競輪
は, 終戦後の日本で, 公的な資金集めを目的に誕生した公営競技である。誕生以来急激に巨大化し, 今やプロ競技最多の選手層を擁する競技となっている。しかし, 初期に騒擾事件などが頻発したことなどによって, これまでマイナスイメージを付与されてきた。スポーツとして扱われることも, ほとんどなかったのである。
競輪
運営者は, このようなイメージを払拭するため, 様々な施策を行ってきた。まず, 不正レースが存在するのではないかという, ギャンブルの対象として致命的な疑念を取り除くことが必要とされた。誕生時には極めて未熟だった運営組織や審判制度, 選手の管理などは, 初期に起こった事件に対応する中で, 整備されてきたのである。1970年代以降に人気が低落化すると, 選手層の細分化を図って実力伯仲のレースを組み, 選手間の競争意識を高める改革も行った。これは, よりギャンブルの対象としての面白味を増す為に, つまり, 結果の予想し難さを確保する為になされた改革であった。また, 近年では, 海外の自転車競技界との繋がりを深め, KEIRIN という名を持つギャンブルの対象ではない競技種目が誕生した。ギャンブルの対象としての
競輪
も, 現在大きな質的転換をせまられているのである。運営者側は, これらを受けてスポーツとしての
競輪
をアピールするイメージ転換戦略に取り組んでいる。
本稿では,
競輪
の競技としての変容過程を, 運営者側の施策に焦点をあててたどり, ギャンブルの対象であったことが, どのように影響してきたのかを考察する。
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