本稿は、村上春樹の「レキシントンの幽霊」(一九九六年)について、作品の舞台である一九九〇年代前半のアメリカの歴史的文脈を重視しながら、クィアー・リーディングを行ったものである。それにより、本作のなかにアメリカのゲイ男性にかかる過酷なエイズパニックの記憶を可視化するとともに、それを記憶化/記録化する非当事者の問題を読み解いた。その上で、本作が九〇年代のエイズ文学と位置づけられる可能性を指摘した。
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