1.はじめに
わが国では,高度経済成長期以降,地域に根ざした生活様式や伝統文化が変貌する一方で、全国で町づくり,村おこしなどの地域活性化の手段として伝統的な祭りや新しく創出された市民祭りを活用するなどの行政側の動きが見られた.
本研究の対象地域である八
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市は,第二次世界大戦後の1955年さらに1959年,1964年と合併を行い,市域拡大や人口増加が急速に進んだ.そこで,新旧住民の連帯感を高め,合併後の新市一体化を促進するために,行政主導で創出された市民祭りが「八
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まつり」である.
2.研究方法
本研究では,市民祭りとして新たに創出された「八
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まつり」を事例としてとりあげ,市民祭りの成立や展開過程を考察し,伝統的祭礼とは異なる市民祭りの特徴を,まつりの担い手とその内容に着目した.また市民祭りを通して,いかなる地域文化が,実践・継承されているのかについて検討を行った.
3.結果
現在の八
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まつりにおける内容の特徴は,伝統的祭礼である山車や神輿を全面に押し出している内容であるが,実は市民祭から開始されている.また,まつりの変遷過程を考察した結果,大きく以下の4つの時期ごとに異なるまつりの特色が把握された.それは,1)市民祭形成期(市民祭的内容),2)八
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まつり原型期(鎮守的神社祭礼の参加,融合,共存,まつり名称の変化),3)八
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まつり発展期(伝統的文化と非伝統文化(イベント型)の対立,差異化,4)八
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まつり変革期(伝統的文化の重視と非伝統文化の排除)である.
また,八
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まつりの運営主体であるまつり事務局も時期ごとに変化していた.前述の時期区分によると,市民祭形成期~八
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まつり発展期においては,行政主体で企画・立案を行っていたが,八
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まつり変革期移行は,市民祭開始以前から八
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の旧宿場町を中心にして行われていた神社祭礼の氏子組織やまつり参加団体の代表等が多数参加し,新たなまつり実行委員会が組織されて,まつりの企画・運営等を行っていた.
八
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まつりが時代的に変化した要因は,八
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まつり開始期から現在におけるまつりを主催する行政団体におけるまつりの運営・実施方針などが大きく影響している.とくに2002年にだされた八
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まつり検討委員会の答申の影響は大きく,従来の八
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まつりの形態・内容及びまつりの運営組織まで変化させたことが判明した.
八
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まつりにおける担い手は,大別すると伝統的祭礼の担い手と非伝統的祭礼(イベント)の担い手に分類できる.伝統的担い手としては,神社の氏子町会組織が中心であった.その氏子組織は,多賀神社と八幡・八雲神社から構成された.また氏子組織(町会)内には他町会に対する競合意識や市外祭礼に積極的に出向する氏子組織もあった。このことから氏子町会が八
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まつりの形態・内容に影響を与えた.
一方非伝統的担い手としては,子ども音頭と民踊流しの参加団体及び構成員を事例としてとりあげた.いずれの担い手とも行政関係の支援を得ながら,子ども会組織や地元の民踊教室,企業,学校,民踊クラブ等などを活用して組織された.また踊りで使用される曲は、まつりを主催する行政団体が八
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という地域に因む曲を作成し,それを参加団体に提供した。これは演技だけでなく郷土愛育成等を意識しながら,八
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まつりに参加させるねらいがあった.
以上のように,八
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まつりにおける地域文化の一部分として存在し,実践・継承をしている担い手や文化は,現在の時点で氏子町会が所有する山車・神輿等にみられる伝統的祭礼,子ども音頭,民踊流しと考えられる.そして,これらは八
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まつりを通してそれぞれが所有する文化の知識・技術の維持管理や継承の努力を続け,知識や技術の伝達する必要性や継承性の強い地域文化として再生され創出されたものといえるだろう.
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