
    の変遷を、1筆ごとの
    河岸
    の原点から、土地利用と土地所有の視点を用いて、まちとのかかわりに着目し、隣接する茅場
    河岸
    、霊岸
    河岸
    を対照させながら、特質を分析した。亀島川と亀島
    河岸
    は江戸期以来現代まで残存し、残存する
    河岸
    地は、東京において親水性のあるコモンスペースの創出に、きわめて貴重な公有地である。しかし、東京オリンピック以降、
    河岸
    地は維持すべき基本財産としての意味が失われ、都市計画で緑地として位置づけられていない状態である。
  • 1年「くり上がりのあるたし算」
    山本 英一
    日本数学教育学会誌
    1989年 71 巻 12 号 3-
    発行日: 1989年
    公開日: 2021/04/01
    ジャーナル フリー
  • 小数倍への拡張をめざして
    山本 英一
    日本数学教育学会誌
    1988年 70 巻 12 号 2-
    発行日: 1988年
    公開日: 2021/04/01
    ジャーナル フリー
  • 樋口 輔三郎, 柴田 義春
    野兎研究会誌
    1990年 17 巻 29-33
    発行日: 1990年
    公開日: 2017/10/03
    ジャーナル フリー
    裏大雪地方におけるキツネ,テン,ウサギの積雪上の足跡数から,これらの動物の環境要因との関係を数量化(I)で解析した。キツネでは
    河岸
    段丘,中腹と低い所を好み峯筋,台地には少なかった。植生では針葉樹林,人工林に多く,二次林,混交林には少なかった。立木密度は中,密に多く疎に少なかった。立木の大きさは大きいものほど多かった。テンでは峯筋,台地に多く,中腹,
    河岸
    段丘に少なかった。植生では針葉樹林,二次林混交林,人工林の順位で好まれた。立木密度では中,密,疎の順に,立木の大きさは,中,小,大の順に好まれた。ウサギでは台地,中腹に多く,峯筋,上段
    河岸
    段丘が次ぎ,下段
    河岸
    段丘は少なかった。植生では混交林,二次林,人工林,針葉樹林の順に好まれた。立木密度は密,中,疎,立木の大きさは大,中,小の順に好まれた。
  • 福岡 捷二, 渡辺 明英, 新井田 浩, 佐藤 健二
    土木学会論文集
    1994年 1994 巻 503 号 59-68
    発行日: 1994/11/21
    公開日: 2010/08/24
    ジャーナル フリー
    洪水流や航行する船の造る波の
    河岸
    侵食力に対し,
    河岸に生育しているオギやヨシがどの程度の河岸
    侵食軽減機能を有するかを現地観測によって調べている. オギやヨシの生育環境, これらの植生が
    河岸
    侵食を軽減する機構を明らかにした上で, オギやヨシを
    河岸
    保護に活用する場合, 保護機能が発揮される限界流速を理論的に算定し, これが工学上有効であることを現地観測結果によって, 明らかにしている.
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