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クエリ検索: "津川主一"
8件中 1-8の結果を表示しています
  • 西村 理
    大阪音楽大学研究紀要
    2014年 52 巻 6-30
    発行日: 2014/03/01
    公開日: 2021/04/01
    ジャーナル フリー
    アントニーン・ドヴォルザーク(1841〜1904)の交響曲第9番作品95「新世界より」の第2楽章の旋律は、《家路》というタイトルで親しまれている。《家路》というタイトルは、ドヴォルザークの弟子ウィリアム・アームズ・フィッシャー(1861〜1948)が作詞し、1922年に出版した《Goin' Home》の訳語である。本論文の目的は、《Goin' Home》がいつから《家路》として知られるようになったのか、《Goin' Home》と《家路》の歌詞はどのような関係にあるのか、さらにどのようにして《家路》が流布していったのかを明らかにすることである。日本で1931年3月に発売されたシルクレットのレコードがきっかけとなり、《Goin' Home》は《家路》として知られるようになり、ラジオでは1932年以降、英語で歌われていたものの《家路》というタイトルで放送されるようになった。1934年以降、《Goin' Home》に基づいた複数の日本語歌詞による楽譜が出版され、ラジオでも1937年から《家路》もしくはそれに類するタイトルの曲が放送されるようになった。フィッシャーの《Goin' Home》の歌詞における「home」は、文字通りの「故郷」と「天国の故郷」という二重の意味を持っていたが、《家路》として流布していく過程で、前者の意味のみが広まっていった。
  • 鹿間 時夫, 長谷川 善和
    地学雑誌
    1962年 71 巻 6 号 247-253
    発行日: 1962/11/30
    公開日: 2010/10/13
    ジャーナル フリー
    On June 24th, 1797 some magacerid bones were found at a hillside of Fukamachi, Kamikuboiwa, Tomioka City, Gunma Prefecture, and on July 7th of the same year natives excavate the site and gained antlers, jaws, vertebrate, scapula, limb bones etc.; they presented them to MAEDA, the feudal lord of the district. In November, 1798, a small stone monument of this discovery was built upon the hill. In the summer of 1800, Motohiro TANBA, head doctor of the TOKUGAWA family, kept a record of his description, illustration and determination of the materials. His manuscript is very accurate and now preserved in Hensyo temple in Kamikuroiwa. Choyokan Manpitsu written in 1811 by Tozan KAMAHARA mentioned this discovery. The bones had been stored in the house of MAEDA in Edo, but in 1933 Toshisada MAEDA donated all the materials to the Zyagu shrine in Nanukaichi, Tomioka City, and henceforward they have been kept perfectly as sacred treasures of the shrine. In April, 1959 Syuichi TSUGAWA visited the shrine and recognized the treasures as megacerid fossils of excellent preservation. In March, 1961, the writers visited the locality and verified the existence of the stone monument. The materials of this interesting discovery and history is the best specimens ever known in Japan of Sinomegaceroides yabei (Shikama) of late Pleistocene.
  • 津上 智実
    音楽学
    2022年 68 巻 2 号 115-129
    発行日: 2022年
    公開日: 2024/03/15
    ジャーナル フリー
      本論の目的は、ヘンデル Georg Friedrich Händel(1685–1759)のオラトリオ《メサイア Messiah》の日本初演の実態を、史料に基づいて明らかにすると共に、その成立の経緯を考察することである。《メサイア》の演奏は、〈ハレルヤ〉コーラスを中心に、明治期から散発的に行われてきた。全3部を包含する形での「通し演奏」は1920年代半ばに本格化するが、青山学院のゲーリー Fred Daniel Gealyと大阪コーラル・ソサエティの長井斉と、いずれの演奏が本邦初演に当たるかについては、今日なお疑義がある。
      本論では、残存する演奏会プログラムと報道記事とに基づいて、1925年の東京での日本初演、1927年の関西初演と東京再演という3つの《メサイア》演奏について、日時や会場、独唱者と演奏曲目の実態を明らかにし、特定曲を省略する演奏習慣を論じた。東京再演の合唱メンバーの顔触れからは、キリスト教宣教師の会派を超えた連携が浮かび上がってきた。
      力量のある合唱を必要とする《メサイア》が1920年代半ばに次々と通し演奏された背景として、1920年10月に東京で行われた第8回世界日曜学校大会の重要性を指摘する。世界大戦で4年遅れで開催された大会は、特設会場が開会直前に焼失したため、会場を帝国劇場に変更して、ボストン大学讃美歌学教授スミス H. Augustine Smith指揮の下、千人の聖歌隊が海軍軍楽隊の伴奏で《メサイア》の合唱曲3曲他を歌った。
