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クエリ検索: "皇室" 雑誌
1,847件中 1-20の結果を表示しています
  • ―2013年上半期の週刊誌は皇室をどう描いたか
    茨木 美子
    出版研究
    2013年 44 巻 95-113
    発行日: 2014/03/20
    公開日: 2019/03/31
    ジャーナル フリー

    週刊誌の

    皇室
    報道が一般紙では,伝統的な
    皇室
    像からの逸脱を批判するが,女性誌ではホームドラマとしての
    皇室
    を描くという違いがあるかを検証した.2013年1月から7月までの週刊誌9誌(一般誌6誌,女性誌3誌)の
    皇室
    記事と写真を対象として,量的な内容分析を行った.その結果,サブテーマの頻度と扱いに若干の違いはあったが,全体的な傾向からは,女性誌と一般誌の
    皇室
    報道に伝統規範―家族という違いは見られなかった.

  • ―「女性週刊誌」記事の言説分析を通じて
    茨木 美子
    出版研究
    2019年 50 巻 71-90
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/10/30
    ジャーナル フリー

    明仁天皇の「退位」に関して,女性週刊誌がどのように報じたかを言説分析から明らかにすることが本論文の目的である.「退位表明」から「特例法」の成立までは,天皇(

    皇室
    )と政府との「象徴」「天皇」「皇位継承」についての認識の違いと対立を明確にする「フレーム」が見出された.「特例法」制定以降から「退位」までは,「退位」以前の皇族の公的・私的行為を,一般庶民になぞらえて描く「大衆社会」の
    皇室
    像に回帰した.

  • 研谷 紀夫
    映像学
    2024年 111 巻 116-135
    発行日: 2024/02/25
    公開日: 2024/03/25
    ジャーナル フリー

    天皇や皇族の肖像に関する社会的な意味や役割についての研究が行われるようになって久しいが、これまでの研究対象は天皇・皇后や成人皇族が主であった。一方でその天皇や皇族の子息である親王・王や、息女である内親王・女王などのイメージについては、これからの研究課題であると言えよう。特にそれまでは公の場でも和装姿であった皇后が1886(明治19)年から洋装に代わると、その頃に誕生した内親王が皇后と入れ替わるように和装姿で写真が撮影され、それらの写真が年少者や女学生向けの

    雑誌
    に掲載されるようになった。また、皇太子の成婚を契機に“
    皇室
    御一家”を想起させる絵が多数描かれるようになると、内親王は写真と同じ袴姿で描かれ一家の娘役を担うこととなる。さらに30年代後半に日露戦争が起き、戦争の様子を伝える画報が発刊されると袴姿で戦死者の名前を書き奉納する姿や、靖国神社で遺族と対話するなど、袴姿で国に奉仕する絵が描かれた。また婚礼に際しても洋装姿の夫と、袴姿の内親王の写真を組み合わせた紙面が多くのメディアで見られたが、皇族妃となった後は一転して洋装姿の写真が流布するようになる。このように明治期の内親王は
    皇室
    での立場や国の状況に応じてメディア上で様々な姿を見せた。本論では肖像写真の原板との比較を行いながら、明治期の内親王が各種メディアにおいてどのように表象され、皇后とは違うどのような役割を担ったかを明らかにする。

  • 右田 裕規
    社会学評論
    2004年 55 巻 2 号 129-145
    発行日: 2004/10/25
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    本論文の目的は, 戦前期女性の
    皇室
    観の分析を通じ, 民衆の生活世界に根ざしつつ, 近代天皇制と「女性」の関係を捉え直すことにある.アプローチしたのは, 1900-10年代以降の女性に広く現れた, 「スターとしての
    皇室
    」への強い憧憬・関心という心性である.本論文ではこの心性につき, 男性の
    皇室
    観と比較しつつ, 歴史社会学的な考察が加えられる.具体的にはまず, 戦前期女性の上記の心性が, 近代天皇制の大衆化を推進していった過程を概観することで, 彼女らが天皇制の質的変容をもたらしたことが示される.さらに上記の心性形成の諸要因の解明を通じ, 戦前期大衆天皇制の形成と日本の近代化過程との関係性が, ジェンダー論的視座から提示されるとともに, 家父長制と天皇制の間に対立のモメントの存在した事実が明らかにされる.
  • 制度と実態
    加藤 祐介
    史学
    雑誌

