戦国軍記の中に「日記」という名を持つ作品が相当数ある。また日記という名を持たない軍記の文中にも「日記」という語が時折見受けられる。戦場の日記はよく知られているが、戦国時代には城中日記というものもあったと考えられる。特に籠城あるいは落城という危機に見舞われた城中では日記が記された。その日記は落城の際に城外に持ち出されて、後に滅亡した一族の家の記として軍記が書かれるときに利用されたと思われる。本稿はその一面を明らかにしようと試みるとともに、
波多野秀治
一族の滅亡を描く『籾井家日記』を具体例として取り上げ、滅亡記を綴る作者たちの思いを考察した。
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