    津川主一
    は、これが「日本のキリスト教会に合唱の熱を捲き起こし」「一生を聖なる音楽に捧げる決心をさせられた」と記している。鳥居忠五郎や小泉功、長井斉らも同様である。
      宗教的オラトリオを合唱する宣教師らの演奏活動は、近年の合唱研究でも見落とされているが、《メサイア》の受容において、受け手側の集団的な関心の醸成に寄与したものとして、その貢献を再評価する。
  • 田中 多佳子
    東洋音楽研究
    1995年 1995 巻 60 号 114-117
    発行日: 1995/08/31
    公開日: 2010/02/25
    ジャーナル フリー
  • 柴田 康太郎
    美学
    2015年 66 巻 1 号 173-184
    発行日: 2015/06/30
    公開日: 2017/05/22
    ジャーナル フリー
    In Japanese film history, the late 1930s was known as a period when interest in filmic "realism" rose. This study examines how this interest in filmic realism influenced musical accompaniment in narrative films in the late 1930s. It mainly focuses on two complementary aspects of filmic realism: one based on naturalist/ socialist realism in literature and the other based on a new conception of filmic representation that emphasized audiovisual realism. This study investigates the contrasting influences of these two aspects. One influence was the decrease in the use of non-diegetic music, a practice reported in contemporary texts that can be confirmed by existing realist films. The first half of the paper analyzes contemporary discourse on filmic realism and anti-musical accompaniment arguments and reveals that musical accompaniment was considered unsuitable for both the above-mentioned aspects of realism. This influence, however, was not restricted to the decrease in use of non-diegetic music. In fact musical accompaniment was not completely abandoned, and some contemporary Japanese film composers sought an effective way of using it in realist films. The latter half of this paper shows the efforts of Fukai Shiro, one such leading Japanese composer, in this regard.
  • ―昭和12年度の武蔵野高等女学校での実践に着目して―
    長尾 智絵
    音楽教育学
    2017年 47 巻 1 号 37-48
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/08/31
    ジャーナル フリー

     本稿では, 一宮道子 (1897-1970) の武蔵野高等女学校における授業実践の内容, および笈田光吉 (1902-1964) の音感教育体系と一宮の授業実践との関連を分析することによって, 昭和10年代, 国民学校芸能科音楽に至るまでの絶対音感教育の変化の過程において一宮道子が果した役割とは何であったのかについて明らかにした。笈田が1937 (昭和12) 年に公表した音感教育体系を公教育に適するように組み直すにあたり, 一宮は武蔵野高女での実践によって, 第1に, 生徒の実情をふまえ, カデンツを構成するいくつかの主要三和音に指導内容を限定し, 和音感訓練の第1段階と合唱訓練を直結させた。第2に, 公教育に適するように新たに組み直したこの課程と従来の歌唱指導とを連結させた。この2点の修正は, 1938 (昭和13) 年7月に笈田によって中等学校用音楽教科書としてまとめられた。

  • 森 みゆき, 国府 華子, 山﨑 浩隆, 佐藤 慶治, 正源司 有加
    尚絅大学研究紀要 A.人文・社会科学編
    2023年 55 巻 121-138
    発行日: 2023/03/31
    公開日: 2023/08/04
    ジャーナル フリー
    犬童球渓(1879-1943,本名は犬童信蔵)は,1907(明治40)年『中等教育唱歌集』に所収された《旅愁》の作詞で有名だが,音楽教育に従事する教員でもあった。生涯に500曲以上の作詞・作曲作品を残したが,音楽学的見地からの研究は未だ進められていない。犬童は『中等教育唱歌集』での発表を皮切りに,教科書や雑誌,ピース譜に作品を発表し続けた。教科書,雑誌,ピース譜には重複して掲載されている作品も多い。筆者らは最終的には犬童の全作品目録を纏める計画であるが,本稿ではその第一弾としてピース譜に掲載された作品について目録を作成する。
  • ~研究者, 音楽科教員の役割を探る~
    明石 要一, 金本 正武, 山下 薫子, 本多 佐保美, 銭谷 眞美, 無藤 隆, 山本 文茂, 西村 佐二, 阪井 恵
    音楽教育学
    2006年 36 巻 2 号 23-45
    発行日: 2006年
    公開日: 2017/08/08
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