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クエリ検索: "職人"
21,920件中 1-20の結果を表示しています
  • 光学に関する記述と復元模型について
    *神谷 和秀, 神谷 佳孝, 神谷 長幸
    精密工学会学術講演会講演論文集
    2012年 2012S 巻 M01
    発行日: 2012/03/01
    公開日: 2012/09/01
    会議録・要旨集 フリー
    レオナルド・ダ・ヴィンチは,有名な画家であるが完成させた絵画は両手で数えられる程度である.一方,生涯に書き遺した手稿は,現存するものだけで約4,000ページにもなる.この膨大な数の手稿の中には,科学技術に関する着想や物理現象の詳細な観察結果が記録されている.本報告では,レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿からオーガナイズドセッションのテーマ「メカノフォトニクス」に関連した話題を提供することを試みる.
  • [舟弘]銘・船津祐司の鑿製作
    石社 修一
    竹中大工道具館研究紀要
    2014年 25 巻 3-68
    発行日: 2014年
    公開日: 2021/03/20
    研究報告書・技術報告書 オープンアクセス
    本稿は、越後与板の鑿鍛冶である船津祐司の鍛冶技法を記録したものである。船津は[舟弘]銘で全国の一流の大工
    職人
    から高い評価を得ている。船津の仕事は、大工道具産地の与板での伝統的な技法と合理的な技法の上に、科 学的な研究を積み重ねたものである。  本調査では、12日間の日常通りの作業工程を記録した。また同じく鍛冶を職業とする調査が詳細に記録を試みた。以下に調査結果の概要をまとめる。 1  鋼は白紙1号の中でも高炭素のものを好んで用いる。その火造りは、コークス炉での鍛接・鍛造の後に、電気炉で4回にわたり段階的に加熱温度を下げながら繰り返す丁寧な鍛錬で、金属組織を微細化している。 2  整形作業は、グラインダーとペーパーバフを効率的にこなす。その一方で、最後はセン床にあぐらをかき、鑢がけを行う鑿鍛冶の昔からの流儀で仕上げる。 3  松炭を用いた焼入れは、暗闇の中で行う。幅寸法の異なる、鑿の1分から1寸4分までの全てが均一に赤められ焼入れされた、まさに熟練の技術といえる。焼戻しは、電気を熱源とした油もどしで行う。 4  3週間の調査期間中に焼入れされた製品は、大入鑿43本・叩鑿など5本・小鉋1枚・平鉋3枚の合計52点であった。 5  鑿鍛冶の枠にとらわれず、鉋など幅広く大工道具を手掛けている。その鍛冶技法は、師である碓氷健吾の科学的データを蓄積した知見に、自らの実証実験からの経験を重ねたものである。本稿は船津65歳という円熟期の記録だが、大工との技術研究から更なる改良をも続けている。
  • 石社 修一
    竹中大工道具館研究紀要
    2013年 24 巻 3-55
    発行日: 2013年
    公開日: 2021/03/22
    研究報告書・技術報告書 オープンアクセス
    本稿は、東京最後の鉋鍛冶となった神田規久夫の鍛冶技術を記録するものである。[も作]銘のよく切れる鉋で知られる神田の仕事は、戦前から変わらない手仕事を主体とする技法である。本調査では、できるだけ通常の作業工程に添い、同じく鉋鍛冶を職業とする調査者の目で詳細に記録を試みた。以下に技術の概要をまとめる。 1 火床での加熱、手鎚を用いた火造り、センと鑢での整形、焼入れ前の生研ぎ、炭を用いた焼入れと焼戻しは、昔ながらの手作業が中心である。 2 機械工具の使用範囲は、スプリングハンマーを用いた地金ごしらえと火造りでの荒延べ、グラインダーを用いた荒整形の削りだけであり、手仕事の補助的手段として、最低限度の導入である。 3 鋼の材料は主に、日立金属ヤスキハガネ白紙1号・2号の純炭素鋼や、輸入鋼の中から炭素鋼系の鋼を選び使用している。 4 鉋の姿は、しっかりとした厚さとテーパー、裏スキは広く浅い、背中は大きく肉を抜いてある。肌の表情にはセン目が残るといった特徴がある。 5 2週間の延べ仕事時間は約40時間、完成品は鉋10枚、裏金4枚であった。
  • 挾土 秀平
    Finex
    2006年 18 巻 107 号 22-23
    発行日: 2006年
    公開日: 2020/06/23
    解説誌・一般情報誌 フリー
  • 大川 時夫
    産業教育学研究
    2001年 31 巻 2 号 37-40
    発行日: 2001/07/31
    公開日: 2017/07/18
    ジャーナル フリー
    全国
    職人学会と北海道職人
    義塾大學校が創立された経緯が記されている。背景となる小樽市の開拓者文化、市民活動が概観され、活動の主体となった小樽
    職人
    の会が概説されている。
    職人
    大學校はドイツの二元教育的内容で、松蔭、諭吉の哲学が建学理念である。開学間もないが現状が紹介されている。
    職人
    資格制度も希求されていて、全国
    職人
    学会が計画している。
  • 象嵌職人の日記から
    青木 秀男
    ソシオロジ
    2010年 54 巻 3 号 55-70,175
    発行日: 2010/02/28
    公開日: 2015/05/20
    ジャーナル フリー