    2021年 130 巻 4 号 64-92
    発行日: 2021年
    公開日: 2022/04/20
    ジャーナル フリー
    本稿は、明治中・後期(1888~1912年)における
    皇室
    財政の制度と実態について、基礎的な検討を行うものである。
    1888~1893年度においては緊縮財政路線がとられた。一方、この時期の宮内省内蔵頭の杉孫七郎は、平常の財政運営に関しても伊藤博文の指導力に依存する傾向があり、また主に元老によって構成される
    皇室経済会議が皇室
    財政を監督する体制を支持していた。
    1894年度以降、
    皇室
    財政は次第に膨張へと転じていく。そうした中で内蔵頭の渡辺千秋は、御料地経営の収益を組み込んだ統一的な財政制度の確立や、借入金の完済などを提起した。また渡辺は、杉内蔵頭の時代とは異なり、平常の財政運営に関しては、宮内省は自ら問題を処理する能力=専門性を備えつつあると認識していた。
    1903年以降、帝室制度調査局において
    皇室
    法の検討が活発化していった。同局および宮内省内での検討を経て、1910年に
    皇室
    財産令が、1912年に
    皇室
    会計令が制定・公布された。
    皇室
    財産令によって、
    皇室
    経済会議は宮相の「諮詢機関」である帝室経済会議へと縮小再編され、宮内省の専門分化が進展した。また
    皇室
    会計令によって、御料地経営の収益を組み込んだ統一的な財政制度が確立した。
    一方で、田中光顕(宮相)・渡辺体制下の宮内省は、財政基盤強化のためのアドホックな資金獲得に走るところがあった。日清戦争賠償金の
    皇室
    財政への編入(1898年)や国庫支出の
    皇室
    費の増額(1910年)はその典型である。宮内省は、前者によって借入金の完済に成功し、後者によって日露戦後の財政逼迫に対処したが、こうした対応は議会(国民)との間に一定の緊張を生じさせた。こうした明治中・後期における宮内省の対応のあり方は、議会(国民)との間の緊張を回避するという志向が明確に見られた1920年代のそれとは、大きく異なっている。
  • 川井 良介
    出版研究
    2001年 32 巻 1-22
    発行日: 2002/03/20
    公開日: 2020/03/31
    ジャーナル フリー

    Magazine media constitutes a larger portion of the publishing industry than books. Magazines also have an important journalistic function, along with playing a role in suggesting various lifestyles.

    However, there has been very little research concerning magazines carried out in Japan. Nevertheless, there were a number of magazine research projects carried out in the 1990's that deserve recognition. This paper introduces and analyzes magazine research carried out in the 1990's based on a magazine's philosophy (concepts, frequency, size, media characteristics, and mode), the current situation of magazines (overall image, trends in types and circulation, women magazines, and magazine advertisements), along with an analysis of magazine contents and magazine journalism.

  • ―立憲君主制への階梯
    原科 颯
    年報政治学
    2022年 73 巻 1 号 1_143-1_165
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/06/16
    ジャーナル フリー

     本稿では、明治前期(明治維新から明治憲法の制定まで)における天皇・

    皇室
    と政治の関係、即ち当時の用語でいう宮中と府中の関係(以下、宮中・府中関係)の形成過程を、伊藤博文による滞欧憲法調査以降の時期を中心に検討した。

     結果、明治憲法の制定に至って宮中・府中関係は、両者の相互不干渉を原則として、具体的には宮中の府中への干渉(政治関与)および府中の宮中への干渉(政治利用)をいずれも否定(ないし制限)する形で形成されたことが明らかとなった。かかる宮中・府中関係の整備は伊藤博文によって一貫して主導されたが、背景には、明治初期に宮中の政治的活性化に苦慮した経験のほか、主に憲法調査を通じて感得されたL. v. シュタインの立憲君主論や柳原前光の

    皇室
    制度論からの思想的影響が存在した。また、伊藤は併せて立憲君主制の積極的意義ともいえる
    皇室
    の国民統合機能を強化することを図ったが、同施策は相互不干渉を原則とする宮中・府中関係の整備を要請するものだったと考えられる。

