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クエリ検索: "知識人"
14,216件中 1-20の結果を表示しています
  • ベルの知識人論とニューヨーク知識人
    清水 晋作
    社会学研究
    2015年 96 巻 63-82
    発行日: 2015/07/10
    公開日: 2022/01/21
    ジャーナル フリー

     本稿は、

    知識人
    ダニエル・ベルの死がもつ意味を考察し、ベルの
    知識人
    論を検討することによって、「
    知識人
    の死」というテーマについて論じる。ベルは、二〇一一年一月に亡くなったが、「公共
    知識人
    」と評されるニューヨーク
    知識人
    の一員であり、さらにはその知識社会における中心的存在であった。R・ジャコビーは、ベルを含む同世代のニューヨーク
    知識人
    たちを「最後の
    知識人
    」と評価した。
    知識人
    として「公衆」に訴えかけるスタイルをとった最後の世代という意味である。

     ベルの

    知識人
    論において、ニューヨーク
    知識人
    の特徴が示される。ニューヨーク
    知識人
    たちが共通にもつ特徴は、イデオロギーを掲げ、疎外の感覚をもち、思想闘争に参画してきたことである。ただしベル自身は、他のニューヨーク
    知識人
    と比べて、関心と活動の範囲が広く、特異な位置を占めていた。ベルは、公共政策の領域に深く関わり、政策レベルの論争に踏み込むことがしばしばあった。そのうえで、強い理論的志向を併せもち、彼の究極的意図は、社会学理論の再構築にあった。

     知的専門分化が進み、そうした知的状況への批判として「公共社会学」について活発に議論される時代にこそ、「公共

    知識人
    」として評価されるベルやニューヨーク
    知識人
    の足跡を辿ることに意義があろう。

  • 足立 大進
    日本消化器内視鏡学会雑誌
    1982年 24 巻 11 号 1779-1780
    発行日: 1982/11/20
    公開日: 2011/05/09
    ジャーナル フリー
  • 江嶋 修作
    社会学評論
    1989年 40 巻 2 号 194-195
    発行日: 1989/09/30
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
  • 相馬 伸一
    近代教育フォーラム
    2010年 19 巻 127-135
    発行日: 2010/09/19
    公開日: 2017/08/10
    ジャーナル フリー
    岡部氏の報告の意図は、教育の基礎研究の危機的状況に私たちがいかに向き合うことができるかというところにあるだろう。その真摯な姿勢には共感できる。しかし、テクノロジーの生産に直接的には参与しないという限定は、教育を事とする
    知識人
    にとって、可能ではあっても、必ずしも妥当とはいえないのではないだろうか。また、この半身の構えを可能にする「オフ(off)」というスタンスは、ポスト・モダンを乗り越えてはいないのではないだろうか。いわゆる<教育的>
    知識人
    の行動は、<革命的>
    知識人
    のそれと比べて一貫性がなく、しばしば日和見主義と見なされる。しかし、<教育的>
    知識人
    の行動の「プレ」は、見方を変えてみれば、不動の点としてのスタンスそのものを相対化する運動(動き)であったともいえるのではないだろうか。サイードのいう亡命
    知識人
    に属するはずのコメニウスには、亡命者的な状況への距離感と教育技術の創案への関与という両面性が認められる。
  • 長谷川 公一
    社会学研究
    2015年 96 巻 1-9
    発行日: 2015/07/10
    公開日: 2022/01/21
    ジャーナル フリー
  • ―雑誌『世界文化』同人の戦中・戦後の軌跡から―
    山嵜 雅子
    日本社会教育学会紀要
    2001年 37 巻 141-150
    発行日: 2001年
    公開日: 2021/02/13
    ジャーナル オープンアクセス

      Spontaneous educational attempts by intellectuals and people soon after WW II were closely tied to intellectuals' regret for their helplessness against the war and with their intention to cooperate in the reconstruction of Japan Previous research has not paid attention to the intentions and activities of intellectuals. This paper examines the historical meaning and influence of such an intellectual movement through a case study of the staff members of the magazine Sekai-Bunka.

      Sekai-Bunka, published by scholars in fields from the humanities to natural sciences in the Kyoto area from 1935 to 1937, presented the world tendency of anti-fascism. Although most of the staff members were prosecuted for violating the Maintenance of the Public Order and kept from the active stage during the war, they took active and important parts in social and/or educational reform and journalism after WW II.

      The analysis of Sekai-Bunka and of their memoirs demonstrates their acceptance of Marxism in 1930s, their cooperation and social concern appearing in the journal, and their irrational experiences in prison and isolation in the war, which led them to social activities after the war. The intellectual movement shows how we can cooperate and use our knowledge for the public good.