     This paper will analyze through his diary the labor ethos of a marquetry craftsman who lived from the Meiji to the Showa eras. Hiroyasu Yonezawa was a craftsman who lived in two worlds. In one world, he managed the family business and supported his family’s livelihood, adding marquetry designs to everyday tools. This was the purpose-rational world in which the profit is pursued. In his other world, Hiroyasu was an industrial artist who produced and exhibited works of art. This was the value-rational world in which the meaning of work was pursued in the quest for self-actualization. Ethos as the will to live consists of the idea as the meaning of life and ethics as the decision on a way to live. Hiroyasu lived in two worlds; the world in which the ie’s safety was pursued, and the world in which self-actualization was pursued. The production of artistic work often inhibited the management of the family business. However, Hiroyasu pursued both goals: management and production. Two conflicting principles, ‘ideas’, and ‘industry’ which aims to achieve those ideas, composed the structure of the labor ethos of this craftsman. This paper links two preceding research projects on the labor ethos of a craftsman: popular ethic theory and artisan spirit theory. Popular ethic theory corresponds to Hiroyasu’s world of management of the family business. The artisan spirit theory corresponds to Hiroyasu’s world of production and artistic work. These are mutually complementary. Both are linked to the safety of the ie, and the management of the family business, and self-actualization through the production of artistic work. Thus, the interpretation of a craftsman’s labor ethos can be developed, and theories of popular ethics and artisan spirit can be integrated, in the framework of the labor ethos of a particular craftsman.
  • 稲庭 暢
    社会経済史学
    2010年 76 巻 2 号 271-287
    発行日: 2010/08/25
    公開日: 2017/07/18
    ジャーナル オープンアクセス
    本稿は,イングランド北東部の主要都市であるニューカッスルの代表的手工業ギルドの1つである製靴工カンパニーを対象として,近世の地方都市のギルドにおける
    職人
    が,親方・
    職人
    ・徒弟という身分の関係の中でどのような位置づけにあったのかを検討する。カンパニー規約や議事録における
    職人
    の扱い,カンパニーの親方の下で徒弟修業を行った者や親方の息子の個人データと
    職人
    のデータとの照合から,
    職人
    はカンパニーとの関係が薄く,また親方,徒弟,親方の息子とほとんど重ならないことが明らかとなった。さらに,
    職人
    の雇用状況についても離職率を用いて検討を行った。その結果,
    職人
    の大多数は,親方と短期的な雇用関係を結ぶだけの者であったことが明らかとなった。これらは,
    職人
    のカンパニーとの関係が希薄で,
    職人
    の労働市場が流動的であったことを示している。また,このことからカンパニーは親方と親方予備軍である徒弟もしくは息子を中心とした組織であったと考えられる。このような組織形態は,成長する都市において,ギルドがその中核となる構成員を養成しつつ市場に即した活動を行うことを可能にするものであった。
  • 逢 軍, 中村 圭
    日本文化人類学会研究大会発表要旨集
    2009年 2009 巻 H-13
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/05/28
    会議録・要旨集 フリー
    京友禅
    職人
    南進一郎氏は、2007年江戸寛文期の着物を友禅の技法で表現し、現代に甦らせるという制作活動を行った。いうまでもなく「着物」は日本の「伝統」を代表する民族衣装である。しかし「友禅」というキーワードで、その技法が確立していない過去にまで遡ることにより、「伝統」というものが、実際にはそれらを作り出す「
    職人
    」によって、いかに再構築され次世代へ移行されるのか、本作品を通して「伝統」について再考したい。
  • *昆野 哲哉
    石油学会 年会・秋季大会講演要旨集
    2019年 2019f 巻 2B12
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/12/31
    会議録・要旨集 フリー