  • 政治過程に着目して
    加藤 祐介
    史学
    雑誌

    2015年 124 巻 11 号 1-33
    発行日: 2015年
    公開日: 2018/10/05
    ジャーナル フリー
    本稿は、戦間期の天皇制について、
    皇室
    財政をめぐる政治過程という視角から分析するものである。具体的には、戦間期の
    皇室
    財政における①歳出削減問題、②株券処分問題、③公開・非公開をめぐる問題に着目し、以下のことを明らかにした。
    ①宮内省は
    皇室
    財政における歳出削減を継続的に模索した。その背景には、国庫支出の
    皇室
    費の増額に対する懸念と、
    皇室
    の慈善事業への取り組みの活発化という問題が存在した。その結果、大正後期においては部局統廃合と定員削減を中心とする改革が実行され、昭和初期においてはさらなる部局統廃合・定員削減に加え、予算統制の強化と皇族関係費中の臨時的歳出の削減という問題が併せて検討された。ただし、予算統制の強化については活発な議論がなされたものの不十分な結果に終わった。
    ②宮内省は、第一次世界大戦後に改めて浮上した株券処分問題に対して、株券の新規購入・引き受けを抑制しつつ、主たる投資先を国債・地方債に求めていくという、漸進的な対応を行った。また、それは「国家本位」の措置であり、なおかつ「地方開発」の趣旨を含んでいるとして国民に宣伝された。
    ③デモクラシー思潮の拡大の下、国民の間でも
    皇室
    財政問題への関心が一定の高まりを見せた。これに対して宮内省では、
    皇室
    財政の実態を漸進的に公開し、国民的合意を涵養・獲得していくという構想が一部から提起されたものの、それは大勢とならず、
    皇室
    財政を非公開事項とする原則は変更されなかった。
    全体として、戦間期における
    皇室
    財政問題は、政府・宮内省の側が、
    皇室
    財政のあり方と「国民的公共」の関係性という問題について再考を迫られ、継続的かつ漸進的な対応を模索していく(①、②)と同時に、その関係性如何について国民の側が主体的に検討するという契機が改めて否定されていく(③)という、いわば二重の過程として展開したと言えるのではないだろうか。
  • 清水 英夫
    法社会学
    1978年 1978 巻 30 号 44-60,223
    発行日: 1978/03/30
    公開日: 2009/01/15
    ジャーナル フリー
    Before the war, that is, under the old Constitution, communications concerning the Emperor (and the Imperial Household) were completely controlled. This meant 1) that the Emperor was not judged a proper subject for treatment by the media and 2) that all information about the Emperor was considered state property to be released at government direction. Moreover, the degree of control was strengthened by the parallel establishment of the Imperial system (Tennoism). The legal codes regultating media activities were the Penal Code's Lese Majesty Law and the Press Law. These were repealed after the War. Under the new Constitution, freedom of speech and of the press was guaranteed, but communications concerning the Emperor in newspapers, broadcasting-in the mass media in general-are extremely one-sided. The views of anti-Imperialist factions and criticisms of the Emperor personally realy appear. By his treatment in the media, the Emperor in once again being shrouded in a veil of mystery and the establishment of a new control system-the "Emperor for the Masees"-is proceeding apace.
  • 末続 義治
    情報管理
    1967年 10 巻 6 号 327-330
    発行日: 1967/09/20
    公開日: 2016/03/16
    ジャーナル フリー
  • 皇室の自律性をめぐる制度構想
    原科 颯
    史学
    雑誌

