研究の目的河岸
とは,物資の積み降ろしを行う船着場に加え,
河岸
問屋などの運輸機構,またその機能を持つ集落のことであり,河川舟運にともない形成された.しかし,河川舟運は明治中葉から昭和初期にかけて鉄道の開通や陸上交通の発達,河川改修の影響を受けたため,船の航行が困難になり,
河岸
が衰退していった.荒川の舟運が鉄道の開通にともない衰退していく過程について,老川(1983・1988)や丹治(1984), 小野塚(1988),加藤(1988)の研究がある. 老川(1983・1988)や丹治(1984)は,荒川の
河岸
の衰退時期には地域差があることに着目し,特に上流の
河岸の方が下流の河岸
よりも衰退時期が早いと論じている.一方, 小野塚(1988)や加藤(1988)の荒川本流
河岸
場変遷一覧表によれば,上流の天水
河岸や平方河岸
は昭和20年頃まで続いており,下流の
河岸
よりも衰退が遅い.このように
河岸
の衰退時期は異なるが,衰退時期の地域差について,十分な検討がなされていない.そこで本研究では,老川(1983・1988)や丹治(1984),小野塚(1988),加藤(1988)の研究を踏まえ,荒川における
河岸の衰退時期の地域差について河岸
の機能との関係をみるだけでなく,荒川の舟運を流域全体として捉えながら検討した.
研究方法調査対象地域は,
河岸
場復原図の存在する小野塚(1988)の平方
河岸
と加藤(1988)の12
河岸
を合わせた13
河岸
とした.小野塚(1988)や加藤(1988)の荒川本流
河岸
場一覧表があるが,その内容は
河岸
の時期と機能との関係を検討する史料として格好の材料である.そこで本研究ではこの荒川本流
河岸
場一覧表を分析材料とし,不明確な点を文献調査,旧版地形図の比較,現地での聞き取り調査,フィールドワークをおこない,13
河岸
の機能と衰退時期との関連について検討した.
結果荒川における
河岸
の衰退過程を4つの時代に区分して,図1と表1に表した._I_.舟運最盛期荒川は江戸後期から明治初期にかけて舟運の最盛期を迎え,
河岸
が周辺地域と大都市東京(江戸)間の結節点となっていた._II_.日本鉄道の開通と
河岸
の衰退明治中期から明治末期にかけて日本鉄道の開通にともない,物流のなくなった
河岸や問屋の廃業した河岸
は衰退していった.しかし,鉄道開通後も物資の輸送が増大した
河岸
も存在した._III_.河川改修と
河岸
の衰退1920年(大正9)から1935年(昭和10)頃にかけて治水を目的とした河川改修がおこなわれ,
河岸
と河道が切り離されたり,築堤工事によって係留や通航が困難になったりした結果,その影響を受けた
河岸
は衰退していった._IV_.
河岸
の最終期1945年(昭和20)頃まで続いた平方
河岸
・天水
河岸
は船で砂利や砂,玉石を採取し,トロッコ列車や馬車で鉄道駅まで運搬していた.
河岸
内の集落が砂利や砂,玉石の採取に従事していた.
まとめ 荒川における
河岸
の衰退時期は明治末期から昭和初期と地域差がある.これまで衰退時期の地域差に関する研究は,各
河岸
を面的に捉えたものはなく,点として検討されてきた.しかしながら,
河岸
の衰退時期には地域差があり,各
河岸
の機能によって衰退時期が異なることが推量される.
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