クォークやグルーオンといった素粒子は,4つの基本相互作用の1つである「強い相互作用」を行い,量子色力学によって記述される.これらは常温常圧下ではハドロンの内部に閉じ込められているが,約2兆度を超える超高温では解放されクォークグルーオンプラズマとよばれる多体系を形成すると考えられている.
近年の高エネルギー原子核衝突実験においては,実際に量子色力学における(擬)相転移が引き起こされクォークグルーオンプラズマが生成されている証拠が数多く観測されており,その温度は約5兆度ほどに達するとされる.これにより強い相互作用をする素粒子の物性が,実験データと理論計算の比較に基づきより定量的に議論されるようになった.クォークグルーオンプラズマはビッグバン直後の高温初期宇宙を満たしていたと考えられることから,高エネルギー原子核衝突は強い相互作用についての詳細を調べると同時に,初期宇宙を再現しその性質を探ることができる貴重な機会としてしばしばリトルバンともよばれる.
原子核衝突では特にクォークグルーオンプラズマが粘性の極めて小さな相対論的流体として振舞うことがわかり,系が温度などの
熱力学
量が定義できる局所平衡状態にあることが示唆されている.系の
熱力学
的性質は,
状態方程式
によって特徴付けることが可能である.これまでに格子量子色力学法に基づく第一原理計算によって,ゼロ密度近傍ではハドロン相からクォークグルーオンプラズマ相へと至る精度の高い
状態方程式
が得られており,また流体模型を用いた解析によってもこれが実験結果と整合性があることが示されている.
一方でネットバリオン数が有限の場合は,符号問題のため第一原理計算が困難であることが知られており,その詳細は未解明である.量子色力学は有限密度下において様々な相構造をもつことがモデル計算によって示唆されており,原子核ハドロン分野におけるフロンティアの1つとなっている.そのため現在,原子核衝突のエネルギーを変えることで実験的に有限密度領域の知見を得ようとする試みが行われている.
こうした背景を踏まえて,筆者らは格子量子色力学計算とハドロン共鳴ガス描像に基づいて有限密度における強い相互作用の
状態方程式
の現象論的構築を行った.特に高エネルギー原子核衝突への応用のため,ネットバリオン数に加えて電荷とストレンジネスを考慮した4次元パラメータ空間の
状態方程式
を議論した.まず格子量子色力学におけるテイラー展開法を用いてゼロ密度で定義された物理量から高温側のクォークグルーオンプラズマ相における有限密度の
状態方程式
を構築した.これを低温側のハドロン相において実験データおよび格子量子色力学計算からその存在が支持されているハドロン共鳴ガスの
状態方程式
へと接続する方法をとった.
また得られた有限密度における強い相互作用の
状態方程式
を相対論的流体模型へと適用し,実際に原子核衝突のシミュレーションを行った.ハドロン生成量を実験データと比較することで,ネットバリオン,電荷,ストレンジネスの3つの保存量を導入することによって実験データの再現性が大幅に改善されることを示した.この結果は従来よりも広いパラメータ空間での
状態方程式
で原子核衝突実験を捉えることの重要性を指摘するものである.
本研究は理論と実験の連携に基づく量子色力学の有限密度相構造の探索において新たな出発点になると期待できる.今後は原子核衝突における初期揺らぎの効果や非平衡過程である拡散の影響を取り入れることで,有限密度における強い相互作用の物性物理を精密科学へと高めていきたい.
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