    2020年 129 巻 4 号 30-54
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/09/09
    ジャーナル フリー
    明治22(1889)年に制定された(明治)
    皇室
    典範(以下、典範)は、皇位継承や皇族など
    皇室
    に関する重要事項を定めた。本稿は、従来等閑視されてきた元老院議官の制定への関与に着目した上で、典範によって規定された
    皇室
    の自律性を明らかにするものである。
       典範草案の多くは、柳原前光や尾崎三良など、近世朝廷関係者で三条実美を人脈的結節点とする元老院議官によって作成・協議された。それらは、井上毅の意見とは異なり、天皇の皇族に対する監督権(以下、皇族監督権)を尊重しながら、皇位継承順序・摂政就任順序の変更などは元老院へ諮詢されねばならないとした。背景には、
    皇室
    の自律性確保や元老院の権限強化といった志向がうかがえる。
      しかしながら制定を主導した伊藤博文は、皇族監督権を容認する一方、皇位継承順序の変更については、
    皇室
    の政治からの独立性を担保すべく、元老院のみならず内閣への諮詢も否定した。こののち柳原は、伊藤・井上に対し、起草作業の主導権をめぐる対抗意識や政治的闘争心を強めるに至った。
      その後、典範諮詢案の枢密院会議では、永世皇族制が採択されたものの、皇族の婚姻や懲戒などに関しては、宮内大臣の副署や皇族会議ないし枢密顧問官への諮詢を要すとしつつ、天皇の皇族監督権が広く認められた。
      かくして典範の制定は、憲法のそれとは対照的に、草案の広範な回付や伊藤への対抗意識を伴った。この間、柳原ら議官は一貫して上院の
    皇室
    事項への関与を重視したが、伊藤は内閣・議会いずれの関与も斥けた。しかしながら両者は、先行研究では看過されてきたが、皇位継承を除く
    皇室
    事項について天皇の意思を尊重する点では概ね一致したといえる。即ち典範は、
    皇室
    の自律性を確保すべく、
    皇室
    の政治からの独立性(消極的自律性)を保障した上で、
    皇室
    事項は原則として、天皇をはじめ宮内大臣・皇族会議・枢密顧問官の意思で決定・運営されるとしたのである(積極的自律性)。
  • ―2010年3月~9月の女性週刊誌の内容分析にみる
    茨木 美子
    出版研究
    2010年 41 巻 155-183
    発行日: 2011/03/20
    公開日: 2019/03/31
    ジャーナル フリー

    本論文は,「愛子さま不登校」事件に関する女性週刊誌報道を内容分析し,この報道が読者にどのような現実を提示したかを明らかにしようとした.「不登校問題」における女性週刊誌の見出しと記事を質的・量的に分析した.その結果,女性週刊誌は,キーワードでは,「不登校」はテーマ的に,「いじめ」にはエピソード的に語る傾向が共通していたが,「問題」に対する論調と合わせてみると,描かれる現実には週刊誌ごとに違いが見られた.

  • ―中・韓・日共同研究の架け橋として
    諸橋 泰樹
    出版研究
    2010年 41 巻 33-64
    発行日: 2011/03/20
    公開日: 2019/03/31
    ジャーナル フリー

    井上輝子と女性

    雑誌
    研究会は1980年代後半,女性
    雑誌
    の数量的内容分析の手法を開発した.その方法は,①情報を分類してページ量をカウントし,②広告,広告記事,記事分類し,③各分野分類をパーセント化するものである.諸橋はこの手法を発展させ,ページ数の計算およびパーセント化,グラフ化が,Microsoft Excel上で行える計算シートを開発,本稿では中国語版,韓国語版の計算シートも披露した.

  • 井原 縁
    ランドスケープ研究
    2000年 64 巻 5 号 441-446
    発行日: 2001/03/30
    公開日: 2011/07/19
    ジャーナル フリー
    現在の「国民公園」京都御苑では, 御苑造成時から共存している「
    皇室
    苑地」と「公園的利用の場」という2側面に基づく二律背反的な要素が多数共存しており, この内包する要素の多様性こそが個性といえる。本研究では, まずその個性が形成された京都御苑の歴史的経緯を辿り, その後,「御所透かし」という特殊な技法が, その個性を守っていくうえで非常に重要な要素のひとつであることを考察する。「御所透かし」は,「
    皇室
    苑地」という側面に付与される要素であると共に「公園的利用の場」という側面にも寄与する要素であり, 時代を経て継承されてきた重要な文化財的要素であると共に松の手入れという景観構成要素でもあるからである。
  • 北海道御料地除却一件を事例として
    池田 さなえ
    史学
    雑誌

