本論文は、文学教育論において、近代日本言語教育史において興ったナショナリズムの渦をめぐりさまざまな姿となって現れた<声>と<文字>の相克を今日どのように踏まえていくのかという問題関心に基づき、文化審議会答申「これからの時代に求められる国語力について」(二〇〇四年二月三日付け)と
益田勝実
の文学教育論との比較考察を試みるものである。前者には<文字>→<声>という一方通行的ベクトルを見ることができるのに対し、益田の文学観には、それまで文学史から排除されてきた<声>→<文字>というベクトルをとらえることができる。<声>と<文字>の相克の姿から文学教育の可能性をとらえようとした。
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