  • 椎名 伸子
    文学と教育
    1990年 1990 巻 152 号 29-31
    発行日: 1990/06/15
    公開日: 2017/03/20
    ジャーナル フリー
  • 市川 白弦
    印度學佛教學研究
    1968年 17 巻 1 号 87-90
    発行日: 1968/12/25
    公開日: 2010/03/09
    ジャーナル フリー
  • ―実感論争における他人指向型社会への評価に焦点を当てて―
    松井 勇起
    情報メディア研究
    2020年 19 巻 1 号 81-99
    発行日: 2020/01/22
    公開日: 2021/01/22
    ジャーナル フリー

    本論文では,メディア

    知識人
    としての加藤秀俊を論ずる.その分析枠組みとして,実感論争時の加藤の立場の独自性を扱う.1950 年代に多くのメディア
    知識人
    が参加した実感論争の際に,加藤は『中間文化論』で実感を肯定したことで,実感論を理解しない江藤淳と論争した.加藤の実感論はリースマンの思想的根源であるプラグマティズムの観点から論じられたところに独自性がある.プラグマティックな現実観察を前提とする加藤の実感論は,メディア
    知識人
    の言説の中で日本の消費社会論の嚆矢となった.加藤は他人指向型に対する共感するが,本論文によってメディア
    知識人
    はドイツ思想が強い東大で教育を受けたか否かで他人指向型に対して共感しやすくなるかが左右されることがわかった.戦後多くのメディア
    知識人
    が左派・マルクス主義の影響下にあった中で,加藤が高度経済成長を実感として掴んだ点に加藤のメディア
    知識人
    としての特徴があるといえる.

  • 園 知子
    フォーラム現代社会学
    2011年 10 巻 161-172
    発行日: 2011/06/30
    公開日: 2017/09/22
    ジャーナル フリー
    本稿は、「京都学派」(「京都ネットワーク」)およびその周縁において展開された「芸術家村」の知のネットワークを公共圏として捉え、これについて社会学的観点からの検討を目指すものである。その際、これらのネットワークの特徴は、
    知識人
    が独自の役割を演じたことにあるため、
    知識人
    を主体とした知の公共圏の構築が求められる。そこでまず、公共圏における
    知識人
    の在り方に問題関心を持つユルゲン・ハーバーマスの公共圏論、なかでも論説「ハイネとドイツにおける
    知識人
    の役割」に着目し、
    知識人
    の公共圏との関わりという観点からの分析作業を通じて、公共圏論に
    知識人
    をアクターとして位置づけ、公共圏における
    知識人
    の役割を明らかにするとともに、「京都ネットワーク」、「芸術家村」を捉えるための理論枠組みを提示している。続いて、「京都ネットワーク」を紹介し、これが公共圏であることを確認した上で、その専門領野を超えた独自の知の在り様を本稿の理論枠組みに沿って明らかにしている。また、これまで顧みられてこなかった「芸術家村」の存在を紹介・検討し、これを基盤とした國畫創作協會の設立という社会運動の存在を浮き彫りにしている。併せて、こうした事象の中から、本稿の理論枠組みに基づき、
    知識人
    と公共圏との相補的・相互不可欠的な関係性、ならびに、
    知識人
    が公共圏において果たす、知の媒介者としての役割およびオピニオン・リーダーとしての役割を明らかにしている。
  • 伊藤 美登里
    社会学評論
    1995年 46 巻 1 号 62-76
    発行日: 1995/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    著書『イデオロギーとユートピア』に見られる K. マンハイムのペシミズムは, 彼が述べるような次の時代の真理としてのユートピアに導かれて社会を変革し, 形成するという, 「近代史の発展をつらぬく構造形式」が成立しなくなりつつあるという事態, ユートピアの消失という事態にたいする彼の危機感の表明であったが, それと同時にこのユートピアの創造者として, 近代社会において政治的・文化的に圧倒的な優位を誇っていた教養市民層が, 大衆社会の到来とともに没落の危機に瀕し, 「ユートピアの担い手」としての自己像すら危うくなりつつあることへの危機感の現れでもあったと考えられる。
    イギリス亡命後のマンハイムの理論の変化は, 上述の事態を解決しようとするなかで生じてきたものである. 彼は, 大衆社会において民主主義をうまく機能させる唯一の方法として「自由のための計画」を提唱した. 彼にとってそれは, 近代社会を形作ってきた「近代ユートピア」の存立が不可能となった時代において可能であるところの, 別の型の「ユートピア」であった.また, 「自由に浮動するインテリゲンツィア」にかわって, 「計画者としてのエリート」という役割を
    知識人
    に与えることで, 彼は
    知識人
    存在の新たな存在形式を創出しようとしたと見ることができよう。
  • 森田 数実
    社会学評論
    1995年 45 巻 4 号 515-516
    発行日: 1995/03/30
    公開日: 2009/10/13
    ジャーナル フリー
  • --グールドナーからハーバーマス、フーコーへ--
    宮原 浩二郎
    社会学評論
    1989年 40 巻 1 号 46-59,114
    発行日: 1989/06/30
    公開日: 2010/05/07
    ジャーナル フリー
    一九七〇年代に注目を浴びた「社会学の社会学」は、社会的世界に関する知の獲得における社会学の役割について深刻な懐疑をもたらすとともに、「イデオロギー」や「
    知識人
    」の概念の根本的な見直しを促した。本稿は、「社会学の社会学」を代表した論者であるA・W・グールドナーの知識社会学と
    知識人
    論を手がかりとして、ハーバーマスとフーコーに代表されるような「イデオロギー」と「
    知識人
    」をめぐる議論の今日的状況に接近してみたい。グールドナーによる社会理論のリフレクシヴィティー (自己回帰性) の研究は、マンハイム流の「存在被拘束性」の理論の徹底化という経路を通って、社会理論におけるイデオロギー性の遍在と
    知識人
    の階級性を主題化した。それは、「イデオロギー」概念を、コミュニケーション合理性を鍵概念として再構築する試み (ハーバーマス) と、「真理」概念の実定化を通じて脱構築する試み (フーコー) という、二つの対照的な方向の分水嶺に位置する立場をよく示している。グールドナーの「リフレクシヴ・プロジェクト」を「補助線」として導入することで、「イデオロギー」と「
    知識人
    」をめぐる現段階での様々な議論の問題点が浮き彫りになると思われる。
  • 安村 直己
    ラテンアメリカ研究年報
    2018年 38 巻 109-113
    発行日: 2018年
    公開日: 2022/05/18
    研究報告書・技術報告書 フリー
  • 秋田 摩紀
    近代教育フォーラム
    2004年 13 巻 211-225
    発行日: 2004/09/18
    公開日: 2017/08/10
    ジャーナル フリー
    演説指南書とは、明治10年代から大量に出版されつづけた弁論術の総合マニュアル本である。これらの書物には、あるべき演説の姿や演説者像が図解つきの身振り手振りの技法という形で刻印されており、それはまた演説がまだ新奇な作法であった近代日本に理想とされた
    知識人
    像でもあった。本稿はこれらの身振り教授の図を手がかりに、学者に代表される
    知識人
    が不特定多数の人々にどのように見られたがっていたかという
    知識人
    の欲望を解き明かす。細かな計算つくの「技法」は、見られることに対する不安に裏打ちされていたが、明治40年代から大正時代にかけて、この不安は快楽に転換する。それとともに、身振りは演説者と聴衆を熱狂の渦にまきこむ重要な要素となっていく。演説の身振りを教えることをめぐる問題圏は、たんに演説者の文字通りの身振りだけではなく、近代以後、
    知識人
    に理想とされる「身振り」(振る舞い)がどのように構成されてきたかの考察をも含むものである。
  • ―先端技術の担い手―
    藤本 枝太
    環境技術
    1987年 16 巻 9 号 643
    発行日: 1987/09/30
    公開日: 2010/03/18
    ジャーナル フリー
  • 「日本」と「軸」についての試論
    奥村 隆
    社会学研究
    2015年 96 巻 11-38
    発行日: 2015/07/10
    公開日: 2022/01/21
    ジャーナル フリー