    2016年 125 巻 9 号 1-37
    発行日: 2016年
    公開日: 2018/10/10
    ジャーナル フリー
    本稿は、「
    皇室
    はなぜ土地をもつのか」という根源的課題について、「北海道御料地除却一件」を事例として歴史的に検討するものである。
    本稿では、以下のことを明らかにする。まず、北海道御料地除却の過程で、御料地は除却して北海道庁の開拓事業に充てるべきだとする立場と、御料地は森林として保存し、民需供給・国土保全に役立てるべきだとする立場との相克が生じたことである。前者は宮内省―御料局、道庁―内務・農商務省の立場であり、後者は御料局札幌市長長の山内徳三郎の立場であった。しかし前者は、「拓殖」の題目の裏に
    皇室
    財産増殖・経営合理化という真の目的をもつ宮内省―御料局が「拓殖」事業を本務とする道庁を利用した形であり、そこに官林払下げによって地方自治の基盤強化を求める内務大臣井上馨とそれに賛同する農商務省が加わることで、除却の推進力となっていた。これに対し、後者の立場をとる山内は、元御料局長であり、自身の立場に近い品川弥二郎に頼るも、除却を食い止めることはできなかった。
    こうした様々な立場は、
    皇室
    の土地所有に対する観念として見たとき二つに分類することができる。分類の基準は、
    皇室の土地に皇室
    の経済基盤強化以上のものを見るか否かである。一方は、
    皇室
    はあくまでその経済基盤強化のために土地をもつべきだとする観念である。土地選定の基準は収益性である。
    それに対し、もう一方の観念は、
    皇室
    は土地をもつことによって民需供給や国土保全という役割を担うべきだとする観念である。筆者はかつて明治20年代の御料鉱山や長野・静岡の御料林において、
    皇室
    は民間産業の保護・勧奨のために土地をもつべきだと考えられていたことを明らかにしたが、北海道御料林において求められた役割は、民需供給・国土保全であった。しかもそれは、本来国家行政の職掌とされながら、現状は
    皇室
    にしかなしえない役割であると訴えられる点に特徴があった。
    本稿の検討は、従来言われてきたような、
    皇室
    はその経済基盤強化のために土地をもつのだとする御料地観も、当時いくつかあった御料地観の一つのバリエーションにすぎなかったことを示すものであり、今後はそれが一つに収斂していく過程・原因をこそ歴史的に問わねばならないだろう。
  • ――忘却の覚書の忘却――
    吉野 泰平
    日本近代文学
    2015年 93 巻 77-89
    発行日: 2015/11/15
    公開日: 2016/11/15
    ジャーナル フリー

    従来、全集をはじめとして単行本には全く収録されず、研究や批評も皆無であった「筆記原稿」(「小説公園」一九五七年九月)を発掘し、その「不敬」性について、戦時下・占領期・同時代の検閲をめぐるメディア(「朝日新聞」・「小説公園」・「真相」・カストリ

    雑誌
    )の様相を参照しながら検討した。「筆記原稿」は、表層のレベルで敗戦後に創出された規範に従いながらも、「無意識」下では敗戦前と同じように天皇・皇族を奉じる力がいまだに人々を規定している様態をメディアと皇族の関わりを軸にえがいた小説だといえる。想像力を奪いとる自己検閲の記憶が刻まれた装置を小説のなかで想像力を喚起する記号として反転させ、天皇・皇族に対する議論が減少し(自己)規制されていく時代のなかで、継続する自己検閲を前景化する装置として利用してみせたのだ。

  • 小林 登志子
    オリエント
    2017年 60 巻 1 号 91-93
    発行日: 2017/09/30
    公開日: 2020/10/01
    ジャーナル フリー
  • 米田 庄太郎
    日本微生物學會
    雜誌

    1919年 12 巻 1 号 119-123
    発行日: 1919年
    公開日: 2009/09/03
    ジャーナル フリー
  • 近代天皇制における民間マスメディアの機能の再評価
    右田 裕規
    ソシオロジ
    2002年 47 巻 2 号 37-53,178
    発行日: 2002/10/31
    公開日: 2016/05/25
    ジャーナル フリー
     The modern Japanese emperor system have been regarded as a structure that was maintained by government policy in the earlier studies.Consequently, these studies underestimate the mass media's function in the emperor system and ignore the mass media's autonomy in the face of the government's attempts to rule people through the 'kokutai ideology' that regards the emperor as a god.
     Howaver,in reality the prewar mass media's report of the imperial family had a great influence on the populace's views of them.The content of this report was highly secular, with pictures and articles reporting the friendly figures of the imperial household and their private lives,and was opposed to the government's attempt to rule people through the 'kokutai ideology'.
     The purpose of this paper is to elucidate the ways in which the modern Japanese mass media, in the process of its own commercialization and Japan's modernization, counteracted the government's attempt to build an absolute monarchy.I also seek to revalue the peculiar function of the mass media in the prewar emperor system by presenting research on the process whereby the mass media created the 'popular emperor system' by reporting secular information on the imperial family in response to popular need.
  • 布田 勉
    法制史研究
    2000年 2000 巻 50 号 320-323
    発行日: 2001/04/20
    公開日: 2009/11/16
    ジャーナル フリー
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