    メンテナンスにおいて、その施工品質は

    職人
    の技量に左右されるが、団塊世代の引退や昨今の人手不足により腕の良い
    職人
    が著しく減少している。製油所設備のメンテナンスでは公的資格を要しない作業が沢山あるが、今取組みではフランジ締結に関して技量の視える化と独自の技量認証を行った。適切な技量を有した
    職人
    の確保は、トラブル防止の観点で製油所運営の大きな課題である。

  • 二階堂 太郎
    森林科学
    2016年 77 巻 42
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/02/20
    解説誌・一般情報誌 フリー
  • *小島 もも, 村田 秀則, 小林 英樹
    精密工学会学術講演会講演論文集
    2022年 2022A 巻
    発行日: 2022/08/25
    公開日: 2023/02/25
    会議録・要旨集 フリー

    ものづくり分野ではデジタル化が推進されているが,

    職人
    的技能の意義や価値も依然重要視されている.本研究は,スロー・マニュファクチュアリングの研究の一環として
    職人
    的技能を定量的に分析する手法を考案した.品質機能展開と技能度指標を用いて,製品要求と工程について顧客と製造者の視点から比較分析を行った.事例研究の結果,製品要求への
    職人
    的技能貢献度と顧客の求める価値が可視化され,製品分析への有効性を確認した.

  • *大西 祥裕, 桂 誠一郎
    自動制御連合講演会講演論文集
    2011年 54 巻 1K201
    発行日: 2011年
    公開日: 2012/03/09
    会議録・要旨集 フリー
    少子高齢化に伴い
    職人
    と呼ばれる高度技術者の減少が問題視されている。我が国において
    職人
    の技術を後世に伝えることは非常に重要なことである。
    職人
    技術を効率的に後世に伝える方法として,人間の動作を保存,再現するシステム「モーションデータベース」が挙げられる。モーションデータベースを構築するためには動作のモデル化が必要となる。本稿では,人間の動作のモデル化を提案し解析する。提案の有用性を実験にて確認する。
  • 角南 聡一郎
    文化人類学
    2017年 81 巻 4 号 753-755
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/02/23
    ジャーナル フリー
  • 鳥越 俊太郎
    日本消化器内視鏡学会雑誌
    2010年 52 巻 Supplement1 号 702
    発行日: 2010年
    公開日: 2012/10/22
    ジャーナル フリー
  • 坪田 典子, 水越 紀子
    日本都市社会学会年報
    1999年 1999 巻 17 号 127-143
    発行日: 1999/07/03
    公開日: 2011/02/07
    ジャーナル フリー
  • 吉田 彬人
    人文地理
    2023年 75 巻 3 号 217-239
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/11/08
    ジャーナル 認証あり

    本稿では,『長宗我部地検帳』を用い,土佐国における

    職人
    の居所とその分布の分析を行うことで,産業の観点から16世紀末の土佐国の地域的特徴の解明を行った。従来,織豊期までを対象に大名領国のスケールでの地域的特徴を明らかにする研究が支配,市町,流通の3つの視角のみから行われたのに対し,本稿では前近代において
    職人
    が地域における手工業機能の多くを担っていた点に着目し,特定の一地域における複数の職種の
    職人
    の分布を悉皆的・定量的に地図化し,当時の産業の分布の解明を通して地域的特徴を明らかにするという新たな視角を提示した。分析の結果,職種ごとの分布や地域ごとの特徴に加え,高知平野に政治・文化・手工業の中心が所在し,沿岸部では河川河口部を中心に木材関連産業や造船業が盛んにおこなわれ,沿岸航路を通じて製品が運送されるという土佐国の構造を明らかにした。また,市町の分布との比較からは,市町に必ずしも
    職人
    が集住する訳ではないことが明らかになった。
    職人
    は,原材料の入手や加工,他
    職人
    との協業,製品の出荷に適しているかなどの観点から,生業を営む際に適した立地を選択して居住していることが推定された。一事例には過ぎないものの,
    職人
    の居所の具体的様相を1つの大名領国を事例に提示しえたことは,今後他の大名領国における
    職人
    の居所分布や地域的特徴と比較・検討するうえでも非常に意義のある成果であるといえる。