     ロバート・N・ベラー(Robert Neelly Bellah)は二〇一三年七月三〇日に八六歳で逝去した。宗教社会学者として知られる彼は、同時代に強い問題関心を抱き、アメリカ社会を痛烈に批判する「リベラルな

    知識人
    」として生きた人だった。本稿は、ベラーが二〇一二年一〇月四日に東京大学駒場キャンパスで行った講演「丸山眞男の比較ファシズム論」を手掛かりに、「日本」と「軸」という観点から「
    知識人
    であること」について再考を試みる。丸山眞男が「無責任の体系」と性格づけた日本社会をベラーは「非軸的」ととらえ、アメリカ社会を「ポスト軸的」と論ずる。このふたつの異なる社会で
    知識人
    である条件を考えるには、「軸」とはなにかを検討する必要があるだろう。本稿後半では、カール・ヤスパースがいう「軸の時代」に普遍的倫理を説いたプラトンなどの「世捨て人」たちを論じたベラーの論考を通して、
    知識人
    が社会のどのような場所にいる存在なのかについて考えたい。

  • 中国・トン族の事例から
    *兼重 努
    日本文化人類学会研究大会発表要旨集
    2018年 2018 巻 C16
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/05/22
    会議録・要旨集 フリー
    中国社会ではこれまで膨大な歴史書が編纂されてきた。中国社会の文脈において、歴史はきわめて政治的なものである。中国共産党政権下、少数民族の歴史書の編纂が盛んになり、当該民族の
    知識人
    もそれに関与するようになった。中国の少数民族
    知識人
    にとって、自民族の歴史を書くことはどのような意図や願望を伴った営為なのか。本発表ではトン族の事例をもとに検討する。
  • 大河原 忠蔵
    日本文学
    1972年 21 巻 4 号 64-65
    発行日: 1972/04/01
    公開日: 2017/08/01
    ジャーナル フリー
  • 南芦屋浜団地と真野コレクティブハウジングの試み
    延藤 安弘
    都市住宅学
    1998年 1998 巻 22 号 26-30
    発行日: 1998/06/30
    公開日: 2012/08/01
    ジャーナル フリー
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