  • 星野 欣也, 土屋 安見, 石村 具美
    竹中大工道具館研究紀要
    1993年 5 巻 62-74
    発行日: 1993年
    公開日: 2022/01/31
    研究報告書・技術報告書 オープンアクセス
    今回、東京、新潟県三条、大阪の鉋台製造業者の訪問調査を行なった。鉋台は、かつては使い手が自ら造るものであったが、社会状況の変化に伴い、既製品が流通するようになり、鉋台製造専門の
    職人
    が「台屋」として成立した。鉋台の材質はおもに白樫で、秋から春にかけて伐採した材を乾燥させて使用する。明治期には割材が使われたが、昭和に入ると量産できる挽材が主流になった。以前は台屋が木工所から素材の板を仕入れ、使用に応じて小割していたようだが、現在では、鉋一挺分に製材されたものが流通している。鉋台の加工は、刃を五分の状態で仕込み、使い手が最後の仕上げをする五分仕込みの台から、完全に刃を仕込んだ本仕込みの台へと変化した。昔ながらの手彫りの
    職人
    は減少し、現在では機械彫りが主流になっているが、仕上げには手作業が欠かせない。
  • 加瀬 敬年
    金属表面技術 現場パンフレット
    1959年 6 巻 5 号 6-8
    発行日: 1959/05/15
    公開日: 2009/10/07
    ジャーナル フリー
  • 穴田 仁洋
    ファルマシア
    2022年 58 巻 11 号 1067_1
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/11/01
    ジャーナル 認証あり
    最近行った実験で,少々冷や汗をかいた事があった.ある反応で得られた生成物の構造解析を行ったが,肝心な所で一か所ミスアサインしてしまった.あわや大恥をかくところであったが,相談した知人のNMR測定技術により事なきを得ることができた.自ら最大限努力した末に分からないことは詳しい人に教えを乞う謙虚な姿勢と,機械やシステムの便利さに頼り切らない「
    職人
    芸」が鍵を握る場面もあると痛感した瞬間であった.
  • *砂崎 素子
    一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集
    2018年 70 巻 P-109
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/07/28
    会議録・要旨集 フリー
    目的 毛氈の中でも紅色の緋毛氈は長崎市諏訪社の祭礼‘長崎くんち’で用いられているが、その習わしは古く、起源は寛永11年以降と推察される。長崎唐人貿易により流入した毛氈は珍重されていた毛製品のひとつであり、その輸入量は莫大であった。近世後期に毛氈を長崎の地場産業として育成する目的で中国人技術者を招聘し技術の導入を図った。これまで、輸入毛氈の実態、長崎における毛氈文化の有様、毛氈技術導入の契機及び、内容を明らかにしてきた。本研究では長崎の職住地域との関わりをふまえ、長崎で先行した毛氈技術導入の諸相を具体的に示す。

    方法『毛氈製造手續并道具繪圖』(長崎歴史文化博物館蔵)をもとに検証する。

    結果 近世期、長崎市中の中島川沿いに
    職人
    町が形成されていた。文化元年に中国人技術者を招聘して導入された毛氈技術は、
    職人
    町の近隣にあった八幡町の水神社で実演が図られた。水神社は中島川の上流部に位置し、境内の脇には風頭山から流れ下る水路があり、毛氈の生地製造及び、染色に必要な水が豊富であった。また、41種類50個の道具の調達では道具
    職人
    、染色では染め
    職人
    と、それぞれの
    職人
    と関わりやすく、製造の拠点として好立地であった。毛氈を
    職人
    町(社会)の新たな職業として、そこに根づかせようとしていたことが窺われる。これらの点から毛氈技術を受容するための一要件がわかった。今後は長崎の毛氈の文化と歴史をふまえ、地域に関わる総合学習の立案計画を進めたい。
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